日本 プロライフ ムーブメント

日本の十八番「いのちをいつくしむ文化」がSDGsを完成させる。

持続可能な開発目標SDGsは、国連がそのマニフェストの中で「誰一人取り残さない」と宣言したように、人類が一つの家族になることを目指す壮大な取組みです。17個の色とりどりのシンボルマークは、それぞれの分野で「誰一人取り残さない」を実現するための具体的な目標を示します。一人残らず家族みんなが、家族みんなに関わる大切なことがらが、ぜんぶそこに描かれているんですね。なるほどSDGsってすごいんだね!って感心しながらうちの家族みんなで17のピクトが並んだ図を眺めていたら、すみっこの空いているスペースに、もうひとつ「18番目」を置いてみたくなりました。だって、一人足りないんじゃないの? お腹の赤ちゃんも家族だよね? 上の息子の指摘にこたえ、下の娘が妊娠12週のときのエコー画像をモデルに、勝手に18番目のシンボルを作ってみました。SDGsを推進するみなさん、どうでしょう。こうしたらもっとおさまりがよくなる気がしませんか。だって、この子たちも誰一人取り残したくないよね?

もちろん小学生の子どもが考えるほどそんな簡単な話ではありません。だから実践的なSDGsは、産まれる前のひとについては、その立場に立ってモノを考えたりはしません。妊産婦の立場に立つのみです。日本にいるとピンと来ませんが、世界の多くの国ではお腹の赤ちゃんの絵柄を差し出すだけで波風が立ちます。産まれる前の存在をめぐって賛否両論の激しい政争が続き対立が止みません。争点になるのは、SDGsにもうたわれている「性と生殖に関する権利」です。この問題に中立の立場はないのかもしれません。赤ちゃんの生きる権利のほうが大事じゃないの?と子どもたちなら素朴に思うかもしれません。でも、いわゆる「産む産まない」の選択ができなければ、SDGsの理念に反して現実に女性は「取り残され」ます。そして結果的に、より多くの「産まれる前の子ども」が取り残される事態を招きます。女性の立場を優先するSDGsの方向性に間違いはありません。女性が守られなければ子どもが守られることもありません。

一方で、お腹の赤ちゃん画像に否定的なひとたちの言い分は、そのイメージが「望まない妊娠」をした女性への圧力になるというものです。そうかもしれません。この「18番」も女性に働きかけたい狙いがあります。でもだからといって「性と生殖に関する権利」に抗うつもりもないし、もし万が一にもこのマークを目にすることが「産まない」選択を考え直すきっかけになるとしたら、それはお節介以上の意味を持つでしょう。「産まない」選択を否定することなく、「産む」選択がしやすい社会を目指すこと。それも「誰一人取り残さない」SDGsの一つと考えることができるのではないでしょうか。 どんなに小さくても、たとえ親の手に余る厄介な存在であろうとも、この世に授かったいのちは人類家族の一員として迎えられるように。立場を超えて、対立を超えて、わたしたちひとりひとりに出来ることはいろいろあるはずです。18番目のスペースを埋めるのは、目標というよりSDGsの理想です。そこに至る道は、規制ではなく愛です。 

いのちは授かりもの。日本人が心の底からそう思える精神は、古より培ってきた「いのちの文化」です。もともと日本は、村々で間引きや堕胎が横行する国で宣教師たちを仰天させました。戦後は世界で随一の合法中絶国となり「中絶天国」と海外から揶揄されました。キリスト教の建前が強固だった昔は、西欧にとって日本は異常な国だったでしょう。でも今はちがいます。日本を揶揄した国々のほうが「中絶天国」になり「死の文化」を蔓延させています。今日、「いのちの福音」を告げ知らせる責務を負うべき国は日本です。泣く泣く子どもを殺めてきた過去が、いのちをいつくしむ未来を用意していたのです。いのちは授かりものだから「誰一人取り残したくない」という日本人の思いを世界に広めたい。なのでピクトの色は日章旗の赤に、赤ちゃんマークは日の丸と重なるようにまんまるに。十八番と漢字にすると「おはこ」です。いのちをいつくしむ文化は日本の十八番です。 17のSDGsを完成させる「18番」の提案を日本から。

Masaaki Ikeda(イケダ マサアキ)
池田正昭
マーチフォーライフ実行委員会 代表
出典 ikedam
Copyright © 2021年1月7 日
2021年9月22日許可を得て複製