昭和20年8月15日
終戦から間もなく80年を迎えようとしています。
私が生まれた昭和26年は、未だ未だ戦争の傷跡が深く残っていました。
和歌山市塩屋の秋葉山のふもとには、戦災で親を亡くした子どもたちが暮らす「学園」と呼ばれていた施設がありました。
当時の私は、何も不自由の無い一般家庭で育ちました。
しかし、学園で暮らす子ども達との間には、言葉では言い表せない隔たりを感じていたと思います。
幼い心ながらに、当たり前の日常が、どれほど尊いものであるかを、その光景から学んだのかもしれません。
学園の子どもたちは、親の温もりを知らないまま、短時間で自立への道を歩まざるを得ませんでした。
しかし、その多くは希望を胸に、たくましく未来を切り開いていったことでしょう。
その姿を思い浮かべると、今も胸が熱くなります。
戦争孤児たちの存在は、戦後の混乱期を象徴する痛ましい記憶です。
和歌山市で育った市民の一人として、この記憶を風化させることなく、平和の尊さを次の世代に伝えていきたいと強く願っています。
戦争のない世界を築くために、一人ひとりが平和への行動を新たにする大切さをもう一度、皆さんお一人おひとりで考えませんか?
Yamaguchi Akimasa (ヤマグチ アキマサ)
山口 昭昌
特定非営利活動法人 エフエム和歌山
理事長
Copyright © 2025年8月9日
2025年8月9日許可を得て複製