日本 プロライフ ムーブメント

いたるところに聖ジアンナがいる国で

2020年、女優岡江久美子が永眠した。癌の治療中にコロナ死したと報じられた。名女優の突然の悲報に日本中が悲しみに暮れた。彼女は「日本のお母さん」と親しまれる存在だった。

日本語で母親は「お母さん」と呼ばれる。日本人の誰もが思い描くお母さん像を体現する存在が岡江久美子だった。彼女を一躍スターダムに押し上げたのがテレビドラマ「天までとどけ」である。平日昼間の時間帯のシリーズドラマとしては異例の高視聴率を記録したこの人気ドラマで、岡江は13人の子どもを持つお母さん役を演じた。実話をもとに制作されたドラマで決して現代のお伽噺などではない。

大家族の賑やかで平和な日常を描いたドラマが、13人目の妊娠の発覚から急展開する。妊娠と同時にお母さんの難病が発覚し、医師から堕胎をすすめられた家族は苦悩する。すでに高校生や中学生になっている年上の子どもたちは、お母さんに生きてほしいから堕胎してくれるよう懇願する。岡江お母さんはやさしく子どもたちに微笑みかけながら、自分に堕胎する意志がないことを告げる。自分自身と子どもたちを説得したのはこのひとことだった。「最後は神様が決めてくれると思うの」。

すべてを神に委ねた彼女は無事出産する。健康を回復した彼女を中心に大家族のドラマは続く。断っておくが、ドラマの中で彼女はクリスチャンという設定だったわけではない。しかし彼女のこのストーリーを聞いて聖ジアンナを思い起こすひとがいても不思議ではないだろう。

プロライフの聖人ジアンナ・ベレッタ・モーラを日本人は知らない。国民の99%以上が非カトリックだから仕方ないだろう。しかし聖ヨハネ・パウロ2世によって列聖された彼女のストーリーは日本人にもわかりやすい。自分のいのちに代えてお腹の子どもを守った彼女のおこないは殉教に値すると教皇は称えた。

僕は機会あるごとに非カトリックの日本人に聖ジアンナを紹介している。”布教”の一助になればと願いつつ。日本人の多くは聖人とはなんなのかよくわからなくても、それが極めて稀な存在を意味することは知っている。「踏み絵」を踏まずに虐殺された江戸時代の殉教者たちが想像を絶する極めて稀な存在であるのは言わずもがなである。しかしジアンナのケースは“極めて稀”なのか?

どうも日本人にとっては、極めて稀な奇跡の女性というよりも、ジアンナは身近にいる親しみやすいお母さんという受け止め方をされるようである。聖ジアンナの話をすると、驚きをもって受け止められる代わりに「うちのお母さんもそんな人だったかもしれない」という反応がしばしば返ってくる。

岡江お母さんも特別な女性ではない。13人の子どもを産み育てたことは特別だが、彼女に自分の母親を投影するひとは少なくない。お腹の子を命懸けで守る気概は、岡江が演じた母のみならず、日本のお母さんには標準装備されている。その語の響きが宿す言霊は自己犠牲を美徳とする母性である。だから一部のフェミニストたちは「お母さん」という語を嫌う。

日本でマーチフォーライフを実施する困難はここにある。聖ジアンナの尊いおこないを告げ知らせることがプロライフ活動の目的の一つなのだとしたら、無名の聖ジアンナは日本のいたるところにいる! 堕胎は女性の権利であるといくらフェミニストが訴えようと、お母さんには基本的に堕胎というチョイスがない。「死の文化」に対抗するために世界各地でマーチフォーライフが立ち上がるわけだが、日本の場合、すでに「お母さん」という存在が「いのちの文化」を守る盾として社会に偏在する。わざわざイベントを企画しなくとも、ひとりひとりのお母さんがそれぞれの日常の中で歩む一歩がマーチフォーライフなのである。

もちろん堕胎がないわけではない。ある意味、堕胎も日本の文化である。貧しさゆえに、たとえば妊娠した13番目の子どもを諦めざるをえなかった母親もいるだろう。これ以上食い扶持が増えたら一家はやっていけないと上の子どもたちに懇願されたら、岡江のように自然体ではいられないかもしれない。「死ぬより辛い重荷を自分は地獄まで背負っていく」と覚悟するのが堕胎を経験した母たちの常である。そのメンタリティも昔も今もさして変わらない。

「いのちの福音」で訴えられた聖ヨハネ・パウロ2世の呼びかけに応えようと思い立ち、ワシントンD.C.のマーチフォーライフに参加したことをきっかけに2014年に開始した日本のマーチフォーライフ。規模は小さいながらも毎年途絶えることなく歩みを続けてきた。来年で10周年を迎えるが、背後に無数の「お母さん」がいることを意識しながら、これからも歩み続けるだろう。

「死の文化」に邁進するロー対ウェイドの異様な時代をとおして、西洋世界は「いのちの文化」の根っこを失ってしまっただろう。ようやくロー対ウェイドの時代が終わった今、「いのちの文化」の芽を探し出し実をつける努力を始めなければならないだろう。「いのちの文化」の根っこ。それはきっと日本で見つかるだろう。日本の精神風土は「いのちの文化」のゆたかな土壌を担っている。戦争や震災などの苦難のときを経て、それはますます強固なものとなっている。「いのちの文化」の提唱者である聖ヨハネ・パウロ2世も、その根っこが日本にあると聞けば天国でお喜びになるだろう。極東の島国は、空飛ぶ星座がこよなく愛する国だった。

ポスト・ロー対ウェイドの行方を模索する世界のプロライファーは、これからは戦略的に日本とつながることが大事である。来年以降は日本が世界のマーチフォーライフの中心となっていてもおかしくないと思う。ぜひ日本で、お母さんと出会ってほしい。生きた聖ジアンナに触れてほしい。

Masaaki Ikeda(イケダ マサアキ)
池田正昭
マーチフォーライフ実行委員会 代表

2022年12月1日 掲載許可取得

2022年12月5日掲載