日本 プロライフ ムーブメント

法然と親鸞展-ゆかりの名宝-に行って(前編)

昨日の午後は上野の東京国立博物館に行き、法然と親鸞展に行きました。今年は法然上人八百回忌・親鸞上人七百五十回忌という年で、日本を代表する二人の宗教家は現代人に何を語っているのか?耳を澄ます気持で館内に入りました。

まずは入口が仏教で有名な「二河白道図」という絵を表すつくりになっており、右側が水に溺れるような貪(むさぼ)りの世界、左側は炎の燃える怒りの世界というイメージで、その中道を細い糸のような白い道があり、絵の中だと背後から恐ろしい獣や群族が追いかけて来る・・・その時、何処からか天の声がする(目の前の白い道を渡る決心をしなさい・・・)(私が必ずあなたを守ってあげよう・・・)その不思議な声を信じて、細い白い道を渡ると、目の前には極楽浄土のひかりが溢れてくる・・・そんなこの世と天を繋ぐ縮図のような世界を感じました。 

人それぞれの局面においても「道を渡る決心をする」という時が、人生で何度かあるでしょうし、日々の小さい出来事にも、勇気を胸に一歩を踏み出すことが問われており、天の声を信じて無心でその足を踏み出した時、日常の素朴な場面の中に天の面影が垣間見える瞬間があるのかもしれません。フランスの哲学者でベルグソン(1859~1941)は「意味時間」について語っていますが、同じ3分でも楽しければあっという間で、苦しければ長い長い時間に感じる・・・つまり時間というものは、その時の心理状態で伸びたり縮んだりするのですが、自分らしく充実する「本当の時間」を生きる時、人はこの世においての極楽浄土にいるのかもしれません。 

この手紙を書いている僕も、読んでくれているあなたも、お互いに「道を渡る決心」で「今日一日」を無心で歩み、一日を終えた時に何とも言えぬ静かな歓びを胸に家路に着くことを、心から願っています。 

「絵の世界へ」


 昨日は職場の会議で、僕が希望していた場所で働くことが発表されたので、帰りに寄ったファミレスで決意の詩を書きました。皆さんもそれぞれの道の途上で何度か「人生の節目」という時期があると思いますが、そんな今の僕の心境が伝わると、嬉しいです。 


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絵の世界へ

           服部 剛 

今日、天は私に 
新たなる日々の舞台を与えた 

「12月から服部君がうちに来ます」 
会議で所長は皆に、言った 

「これからの現場をつくる1人になりたいです」 
密かな決意で、あいさつをした 

ひと時、暖かい拍手に包まれながら 
私は武骨に、頭を下げた。 

帰りの下駄箱で 
私は礼を言いたかったが、何故か言葉が出なかった 
所長も何か言いたげだったが、言葉を胸にしまっていた 

今迄道草をしていた10数年は 
今日へと至る 
長い回り道であった 

これから幕を開ける 
舞台の上で 
私は私という役を演じるだろう 

日常の素朴な場面が 
一枚の絵画に生まれ変わるように 
目の前にいる隣人に 
私は自らをまっすぐ捧げる――  


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 人と人の出逢いが縁であるように、職場との縁というのもあり、僕が敬愛する遠藤周作の小説の舞台を求めて、6月に新婚旅行で長崎への巡礼の旅から帰ってから何かが加速するように、様々な出来事を通して今の職場に導かれたのを感じます。遠藤周作の遺作である「深い河」の登場人物は「神は、マイナスの出来事さえもプラスに変える手品師です」というような台詞がありますが、日々の喜びも悲しみも含めて、今の状況に繋がる道だったのでしょう。 

 長く慣れ親しんだ職場に別れを告げて新天地を選ぶというのは、僕にとって一つの決断でしたが、相談した嫁さんも賛成してくれて、正式に昨日の発表があって、これから織り成される物語の予感が、ふつふつと胸に湧いて来ているところです。思えば前の場所で長い間働いて、いつのまにかマンネリしている自分がいたので、人生には何度か思い切って環境を変える時、というのがあるのでしょう。 

 これからの日々で僕は(ほんとうの自分を作り直したい・・・)(ほんとうの時間の中を歩みたい・・・)と思っています。その為に、この詩の最後の連に書いたように、日常の何でもない場面に潜む(何か)を見出したいと思います。この手紙を読んでくれている あなた を、自分らしく輝くほんとうの道へと、目には見えない風が導くように・・・願っています。 

Go Hattori(ハットリ ゴウ)
服部 剛 
日本の詩人。
出典 「ポエトリー・シアター」
Copyright©2011.11.16.作詞
Copyright©2011.11.18作詞
2021.7.29.許可を得て複製