日本 プロライフ ムーブメント

新年に希望を

「木には希望がある。木は切られても、また新芽を吹き、若枝の絶えることはない」と聖書のヨブ記14:7に書いています。確かに木というのは秋になると葉っぱが枯れ落ち、冬にはまる裸になります。しかし、一見枯れてしまったように見えても、また春には新しい芽を吹き出します。これは希望の象徴です。

2016年にローマのバチカンで「受刑者たちの聖年」が祝われました。教皇フランシスコは聖ペトロ大聖堂で受刑者たちのためにミサを捧げられました。ミサの説教で神の愛に基づく「決して失望することのない希望」を説かれました。”希望とは神の賜物です。わたしたちはそれを神に願わなければなりません。希望はすべての人の心の一番奥底に残っているものです。人間は悲しみや苦しみによって闇に置かれた現在をその希望の光で照らして欲しいと願っているのです。わたしたちの心の中で神の愛が届かない場所はありません。過ちを犯した人がいるところに、神のいつくしみはより注がれ、悔い改めと、赦し、和解、平和への思いを掻き立てます。法を犯したことで有罪判決を受け、受刑生活をおくることになっても、誰も何ものも、希望の息吹をかき消すことはできないのです”。教皇はこのように話されました。

また、教皇はある刑務所の受刑者たちに送られた手紙の中で、受刑者たちは時間が止まったかのように見える世界に生きていても、真の時間は時計によって測られるそれではないと指摘されました。真の時間は希望によって測られると説きつつ、信仰による希望の光をいつも灯し続けるよう励まされました。受刑者たちに送られたもう一枚の手紙の中で教皇は、刑務所の中にいることで”自分の年月が失われた時、一時的な懲罰と考え過ごすのではなく、心の平安、生まれ変わる力と、決して裏切ることのない神の希望のうちに生きる道に戻る力を見出すための真の成長のさらなる機会であることを願っています”と書かれました。

さて、人間は希望がなければ生きることのできない存在だといわれます。ナチスによるアウシュビッツ収容所では、希望を失った人から亡くなっていったそうです。生き残った人々は希望を最後まで失わなかった人たちでした。新型コロナウイルスのパンデミックが続いている中、私たちはいのちの危険を感じながら生活を送っているかもしれませんが絶望の中にも希望の星(イエス・キリスト)が輝いていることを忘れないようにしたいと思います。神様の導きに導かれる人には、希望のともし火が消えることがないでしょう。なぜなら、イエス様が同じ希望を持ち、愛の生き方によってその希望を叶えることを示してくださったからです。

Bradly Rozairo(ブラッドリー • ロザイロ)
オブレート会管区長
出典 聖母献身宣教会(日本オブレート会)サイト
Copyright ©2021年1月23日
2021年10月2日許可を得て複製