日本 プロライフ ムーブメント

今、静かなる緊急事態がおきている

私は、婦人科臨床医として、この数年間の10代の性感染症(クラミジア、ヘルペスなど)の激増を目の当たりにし、戦慄を覚えるほどの深い危機感を持っている1。「都内山手線環内のHIV感染の罹患率はすでにアメリカを超えている」という国立国際医療センターの岡先生の報告は、私の恐れていることが現実的なものであることを示している2。 

昨年、私は順天堂大学医学部主催の「性感染症と若者の性行動に関するシンポジウム」に招かれたが、シンポジストとして同席された京都大学大学院の木原正博教授(エイズの疫学)は、「ネットワ-ク化する若者の性行動」と題して驚くべき報告をされた。今、若い世代では、男女とも同時に多数のパ-トナ-とつき合うことが半ば常習化しつつある、というのである。そして、木原先生は、「このような若者の性行動の変容によって、近い将来、日本でHIV/エイズが大流行するだろう」と警告された。まさに今、日本に静かなる緊急事態が起きているのである。 

なぜ、10代の性行動はこのように急激に変化したのであろうか? 日本では、1980年代なかばからテレクラやヘルス、ポルノビデオ、ポルノコミックなどの性風俗産業が急増し、急速に「性の商品化」がすすめられた。それと相俟って、「性の自己決定権」や「コンド-ムなど安全な性行為」を教えることを主眼とした性教育が推進された(safe sex message)。これが、若者の性行動に劇的な変容をもたらす大きな要因となった。スタンフォード大学教授で世界的な心理学者アルバートバンデューラ博士は、「子供達は自らが所属している社会の規範に従って行動する」と言っているが3、この15年間で、まさにその通りのことが起こったのである。 

このような、日本版性革命4の結果はどうだったか。乱交的性行動(promiscuous sexuality)や 性感染症の増加、「援助交際」という名の買売春の蔓延である。最近、性感染症の治療のため来院したある女性は、同時進行の彼氏が3人、その他にテレクラで知り合った7人の男と、1回2~3万円で売春行為を続けていると告白した。彼女は、人込みのなかに入ると急に下痢症状に襲われ、手の震えが止まらないと切実に訴えていた。10代の子供達をここまで追い込んでしまった社会的、思想的背景を探ってゆくと、「人間の価値」に対する、現代のわれわれの思想的混乱が見えてくる。 

10代の子供達にエビデンスに基づいた性教育を

東京都立大学助教授の宮台真司氏は、自由意志で行う単純売春(低年齢は除く)を合法化し、13歳以上には、性的自己決定権を認めて、<当たり前に性交することを前提とした>性教育プログラムを推進しようという、驚くべき呼びかけをしているている5。また、村瀬幸浩氏((一橋大学、津田塾大学講師)が代表幹事をしている、人間と性”教育研究協議会は、「科学と人権」に基づいて、積極的に子供達の「性の自己決定権」を支持する性教育プログラムを提案してしてきた。そのテキストの一部を紹介したい。「あなたが、いつ、だれと性交するかは、親や教師の決めることではなく、あなた自身がしっかりと決めることです—-二人で生きている中で感じられた寂しさは、時には肌恋しい気持ちになります。そんなときに、肌のぬくもりを通して、二人で生きていることを実感できれば、そこには強いパートナーシップもできあがるでしょう。まさに愛撫をともなった男女の抱擁は、とても大切なとっておきのコミュニケーションなのです。ここまで進んできたコミュニケーションとしての触れ合いは、性交という行為に近づきます」6。村瀬幸浩氏においては、人間の性は、「快楽」と「コミュニケ-ション」の道具である、という思想が徹底しており、人格的な部分やspiritualな要素は完全に排除されている7。1992年以来、文部省は積極的に性教育の推進を呼びかけてきたが、宮台真司氏や村瀬幸浩氏らの性教育思想が学校教育の現場に与えてきた影響は、決して小さくはない。しかし、それは、児童精神医学、性感染症学、心理学、宗教学、哲学などの諸学のエビデンスに基づいた性教育とは、とうてい思えないものである。 

未熟な性的体験(premature sexual activity)が非常に危険な行動であり、アルコールやドラッグ依存に結びつきやすいということは、今や世界的コンセンサスとなっている8。また、アメリカ人の評論家カーリイ トーマス氏が「コンドームは安全、などというメッセージは本当の脅威を覆い隠す偽薬にすぎない」と言っているように、9これまでの「安全な性行為」を教える性教育(safe sex approach)のあり方が、本当に有効であったのかということも厳しく問われている。 U.S. Department of Health and Human Servicesでは、欲望をコントロールする」性教育プログラム(Abstinence-based education–、A.E)に対して、1998年から2002年までに、年に5000万ドルを52の州に与えようというプロジェクトを、現在進行中である10。 

現在アメリカでは「安全な性行為を教える性教育」–“safe sex” approachが有効ではないことが認識され始めており、それにかわって、A.E.が採用さられつつある。十代のエイズ感染が深刻な状況にあるアメリカでは、政府の予防政策が大きく変わりつつあるのである。これらの変化は、公衆衛生学的なエビデンスにもとずいた、極めて妥当なものと評価できよう。日本では考えられない、迅速な「性教育」の転換である。 

今、人間の価値を教える「ホリステイックな性教育」が求められている

13才の子供にも自由に性交する権利を認めようという、日本の「性の自己決定論者」の誤りは、「コンドームは安全である」という、医学的には正しくない基盤に立っていることである。アメリカでは今、その誤りに気つき、「安全な性行為を教える」ことを主眼とした性教育のあり方が根本的に見直され、「自己抑制型」や「家族や人間の価値を教える」性教育の導入が真剣に考えられている。ロンドンタイムスのDamian Whitworthは、このようなアメリカの性教育事情を次のように報告している。「10年前なら一笑に付された、「欲望をコントロールする」性教育プログラム(A.E.)であるが、現在では、アメリカの性教育プログラムの三分の一はA.E.であり、子供達が、このようなメッセージを聴く機会が与えられたことは歓迎すべき事である」11。 

また、1997年のUSA Todayによる28000人の世論調査の結果でも56%の成人がA.Eを支持し、「安全な性交の推進safe sex message」が最も良い性教育であると考える人は31%に過ぎなかったという12日本の性感染症の蔓延はすでに危険レベルに達している。無責任なメデイア、性風俗産業の市民社会への侵食、極端な「性の自己決定論」に基づく誤った性教育が、どれほど若者の心と身体を蝕んでいるか、今、真剣に議論されなければならない。日本における性教育の創始者であった、内村鑑三門下の公衆衛生学者星野鉄男博士(金沢大学医学部(現)初代衛生学教授)は性教育の根幹を「快楽志向」ではなく「価値を志向する」ことに求めた13。博士の言葉は、今日においても真理である。子供達は、性的な問題よりもはるかに「生きる意味」や「価値を創造する」ことを探し求めているのである14。 


1 富永国比古、世界12月号、岩波書店、2000年 [Back]

2 岡慎二、性と健康、2000年11月号 [Back]

3 Albert Bandurra, Social Foundations of Thought & Action: A Social Cognitive Theory, Prentice-Hall, Inc., 1986 [Back]

4 アメリカで60年代後半から70年代にかけておきたsex revolutionは、アランブル-ムによって、厳しく批判されている–アランブル-ム、アメリカンマインドの終焉、1987年、、みすず書房 [Back]

5 宮台真司、<性の自己決定>原論—援助交際、売買春、子どもの性、紀伊国屋書店、1998 [Back]

6 おとなに近づく日々、東京書籍 [Back]

7 第18回日本思春期学会、Medical Tribune, 9/23/99 [Back]

8 Kay LE :Adolescent sexual intercourse. Strategies for promoting abstinence in teens Postgrad Med, 1995 Jun, 97:6, 121-7, 132-4)(Orr DP; Beiter M; Ingersoll G: Premature sexual activity as an indicator of psychosocial risk. Pediatrics, 1991 Feb, 87:2, 141-7 [Back]

9 Cal Thomas, “Free Love Is a Free Ride to Destruction,” Los Angeles Times, 11 November 1991, B11 [Back]

10 A National Strategy to Prevent Teen Pregnancy ANNUAL REPORT 1998-99 [Back]

11 the London Times Thursday Dec. 16, 1999 [Back]

12 National Coalition for Abstinence Education P.O. Box 536 / Colorado Springs, CO 80901-0536、(719) 531-3492 [Back]

13 伝記叢書星野鐵男、大空社、1994 [Back]

14 V.E.フランクル:生きる意味を求めて、諸富祥彦監訳、春秋社、1999 [Back]

Tominaga Kunihiko (富永 國比古) 
ロマリンダクリニック院長 
米国公衆衛生学博士 
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