日本 プロライフ ムーブメント

愛は徳によってのみ得ることができる

50年以上前から、西洋社会では、歌や詩、あるいは映画を通じて愛を称えてきた。にもかかわらず、我々は愛が崩壊する様子を目の当たりにしてきたし、それは今も続いている。どうしてだろうか?我々人間はなぜもっと愛情深くなれないのだろうか?我々はなぜ人の歌、たとえばジョン・レノンの歌に語られているような平和や普遍の正義を手にすることができないのだろうか?その理由として、以前と比べて我々の愛情が薄れていることが考えられる。今日の我々の状況を正確に描写した寓話を紹介しよう。 

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胚の本質について

ヒトのいのちが受精の瞬間から始まるのかどうかという疑問は、厳密には哲学的な問題である。だからと言って、よく言われているように、この疑問に対する確固たる答えはなく、胚がヒトかそうでないかは見解の相違に過ぎないという意味ではない。その意図は、この問題が感覚あるいは調査によって解決するものではなく、解決には論理が必要という点にある。発達中の胚の状態について、同じデータを持つ発生学者2人が、2つの相反する結論を導き出す可能性が考えられる。双方でデータが同じなら、その結論の違いは科学的データが原因ではない。むしろ、彼らの見解の不一致は、その論法によるものと言える。にもかかわらず、哲学では、科学に頼ることで、この問題を論理的に解決しようとしている。哲学者は、ヒトの胚に関する科学的データなくして、胚の地位や生命の始まりにおける問題を解消することはできない。 

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ありがちな混乱とその識別

哲学は、識別を行うことで、ともすれば混乱しがちな社会の解明に貢献する学問である。しかしながら、現代人はかつてない混乱に陥っているように思われる。以前より哲学を必要とする人が増えたのはこのためである。ただし、皮肉なことに、哲学科の多くがこの組織化された混乱の原因を作り、その固定化に加担している。人間の選択に影響を与える問題を解明するために、識別を行うという慣習に立ち戻る必要がある。これは自由を得るための必要条件である。混乱している人は自由を失っている。なぜなら、真理だけが我々を自由にするから。 (ヨハネによる福音書 八:32) 

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