ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は、去る7月27日、国の特別史跡「三内丸山遺跡」(青森市)をはじめとした「北海道・北東北の縄文遺跡群」を世界文化遺産に登録することを決めました。登録されたのは、北海道と青森・岩手・秋田の3県に点在する17遺跡。1万年以上続いた様々な年代の遺跡が点在する地域です。
“縄文”は日本独自の時代区分で、世界史的には新石器時代に入るそうですが、農耕・牧畜と定住がほぼ同時に始まった世界の他地域とは異なり、縄文の人びとは獣や魚、果実などを採って食べる「狩猟・採集・漁労」の生活をしながら一カ所に定住するようになりました。土偶や墓などに複雑で豊かな精神文化を見て取ることができます。
昔、日本史を学んだ時には、縄文はプリミティブな時代で、弥生時代こそ優れた時代という教え方がなされていたような記憶があります。しかし現在は、縄文時代こそ素晴らしい時代だった。だからこそ1万年以上続いたのだと評価されるようになってきました。縄文時代、人間は自然の一部として、自然の恵みをありがたくいただく心で暮らしていました。そこには支配のない平等な世界観と平和がありました。
しかし、弥生時代になると人びとの世界観が大きく変わってきます。そこには稲作が深く関わってきます。稲作は、大陸の戦争や支配の思想と一緒に伝わってきました。人は水田を造り、自然をコントロールすることを覚え、次第に人をもコントロールするようになります。土地や水利権の奪い合いも頻繁におきるようになります。環境破壊や気候変動の問題が深刻な現在、縄文の心を改めて学びなおすことが求められているのかもしれません。
福島市の桜の聖母短期大学で1年半前まで栄養学を教えておられたCND(コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会)の池田洋子シスターの「祈りのエッセー」⑬の一部をご紹介したいと思います。
「(世界遺産登録)のニュースになぜ私の心は踊るのでしょうか。今は縄文時代に興味関心がありますが、その扉を開けてくれたのは、私のゼミの学生でした。その始まりは<縄文クッキー>を研究したいとのある学生の申し出でした。研究対象は学術的には素材から実態まで不明ですが、縄文時代の早い段階から作られていたクッキー状の炭化物です。長野県の曽利遺跡で初めて出土し、その後は東日本の様々な遺跡から出土しています。縄文時代には食料の保存加工技術が進展し、どんぐりなどの堅果のアク抜き技術が確立したために、アク抜きされた堅果などのデンプン質を石皿や磨石を用いて粉食することが可能になったと考えられています。長く重い扉を開くためには学生以上に勉強しなければならない私がいました。
それから2年後、何とゼミ学生全員と一緒に<縄文会席>を開発する機会が巡ってきたのでした。2020年に創業180年を迎える老舗旅館とのコラボです。この旅館に卒業生が嫁いでおり、その御主人である社長が縄文時代に惹かれていたのです。彼は福島市には縄文時代の遺跡もあり、縄文文化を感じられる食事を提供すればお客様に楽しんでいただくことができると思いつかれ、創業180周年記念イベントとして<縄文会席>を出すことを考えられたのでした。賛同した私は、日本食が乱れ、食文化の継承も危ぶまれている今日にあって「日本食の原点」に一度立ち戻ることは大切なことでもあるとも考えました。
学生たちは1年かけて文献調査からはじまり、縄文時代中・後・晩期の宮畑遺跡見学、旅館の総料理長からの指導を受けながらレシピ開発などを行い、最後はロータリークラブの方々に試食していただき、アンケート調査も実施することができました。縄文会席は<縄文の舞>という名が付き、その中の「いちご煮の炊き込みご飯」「酒粕とお米のジェラート」を学生たちは開発しました。有意義な学びの翌年はコロナ禍。180年の風雪にも耐えてきた老舗旅館とは思いつつ、祈り続けている日々です」。
自然の恵みをおしいただく縄文の心は、フランシスコ教皇の回勅『ラウダート・シ』の主張に響きあうものを持っているようです。「わたしたち皆がともに暮らす家は、わたしたちの生を分かち合う姉妹のような存在であり、わたしたちをその懐に抱こうと腕を広げる美しい母のような存在です」(回勅『ラウダート・シ』冒頭の言葉)。
Matsuo Mitsugi(マツオ ミツギ)
松尾 貢
主任司祭
Copyright ©2021年8月22日
掲載許可取得日 2025年10月30日
