日本 プロライフ ムーブメント

タケノコ狩りと自立について

ふつうタケノコは、「採る」ものであって「狩る」ものではない。しかし竹藪が広く、食べきれない分を宅配便で知人に 送ってもなお出てくる余分については、もう「狩る」しかない。うちでは、「やっつける」とも言っている。柄の長い鎌や 、長靴を履いた足そのものが武器になる。エイヤっと、切ったり蹴ったりして廻るのである。 

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人間のいのちの重さ

十八歳のとき、ボーイフレンドと同棲を始めるために引っ越した直後、妊娠していることに気づきました。私は子どもがいる生活を想像できず、脅え不安になりました。友人や家族に相談した結果、中絶することが現実的なように思えました。なんといっても、私は美しさも知性もある若い女性なのだし、輝かしい未来が待ち受けていると考えたからです。 

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最終局面:生殖技術の進歩と自然生殖の消滅

今我々が棲むこの時代、将来の見通しは急速に変化し、人の生殖技術の進化に脅かされている。この論文ではまず実例をいくつか挙げ、次に最も恐ろしい技術的オプションの一部を概説し、最後に生殖技術及びその力と社会との関係を分析する。

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結婚・生命と愛の共同体 ー ビクターガレオネ司教の司牧書簡

主において兄弟姉妹の皆さん、 1。 現在、いくつか州議会では、結婚というものを性別にかかわらない2人の成人の結合として、再定義しようとする法案が審議されています。そのような法律が制定されれば、伝統的な結婚と同性カップルの結合が等しいものになります。そのうえ、離婚件数は増加し続けて、オンラインで$50から$300の手数料を支払えば、今では正式な離婚さえ成立する状況にまでなっています。 こういった最近進行している事柄は、より深刻な無秩序の単なる症状に過ぎません。この無秩序の根本的原因が解決されるまで、失敗に終わる結婚は急増し続け、また社会のあらゆる面において性行動がさらに乱れ続けるだろうと憂慮しています。 この無秩序とは、避妊のことです。避妊はたいへん広く行われており、既婚カップルの90% が結婚生活のどこかで避妊を実践しています。どのキリスト教派の信者でも同じです。司教の最も重要な役割は教えることですので、私はこの分野におけるカトリック教会の見解と、より重要なこととして、その理由を皆様に再検討していただきたいと思います。 

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《生きることの意味》を問い直す

ある二人部屋の病室を訪問したときの話です。一人は、80歳代の女性で、もう一人は60歳代後半の婦人でした。 両者を仕切っているカーテンは開かれており、後者の女性はベットの上に正座して考え事をしているようでした。 私がお見舞いに伺ったと言って病室に入ると、彼女の方から話しかけてきました。 

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「すべてのいのちを守るための月間」をみのりあるものに。

「すべてのいのちを守るための月間」が設置されました。 教皇フランシスコの蒔かれた福音の種がゆたかなみのりをもたらすようにと、 日本の教会が立ち上がったことに心から敬意を表します。この画期的な新事業に参加協力できることは、 わたしたち信者にとって大きな喜びです。今年はコロナ禍で具体的な取り組みにまで至るのは困難だったかと思われますが 、今後じっくり時間をかけて、たとえば10年後の2030年に成果があらわれていることを一つの目標に、 年々育ちつづける手応えのある「月間」として継続発展していくことを期待します。そこで、 東京教区宣教司牧方針策定のための課題の2「継続信仰養成の整備と充実」および9「教区全体の『愛の奉仕』 の見直しと連携の強化」に関わるものとして、「すべてのいのちを守るための月間」 をみのりあるものとしていくための提言をおこないたいと思います。 

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「私は知らなかった」からの別れ

日本では甘利明経済再生担当相が辞任した。甘利氏は、千葉県の建設業者側から2度にわたって献金を受け取った件を認めたうえで、秘書に「適正に処理」するよう指示したと語ったが、 秘書が受領した500万円のうち、 200万円は適切に会計処理したが残りの300万円は秘書が個人的に使用した点が疑惑を呼んでいる。  今、書こうとしているテーマは甘利氏辞任劇とは直接関係がない。「私は知らなかった」という弁明について、 一種の哲学的な思考を巡らせてみただけだ。お付き合いを願う。  前日のコラムで紹介した元ナチス幹部のアドルフ・アイヒマンの公判での発言が気になった。「 私はユダヤ人虐殺の件は知らなかった」「私は上からの命令を受けてそれを従順に履行しただけだ」と述べたという。 この発言は死刑を逃れるためのアイヒマンの弁明だったのかもしれないし、ひょっとしたら、事実かもしれない(「 アドルフ・アイヒマンの恩赦請願」2016年1月30日参考)。  この発言を読んだ時、当方はナチス・ ドイツ軍の戦争犯罪容疑で国際社会から激しいバッシングを受けたオーストリアの元大統領、クルト・ワルトハイム氏( 1918~2007年)の事を思い出した。ワルトハイム氏もアイヒマンと同様、「 私は通訳将校としてバルカン戦線に参加していたが、ナチス・ドイツ軍のユダヤ人虐殺の件は知らなかったし、 知れる立場でもなかった」と当時、説明していた。両者の発言は酷似している。  両者の「その後」は少し異なった。アイヒマンは「人道への罪、戦争犯罪」で絞首刑を受け、 ワルトハイム氏は世界ユダヤ人協会を含む国際社会から激しいバッシングを受け、 現職中はオーストリアを訪問する国家元首はなく、淋しい王様と呼ばれ、最終的には再選出馬を断念せざるを得なかった。 ちなみに、大統領職を降りたワルトハイム氏は後日、「私の返答」という著書を出版して、自身の潔白を重ねて主張したが 、アイヒマンにはその時間は与えられず、絞首台に消えた。  「私は知らなかった」は、ある意味で容疑を受けた者の常套句だ。知らなかったから、「私は潔白だ」という論理だ。 もちろん、知らないのにその責任を追及されれば、堪ったものではない。誰かが悪事を犯した。その悪事を行った者の上司 、同僚だった、という理由で共犯扱いされたら、これまた大変だ。  一方、甘利氏の辞任が明らかになると、安倍晋三首相は、「私には任命者としての責任がある」と述べ、 閣僚の不祥事に謝罪を表明した。同じことが会社の不祥事でも社員の責任に社長が辞任に追い込まれるケースは少なくない 。ある意味で、共同体の連帯責任だろう。不祥事を知らなかったことは即、監督不行き届きという責任論が出てくる。  それでは、その連帯責任はどこまで該当するのだろうか。会社の場合、社員の不祥事に対して社長だけではなく、 その社員の直接上司の課長、部長が責任を負うケースもある。不祥事の内容でケース・バイ・ ケースというべきかもしれない。  ところで、人類の始祖アダムとエバの失楽園の話を思い出してほしい。旧約聖書「創世記」によれば、 エバは蛇の誘惑を受けて神の戒め、取って食べてはならないを破り、食べた。その直後、 エバは神の教えを破ったという良心の痛みから逃れるためにアダムを誘惑して彼も同じように食べた。 神がアダムとエバを追及する。アダムは「あなたが与えてくれたエバが食べるようにいいました」と述べ、 エバの責任を強調。一方、エバは「蛇が……」と弁明し、失楽園の深刻な結果 について、「私は知らなかった」と言い逃れた。  私たちは不祥事が生じる度に「私は知らなかった」と直ぐに口から飛び出す。驚きに値しない。「私は知らなかった」

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マザー・テレサが願っていたこと

修道女マザー・テレサ(1910~97年)は来年9月にも列聖(聖人)されることになった。テレサは1979年、修道会「神の愛の宣教者会」を創設し、貧者救済に一生を捧げた。 その功績が認められ1979年のノーベル平和賞(1979 年)を受賞し、死後は、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の願いで2003年年10月19日に列聖の前段階の列福(福者)されたことは良く知られている。そのテレサが今度は列聖されることになった。 

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私たちが失ったもの

当方は最近、2冊の小説を読んだ。1つは村上春樹著「海辺のカフカ」、もう1つは小川洋子著「博士の愛した数式」だ。 いずれも一気に読めた。「海辺のカフカ」では幼少時代の記憶を失う一方、猫と会話できる「ナカタさん」に、「 博士の愛した数式」では、交通事故で記憶が80分しか保たなくなった主人公の数学者の言動に、非常に感動を覚えた。「 ナカタさん」も「数学者」も社会から取り残された環境下で生きている。物語では、行方不明となった猫を探す「 ナカタさん」や、一日中、数式を考え、数学の懸賞金問題の解明に耽る「老数学者」の生き方、 その言動に他の登場人物が次第に惹かれていく様子が巧みに描かれている。 

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難民と人々の出会いのスケッチ

オーストリア最大の難民収容所トライスキルヒェに入ったアフガニスタンの青年は、「難民が多くて、 テント生活を強いられているが、3度の食を与えられ、薬ももらえる。オーストリア政府には感謝している。 なんといってもここは安全だからね」(オーストリア国営放送ニュース番組で)と答えていた。 

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君は「多様性」の果てに何を見るか

南米3カ国訪問中のローマ法王フランシスコは11日、パラグアイの首都アスンシオンの市民集会で、「 社会の発展には多様性が不可欠だ」という趣旨の話をしたという。同集会には同性愛者グループが招かれていた。   フランシスコ法王の「多様性」は同性愛者を支持する意味で使用されたのではないという。だから、法王の発言を取って、 カトリック教会が同性愛者を承認したとは受け取れない。しかし、 フランシスコ法王は同性愛者が招かれていることを知ったうえで、「社会の多様性」 という言葉を意識的に選んだことは間違いないだろう。 

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“美しい貧困者”はどこにいるのか

資本家に搾取されている労働者の解放を標榜し、資本主義に挑戦した共産主義は“赤い貴族”を生み出し、 独裁政権を構築した後、自壊していったが、貧しさ、貧困の解放を標榜する思想や運動が生まれる時、革命を迎える。「 貧困は時限爆弾だ」と評した社会学者がいたが、その爆弾を抱えながら登場したのがローマ法王フランシスコだ。 南米出身のローマ法王は前法王べネディクト16世ら歴代のローマ法王とはその出自が違っていた。「貧者の聖人」、 アッシジの聖人、フランチェスコ(1182~1226年)を法王の名前に選び、奢侈な生活を戒め、 バチカン法王庁の改革を訴えている。 

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聖トーマスに学ぶ「疑い」の哲学

聖トーマスをご存知だろうか。キリスト教会ではイエスの使徒の一人、 トーマスは疑い深い人間のシンボルのように受け取られてきた。「ヨハネによる福音書」によると、 トーマスは復活したイエスに出会った時、イエスが本物かを先ず確認しようとした。 イエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んで、その身体を確かめている。イエスはトーマスの求めに応じたが、「 見ないで信じる者は、さいわいである」と述べている。だから、教会で疑い深い信者がいたら、「 君は聖トーマスのようだね」といってからかう。 

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焼香を拒む韓国人の“病んだ情”

“隠れキリシタン”という表現に倣うとすれば、当方は“隠れ韓国ファン”だ。 日本の多くの文化遺産が朝鮮半島経由で日本に入ってきたことを知っている。 朝鮮民族と日本民族には同一性と相違点があることも学んできた。それでも「これはどうしたことか」 と思わざるを得ない出来事が16日、韓国メディアで報じられていたのだ。その話をする。 

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「どの人生にも『意味』がある」

オーストリアの精神科医、心理学者、ヴィクトール・フランクル( Viktor Emil Frankl,1905~1997年)が生まれて今月26日で110年目を迎えた。ジークムンド・フロイト(1856 ~1939年)、アルフレッド・アドラー(1870~1937年)に次いで“第3ウィーン学派”と呼ばれ、ナチスの強制収容所の体験をもとに書いた著書「 夜と霧」は日本を含む世界で翻訳さ れ、世界的ベストセラーとなった。独自の実存的心理分析( Existential Analysis )に基づく「ロゴセラピー」は世界的に大きな影響を与えている。 その心理学者の功績と生き方を紹介した世界初の博物館が26日、フランクルが戦後長く住ん でいたウィーンの住居でオープンされた。 

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「祈る人」が直面する試練

イスラエルの3人の青年が拉致され、後日、死体で発見されたというニュースが報じられた。 イスラム過激派組織ハマス側は関与を否定したが、イスラエル側は「ハマスの仕業」として報復を宣言した。その直後、 今度は1人のパレスチナ人の青年の死体が見つかった。イスラエル側は「パレスチナ人青年殺害とは関係ない、 ハマスの軍事拠点を中心に軍事攻撃をしたが、民間人を衝撃の対象としていない」と弁明したが、パレスチナ側は「 イスラエル側の報復」と確信し、イスラエルへの批判を強めている。 パレスチナ側とイスラエルの紛争はここにきて暴発する危険性を高めてきた。 

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韓国とユダヤ民族はここが違う

「ユダヤ民族は非常に知恵ある」ということを最近痛感させられた。ユダヤ民族はナチス・ドイツ軍によって数百万人の同胞を失った。大戦終了後、ナチス・ハ ンターと呼ばれたサイモン・ヴィーゼンタール氏(1908~2005年)は同胞を殺害した元ナチス責任者を世界の隅々まで探し回り、司法の場に引っ張っていった。その執念は想像を絶する。 その一方、毎年1月27日の「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 (International Holocaust Remembrance Day)には、民族を救済してくれた「ユダヤ民族の救済者」を称えるイベントを開き、感謝を表明している。 

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