日本 プロライフ ムーブメント

この子のいのちに「はい」と言う

私はずっと、母親になる日を夢見てきました。子どものいない人生は想像できませんでした。私の最初の息子は、予想外の、信じがたい、そしてぞっとするような出来事によって身ごもりました。ある秋の夜、女性を大切にすることを知らない男性に脅され、私は妊娠しました。私は十九歳で、人生について何も知りませんでした。二か月後、事実に直面しました。私の中でいのちが育っていたのです。

どうすればいいの? おろす?

 私は、考える力を奪い去る絶望、いちばん近くの橋から身を投げるように駆り立てる絶望、堕胎を選ぶように追い詰める絶望を理解するようになりました。私はこういったすべての感情を体験しました。ですから、私と違う選択をしたほかの女性たちを裁くようなことは、私には我慢できません。ほんの少しの違いなのです。事実を「知って」からまもなく、自殺はやめることにしました。しかし、中絶によってこの望まない存在を厄介払いしようと固く決心していました。それは簡単なことのようでしたが、日がたつにつれ、決断したことがよくわからなくなり、良心がうずきはじめました。もうどうしたらいいのかわからなくなり、知り合いの司祭に相談しに行きました。神父様の祈りに助けられ、眠れぬ一週間、たくさんの涙、多くの祈りと話し合いの末に、私は「この子」のいのちに「はい」と言いました。「私」のいのちに小さな「いいえ」を言っていることを意識しながら。

この子の存在には意味がある

 この見知らぬ子を産むことを受け入れたとき、私は自分の教育、自分の家族を犠牲にし、未知の未来に向かっていることをわかっていました。すべてが不安でした。「人に何と言われるか」、子どもが受け継いでいる性質、孤独、特に私が愛し、私を愛してくれる婚約者に私が強いてしまった苦しみ。

 十字架は、往々にして運ぶのに重いものです。自分に死ぬことは受け入れがたいことです。しかし、十字架を通して復活が現れてきます。私はゆっくりと、少しずつ理解するようになりました。その子のいのちの始まりが偶発的であっても、あるいは本当の愛によるものであっても、一人ひとりの子どもはいつも「インマヌエル」、「神は私たちと共におられる」であり、二千年前に生まれた神‐人の神秘、小さく傷つきやすい存在になることを選ばれた神の神秘をよりよく理解するように助けてくれる存在だということを。

この赤ちゃんのために父親を

 「晴天の霹靂」のようなこの赤ちゃんにいのちを与えたこと、自分のいのちの小さな一部分を与えたことを、私は喜んでいます。この子の誕生によって私は成長を強いられました。いのちを尊ぶこと、非暴力、最も小さないのちを受け入れること、いのちそして神に信頼を置くこと。こういった自分の理想を生きるように成長させられました。

 愛は恐れよりも強いこと、一人ひとりは類ないユニークな存在であること、信じることに忠実であることは、困難であっても平和をもたらしてくれること、私たちの人生・いのち全体が神からのすばらしい贈りものであることを、息子は私に教えてくれました。神が苦しみをゆるされるとき、それに耐える力をも与えてくださることに、私は今、気づいています。神は私たちを恵みで満たし、ご自分の復活の光のうちにその苦しみを見つめるように呼ばれるのです。また私は、子どものいる女性も、ありのまま愛されるということを証ししたいと思います。私の婚約者は、家族や「友人たち」の圧力、将来への不安にもかかわらず、私を見捨てることなく、「私の」子の父親になることを申し出てくれたのです。子どもは「私たちの」子になりました。

いちばん上の子

 最後には愛が勝利し、私たちは幸せのうちに、お互いを信頼しながら結婚しました。今日、私たちは小さな家庭を築いており、いちばん上の息子はその一員としてよく溶け込んでいます。十一年前にこの子を受け入れなければ知ることのなかった、あらゆる幸せと豊かさを私たちは見ています。とても強烈なかたちで、いのちを受け入れることへと私たちを開かせたこの子のために。

                            カテリーヌ

Editorial (オピニオン)
エマヌエル共同体機関紙
Il est vivant! 保存版 「愛といのちについての50のQ&A」より
翻訳者 佐倉 泉
Copyright ©2021.3.22
2021.4.23許可を得て複製