日本 プロライフ ムーブメント

重い障害をもった方の終末医療についての仮討論

生まれてから40年、S君は一度も言語を持たず歩行も獲得しませんでした。両親の在宅で人生を送らせるという想いで30年間、山深い小さな村で育ちました。 

どこの田舎家にもあるような、村人が気軽に入ってくる土間のかまどにつながる10畳ほどの部屋で生きてきました。猫の額ほどしかない田んぼと山々に囲まれた10軒ほどしかない小さな村でした。村のみんながS君のことを知っていて、村人の援助の手も日常的にありました。いわば村でS君を育ててきた「村の子ども」でした。 

S君は30歳を迎える頃から脳性マヒの二次障害で呼吸がつらくなり、感染を繰り返すようになりました。食事も若い頃のように嚥下(のみこみ)がうまくいかなくなりました。 

両親は断腸の想いでS君を障害者入所施設に預けることにしました。親兄弟含めた自分たちの生活のリズムを守るためと何よりもS君の快適な生活を保障するための決断でした。入所後、随時口からの栄養摂取を少なくし胃ろうによる補給もはじめ、気管切開もしました。表情豊かで施設のスタッフからもかわいがられる気のいいおじさんでした。 

この10年間に何度も何度も「もうだめか」といいながらスタッフの治療や介護で修羅場をくぐり抜け不死鳥のごとく蘇り、笑顔を取り戻しました。S君神話ができるほど本人の生へのがんばりがありました。 

そして41歳を迎えてまもなく、これまでは乗り越えてきたはずの肺炎で亡くなりました。2か月間の人工呼吸器をつけたS君の生への戦いでした。 

その戦い方について、後日、両親や施設スタッフ、スタッフの中でも職種の違い、担当病棟の違い、経験年数の違い等々様々な要素で終末の医療、看取りのあるべき姿が異なりました。 

短い戦いのあらましは以下の通りです。 

呼吸困難に陥った時はすでにこれまでの肺炎の繰り返しなどで片方の肺はほとんど潰れ、残った肺も正常にふくらむ肺はレントゲン上ごくわずかでした。抗生物質に反応しない細菌で、呼吸できる残された肺は日々減っていきました。全身の循環状態も落ち込み、病棟には緊張感だけでなく一方向的に進む病状へのイライラ感、ピリピリ感が錯綜しました。 

約1か月後、両親とスタッフが今後の治療や介護を話しあいました。 

父親から「もう脳死ですか?」と。「いいえ、脳死ではないのですが、積極的治療を続けても肺の回復は望めずごく近い時期に心臓も止まると思われます」と。父「もう十分がんばって生きてきた。無理な治療はしないで下さい。施設も10年間本当によくやってくれました」。施設責任者は「それでは、今後過剰な薬の投与や新たな攻撃的な治療はやめましょう」と確認しました。 

それから1か月、申し合わせとは違って、現場では積極的な治療が展開され、少し改善し、一度だけシャワーも浴びました。でも病魔の流れを変えることはできませんでした。その間年老いたご両親や親族が施設からの緊急呼び出しに夜、狭い山道を駆けつけることが何度かありました。人工呼吸器の条件はどんどん悪くなり、酸素濃度は100%、気管内からの鮮血もみられるようになりました。血圧をあげる薬も極量を越えました。最後の場面には、親が看取る前で、申し合わせではやらないはずの心臓マッサージが医師によって実施されました。 

親は終始、「本当によくやって下さいました。ありがとうございました」と疲労しきった表情で感謝の言葉以外出ませんでした。 

親代わりに生活や治療を支援してきたスタッフの看取りの反省会では意見は分かれました。主治医は、一分一秒、いのちを長くするためにがんばったつもり。積極的治療放棄は安楽死につながる、治療方針に大きな間違いはない。みんなで静かに見送りたかった。最後の最後まで医師のイニシアティブで「治療」することがよかったのか。途中家族に十分情報が話されたか。もっとあらゆる職種でミニカンファレンスを開いて意思疎通を計るべきであった。医師の方針が看護を含めたスタッフにうまく伝わらなかった。医師の方針も途中揺らいだ。(治療には主治医以外に施設医師の4,5人が関与していた。)親が「ありがとう」と異論がなかったので、それでよかったということでいいのだろうか。親の成育環境や年齢、そして施設へ10年預けていた感謝もあって十分本音がいえなかったのではないだろうか。最後は自宅で看取れなかったか。現在は訪問看護の看取りが十分ではないが、今後そのような方向もあるのではないか。S君自身は最後をどう迎えたかったのだろうか? 

以上、最近の経験を参考に意思表示できない重度脳障害者の終末医療の場面を仮に作りました。筆者自身が施設長という立場です。責任ある判断をしなければいけないのですが、「これが方針」というものが現時点で見いだせません。 

親を含めた看取りのスタッフみんなが、状況がかわるごとにわかりやすい情報公開し、討論しながら方針を決めなければいけないと思います。 

終末医療はマニュアル化すべきものではないのですが、いつも正解はどこにあるのかわかりません。死に逝く本人の死に様を表現できる場合はそれが参考になります。意思表現できない新生児、乳幼児や障害の重い方の場合はさらに難しいと思います。一例一例、一人一人、本人の生き様から推し量った看取り方を丁寧に判断していかなくてはいけないと思います。限りあるいのちの重さを医療技術はどこまで追求したらよいのか、いのちは心臓が動いている/動かすということなのか、筆者には明瞭なこたえがありません。 

読者の皆様のご意見・ご教示をお願いします。 

Sugimoto, Tateo (スギモト・タテオ)
杉本 健郎
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