ルカ3:1-6
福岡の大神学院に入学して、待降節に天神の街中で「クリスマス募金」のお手伝いをしました。生まれて初めて、街頭に立ちました。先輩たちと、行き交う大勢の人に向けて「ご協力をお願いします。クリスマス街頭募金にご協力をお願いします」と叫びました。
40年ほど前のあの体験が、司祭になってからいくつかの教会で街頭募金に立つ時に役に立ちました。子どもたちが恥ずかしくて声を出せない中、私がお手本を見せて、次第に子どもたちも元気な声で手伝ってくれました。
荒れ野で叫んでいるわけではありませんが、通り過ぎる大勢の人は無関心です。一方、私たちを眺める人の目は疑いの目でした。胡散臭い慈善活動と思ってジロジロ見ていたのだと思います。「募金はどこに送ったのか。これまでの送金実績を見せろ」と言う人もいました。
もちろんそんな中にも善意の人もいて、「あなたたちが毎年この時期に募金に立っているのを見ていました。悪い人たちではなさそうなので、今回から募金します」と言って協力してくれる人もいました。
徐々に、街頭募金も声かけのコツが分かってきて、上級生になると協力してくれそうな人とそうでない人とが目を見て分かるようになり、協力してくれそうな人の心に届けと願いながら「ご協力をお願いいたします」と叫んでいました。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」(3・4)これは具体的には、自分のためには全く得することが無いけれども、これからおいでになる救い主の示す生き方「道」に、各自の生き方「道」を合わせなさいと叫ぶことです。
100人のうち99人が無視して通り過ぎていく中で、「あなたの生き方を、もうすぐおいでになる救い主の生き方に合わせましょうと叫び続けるようなものです。洗礼者ヨハネは、あえてその先頭に立ちました。人が誰も暮らしていない荒れ野で、1000人に1人気づくか気づかないかの中で、耳を傾ける人をじっと待って悔い改めを呼びかけたのです。
待降節は、もちろんですが救い主の誕生を待つ季節です。しかし自分が待つだけの、受け身の姿勢では足りないかも知れません。救い主とその方の生き方をあなたにもあなたにも、自分の生き方としてみませんか。そのように積極的に働きかける待降節にする。これが待降節に期待されている行動的な過ごし方です。
今年、大人の洗礼の恵みがこの教会に与えられました。結婚にあたり、配偶者の信仰生活も共に歩みたいと考えてのことです。ここにお集まりの皆さんの中にも、すぐそばに「信仰生活も共に歩めたらいいな」と願っている人がいるのではないでしょうか。そのような人は、あなたの積極的な働きかけを受け入れてくれるかも知れません。「信仰も同じだったらいいな」という一言を、待っているかも知れません。
当然、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ぶ人が増えれば、耳にする人も増えることになります。私たちも、洗礼者ヨハネに倣って、「私は救い主の生き方に自分の生き方を合わせます。あなたも、生き方を救い主に合わせてみませんか」と、積極的に動いてみましょう。
救い主を待つ謙遜な生活、ゆるしの秘跡による心の準備、そばにいる人が同じ信仰を歩むような働きかけ。その中で信仰を共にするための働きは、自分のためには得することは無いかもしれませんが、もし聞き入れてくれたら、天の国の住人を一人得たことになります。
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ちょっとひとやすみ
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▼長崎カトリック神学院(小神学院)から創立記念日のミサにおいで下さいと招待を受けて参加してきた。本来は無原罪の聖母12月8日だが、今年は6日に行われた。神学生は五名と、自分が神学生の時代とは隔世の感があるが、しっかり意見を言える姿も見たし、希望があると感じた。
▼司祭たちは、出身教会から私ともう一人が出席していた。「司祭たちからも応援の言葉を」と促され、助祭の段階にあがる請願書を出すとき躊躇した経験を話した。生徒会長を務めた一年で、自分としては準備が整っていないので上にあがれないと指導司祭に話した。
▼すると指導司祭のラプラント神父様は「神様は、あなたが考えている準備の仕方でしか助祭に向けての準備が出来ない方でしょうか?そんなはずはありません。あなたが想像していない過ごし方をしていても、その中で神様はあなたを準備してくださったのです。それを信じるべきです」と促してくれ、その言葉に信頼して助祭叙階を受けたと小神学生に話した。違う方法でも、神は働き手を育て、用意してくださる。
Nakada Kouji (ナカダ コウジ )
中田輝次
カトリック福江教会
Copyright © 2024年12月8日(No.1327)
2024年12月9日掲載許可取得