日本 プロライフ ムーブメント

信仰と愛 「わたしたちも兄弟のためにいのちを捨てるべきです」(一ヨハネ3・16)

  親愛なる兄弟姉妹の皆様 1. 第22回世界病者の日にあたり、わたしは病気で苦しんでいる人々と、彼らを助け、 気づかう人々にとりわけ目を向けます。今年のテーマは、「信仰と愛 『 わたしたちも兄弟のためにいのちを捨てるべきです』(一ヨハネ3・16)」です。教会は、病者の皆様の中に、 苦しんでいるキリストの姿をとりわけ見いだします。そうです。わたしたちの苦しみのかたわらには、 そしてまさにそのただ中には、苦しんでいるキリストがおられます。 キリストはわたしたちとともに苦しみという重荷を背負い、その意味を明らかにしてくださいます。 神の子は十字架につけられたとき、苦しみに伴う孤独を打ち破り、その闇を照らしました。それゆえに、わたしたちは、 自分たちのために行われた神の愛の神秘に向き合うことができます。その神秘はわたしたちに希望と勇気をもたらします。 希望。神の愛のご計画の中では、苦しみの夜も復活の光に屈するから希望がもたらされるのです。そして勇気。 勇気があるからこそ、わたしたちはあらゆる苦境にもキリストとともに、キリストと一つになって向き合うことができます 。

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平和への道と基盤としての兄弟愛

1 このわたしの最初の「『世界平和の日』メッセージ」により、個人と諸国民を含めたすべての皆様に、 喜びと希望に満ちたいのちが与えられるよう、お祈り申し上げます。実際、 すべての人の心のうちには完全ないのちへのあこがれが宿っています。 このあこがれには兄弟愛への抑えがたい望みも含まれます。兄弟愛はわたしたちを他者との交わりへと駆り立てます。 こうしてわたしたちは、他者を敵や競争相手としてではなく、受け入れ抱き合う兄弟姉妹として見いだすのです。

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教皇ベネディクト十六世の347回目の一般謁見演説

2月13日(水)午前10時30分から、パウロ六世ホールで、教皇ベネディクト十六世の347回目の一般謁見が行われました。この謁見の中で、教皇はまず、11日(月) に表明した辞任についてあらためて述べました。 パウロ六世ホールを埋め尽くした会衆から何度も拍手が送られました。この後、教皇は、この日(灰の水曜日) から四旬節が始まるにあたり「イエスの誘惑と天 の国のための回心」について解説しました。以下はその全訳です(原文イタリア語)。

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「平和への道は命を尊び大切にする道」

今年も「日本カトリック平和旬間」が巡ってきました。1981年2月、教皇ヨハネ・パウロ二世は広島平和記念公園で「 戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死そのものです」で始まる「平和アピール」 を発表されました。これは核兵器の廃止と核戦争の拒否、 そして平和に対する責任をになうべきであることを全世界の人に向けて訴えたアピールでした。 これに応えて日本のカトリック教会は、8月6日から15日までを「日本カトリック平和旬間」と定め、 平和に対する責任を思い、平和について学び、平和のために祈り、平和を求めて行動する特別な期間としたのです。 

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障害のある子どもたち

「今日のあの子はどうしたのかしら。」と私は腹を立て、決まりの悪い思いをして言いました。いつもは積極的な3才の娘は、保育園の授業での全ての誘いに抵抗していました。娘、マディーは落ち着かない様子で指をくわえて、少し違った同じ年ごろの子どもたち…「特別な養護の必要な子どもたち」をぽかんと眺めて立っていました。 

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人間らしく産まれて来る権利

女性間同性愛者でも『彼女たちの』子どもをめぐって争うこともある。実際に妊娠して子どもを産んだ女性と、生殖過程には携わらずに、連れ合いの女性が妊娠することに同意しただけの女性の例である。これは、恋愛関係にあった女性間同性愛者カップルが離縁し、現在5才になる女の子をめぐって係争中という実際にアメリカであった事実である

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正義にいたる真の道

ティモシー・マクベィに対する評決の直後に、地元のラジオ局がデンバーの連邦裁判所から数マイル離れたところで「通行する車による陪審」のようなものを行ないました。文字通り、それは殺人者を処刑する(または電気椅子にかける)ことを望むなら、クラクションを鳴らすというものでした。6月4日、水曜日の終わりまでに、2万4千人以上ものコロラド州の住民がクラクションを鳴らしました。

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2人の息子と帰郷

子供は父親に背いた時、どんなことをするでしょう?まず、父親を避けます。もしこれができなければ、特に母親など、第3者がいることを確認します。怒りに直面した時には、子供は無言作戦をとったり、これがうまく行かない場合には、あらかじめ準備しておいた答えを使います。ふつうは誰か別の人のせいにする、という方法です。一方で父親は子供が自分の非を認めれば、自分はすでに許しているんだよということを言うことができるのに、と思っています。この父親の態度を「許しの父親のたとえ話」として多くの人に親しまれている「放蕩息子」(ルカ 15:1-3;11-32) に見ます。

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学ぶべき時 「ある10代の母親の思い出」

私が妊娠していると知ったのは、1980年の夏だった。それは結婚して新しい家庭を始めようとしている人にとっては喜ばしい知らせなのだろうが、私の場合はそうではなかった。当時私は高校2年生で16歳だった。未婚でとてもこわがっていた。とてもとても恐怖心に満ちていた。私は緊張して、恐怖が体に染み込んで離れようとはしなかった。涙を流す以外はなにもできなかった。母親になんて言おう。 

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