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中絶の精神的外傷と幼児虐待

過去25年の間に、幼児虐待の割合は劇的に増加したと専門家は主張しています。一九七六年と一九八七年の間だけでも、幼児虐待の報告された事例が3.3倍も増加したのです。虐待の実態が報告されるケースが多くなったことがこのように増加したことの一因ではありますが、専門家はこれらの数字が増え続ける虐待率への傾向を反映していると主張しています。 

これらの数字は、「望まない子ども」を中絶することで、幼児虐待を防ぐことができるという中絶賛成派の主張と矛盾しています。子どもを殺すことのほうが子どもを殴ることよりもよいというこの主張の明らかな不合理性を無視して、この説を裏付ける研究は何一つ行なわれていないのです。それどころか、中絶の割合が増加したことと、幼児虐待の割合が増加したこととの間には明らかな統計的関連が認められるのです。実際、統計的臨床的調査によって、関連だけでなく中絶とそれに引き続いて起こる幼児虐待の間には因果関係が確認されているのです。 

これらの学術的な研究は、他の全ての研究と同様に、中絶が幼児虐待の原因であると証明するには不十分だと批判される可能性があります。しかし、これらの研究の結果得られた結論はまた、未解決の中絶後の感情と、それに引き続いて起こる生きている子どもたちへの感情的肉体的虐待との直接的な相関関係を報告した男女の個人的な証言によって、裏付けられているのです。 

たとえばある女性は、彼女の生まれたばかりの赤ん坊が泣くたびに、強烈な怒りの感情が起きると言いました。「彼女が泣くことでなぜ私がそんなに腹がたつのかわかりませんでした。彼女はこの世で一番かわいい赤ん坊でとても温和な性格をしていたのです。そのとき私がわからなかったことは、私の亡くした(中絶した)赤ん坊には決してできないこのような全てのことをできるということで私の娘が憎かったということなのです。 

幼児虐待の理由は複雑で、ここでは十分に取り扱うことはできません。しかし、もし中絶が、実質的な虐待は言うまでもなく、母親や父親の、憂うつや自己嫌悪や不安や怒りの感情の原因となっているならば、その子どもたちが代償を払うことになるのは明らかです。 

致命的な虐待

いくつかの場合には、中絶が完全な情緒崩壊につながり、悲劇的な結果を招くことがあります。たとえば、ニュージャージーのレニー・ナイスリーは中絶をした翌日「一時的精神異常」に陥り、彼女の三才の息子のショーンを殴り殺すという結果になりました。彼女は法廷精神科医に、「私は中絶が間違ったことだとわかっています。私は中絶したことで私は罰せられなければならないのです。」と語りました。精神科医は、彼女が息子を殺したことは明らかに中絶に対するレニーの心理的反応と関係があると証言しました。不幸なことに、彼女の怒りと自己嫌悪の犠牲者は彼女自身の息子だったのです。 

同じような悲劇がドナ・フレミングが二度目の中絶をしたちょうど一週間後に起きました。ドナは頭の中で「声を聞き」、カリフォルニア州ロングビーチの橋から二人の息子を連れて飛び降り自殺を図ったのでした。ドナと彼女の五才の息子は助かりましたが、二才の息子は亡くなりました。後にドナは、中絶した子どもたちと共に一つの家族となるために子どもを連れて自殺を図ったと供述しました。 

これらが別個の事件だと信じる根拠は全くありません。実際、中絶後の精神的外傷が過去20年間の幼児虐待事件の劇的な増加の主な原因であったということが明らかにされる時がそのうち来るでしょう。 

ブリティッシュ・コロンビア大学の医学部教授である精神科医のフィリッブ・ネイ医学博士は、中絶とその後の幼児虐待との関連を理解するための調査を最も多く行なってきました。彼の分析の大部分と、この問題を調査している他の研究の分析は、中絶の後に生まれた子どもとの絆が崩壊することや、母性本能が弱まることや、特に子どもに対する暴力ヘの抑制が弱まること、怒りや激怒やうつ状態が強まることにおける中絶の役割に焦点を置いたものでした。これら全ての要因が、合法化された中絶の後に続いて起こる幼児虐待がひどくなる方向に働いたことは起こりうることです。 

この論文において、私たちは中絶の精神的外傷の再発としての役割を果たす幼児虐待に関連した脅迫行動と邪念を詳しく調査することによって、ネイ博士や他の人々の研究について詳しく述べようと思います。 

なぜ精神的外傷が再発するのか

精神的外傷を与える経験とは、定義によれば、人が対処できないまたは理解できないほどの精神を圧倒する経験のことです。精神的外傷に対する一般的な反応は、心の中からその経験を締めだしてしまうこと、つまりそれから逃げ出し、それを隠し、それを抑圧してしまうことです。一方、精神的外傷を負った被害者は、彼らの恐ろしい経験をただ忘れ去り、永遠に葬り去ってしまいたいだけなのです。 

しかしながら、このような回避反応に相反するものとして、私たちの経験を理解しその中に意味を見出だそうとする同じくらい強力な人間としての必要性が起きます。したがって、意識的に精神的外傷となるような経験のことを考えるのをやめようしている一方で、潜在意識がその精神的外傷に注意を引くことを主張しているのです。彼らの潜在意識は、未解決の精神的外傷はまだ終わっていないことを知っているのです。そのことを克服するためには、彼らの精神的外傷となるような出来事をさらけ出し、公表し、理解しなければなりません。 

精神的外傷を隠そうとする必要性とそれを表に出そうとする必要性の間の緊張状態が、中絶後の精神的外傷の多くの心理学的兆候の中心にあるのです。象徴的再発は、潜在意識がこれらの必要性、つまり精神的外傷をさらけ出す必要性とそれを隠す必要性の双方を同時に満たそうとしている方法の一つです。そのことによって、精神的外傷をさらけ出すことが結局それを理解し、それを克服することにつながるであろうという期待をもって、人は精神的外傷をさらけ出すことができるのです。と同時に、精神的外傷は象徴的仮面をかぶった状態で再発するので、精神的外傷の本質は依然として隠され守られているのです。言いかえれば、精神的外傷の再発によって、助けの必要な領域を隠しながら助けを求めることができるのです。 

保育所の悪夢

中絶によって精神的外傷を負った女性たちにとって、幼児虐待の行為は未解決の中絶問題の再発の自然な象徴です。たとえば、ロンダは五人の子どもを中絶した罪悪感と恥ずかしさに苛まれていました。彼女は、世話をしてくれる人を必要としている子どもたちに愛情を注ぐことによって過去の償いをすることを神様が望んでいると信じていました。それで自宅でフルタイムの保育所を開くことでこの義務感に応えようとしました。 

ロンダは子どもたちに愛情を注ぐことで精神的外傷を克服しようとしましたが、彼女が面倒を見ていた八人の子どもたちは文字通り彼女をくたくたに疲れさせました。一日が終わるころには、彼女はいらいらして落ち着かなくなっていました。ロンダは、よちよち歩きの子どもに腹を立て、気が付けば怒りとフラストレーションを爆発させて子どもたちをたたいたり、揺さぶったりしていることがよくあったと話してくれました。このように暴力を爆発させたあとで、彼女は部屋の隅にうずくまって泣き、自分は恐ろしい人間だと確信するのでした。 

幼児のいるストレスの多い状況に身を置いたことによって、ロンダは子どもに対して自分が無力で無能だという思いを再現することになったのです。子どもを思うようにできないことがたびたび繰り返されると、彼女は自己嫌悪の感情と嫌気がつのってきました。その結果日常的に幼児虐待をし、そのあとそのことを恥じ、罪悪感を持ち、悲しみにくれることは、彼女が中絶を経験したときの感情とそっくりそのままでした。 

邪念を通じての再発

中絶後のカウンセリングを求めている患者の一人であるダイアンも、保育所を開いていました。彼女は幼児の面倒を自宅で見ていました。ダイアンは赤ん坊の腕を関節から引き抜くといったびっくりするような邪念を抱くことを話しました。このような思いは、過度の不安と嘆きを引き起こしました。邪念を抱く度に、彼女は自分がとてもひどい人間だという思いを強く持ち、彼女の心はうんざりさせるような嘆きでいっぱいになるのでした。 

幸運なことに、彼女は中絶をした日と同じ日に、自分の中絶と邪念の関係を認識したのです。激しい感情が起きた時に、彼女に起こっていたことの真相が彼女の心を苦しめ、彼女は自分が失ったものに対する悲しみに涙を流しました。幸運にも、ダイアンは長い間抑圧されてきた精神的外傷を癒すために助けを求め、いやな邪念の全てがやまったのです。 

ダイアンが抱いたような邪念は、精神的外傷を負った人がよく経験することです。ひとたび邪念が起きると、それを心の中から消し去ることはとても難しいことがあります。その後、「一体あんな思いはどこから来たのだろう。」と思うかもしれません。夢や空想と同じように、邪念にはしばしば精神的外傷の複雑な象徴が含まれているのです。中絶の精神的外傷が原因の、子どもを傷つけるという邪念にもまた象徴そのものが含まれているかもしれません。キャシーは次のような話をしました。 

私は子どもが好きです。子どもたちのためには何でもしようと思います。私にとっては子どもたちがこの世の中の何よりも大切です。でも私は自分でも本当にいやになるような恐ろしいことを考えるのです。私が台所のカウンターに立ってタ食を作りながら、子どもたちの食物に毒を入れることを考えているなんて、話すだけでもつらいことです。私は子どもたちがその毒に対してどんな反応をするか想像し、子どもたちを病院に急いで連れていかなければなりません。私は罪悪感と恥ずかしさで気が狂いそうです。それから、私は医者が私がわざとにそうしたことを発見することを想像するのです。彼らは私の夫を呼び、夫に私は子どもを持つべきではないとか、私が子どもたちを殺そうとしたとか告げるのです。このような考えが本当に突然私の頭に浮かんでくるのです。本当に恐ろしい考えで、私は自分がそんなことを考えるなんて信じられません。このことで私は自已嫌悪に陥るのです。 

キャシーは最初、発作的なパニック状態のためにカウンセリングに訪れました。彼女は毎週このようなことを考えて、その後そのことで悩んでいると訴えました。キャシーにとっては、泣かないでそれらのことを話すことさえ困難なことでした。私たちが彼女の人生を振り返ったとき、彼女の過去に塩水中絶があったことを知っても私はあまり驚きませんでした。彼女は話ながら震えていました。私がどのようにして塩水中絶が行なわれるのかと尋ねたとき、彼女はその処置方法を胎児の「毒殺」だと説明しました。 

キャシーに現われた兆候は全て、中絶後に起こったものでした。これらの邪念を通してキャシーは絶えず中絶を心の中で思い出していたのです。それぞれの話が、彼女の生きている子どもを傷つけたり殺したりすることと、その後の恥ずべき行動と関係のあるものでした。彼女の悲しみは複雑なものになってしまっていて、それがこれらの驚くべき空想になって表面化していたのでした。 

キャシーは私が今まで会った人の中で、最も優しく人当たりのよい人の一人です。私は彼女にとって、このような恐ろしい考えを経験することは大変なことであったことはわかります。彼女を何年も苦しめてきたこのような思いが、彼女が自分の中絶に関係のあるカウンセリングを受けた後終わったということを報告できてうれしく思っています。 

エミリーの場合も同じようなものです。彼女は結婚する12年前に中絶を経験していました。その後、彼女は自分が中絶のことについて考えることや自分が失ったものについて考えることを拒絶したのです。この感情を「封じ込めること」は、彼女が子どもを持つようになるまではうまくいっていたのでした。 

エミリーの最初のフラッシュバック(過去の記憶がふとよみがえること)は、彼女が「望んだ子ども」の妊娠中に、初めて超音波による診断を受けていた時に突然起こりました。時間がたつにつれて、彼女は自分の赤ん坊の顔を見ている時に中絶に関する邪念がしばしば起きたのです。しばらくすると、彼女はまた自分の子どもを傷つけるという恐ろしい考えが絶えず心から離れなくなり始めたのです。彼女は自分の子どもを一人ずつナイフで刺したり、枕で窒息死させたり、絞め殺したりすることを想像するようになったのです。 

エミリーはすばらしく献身的な母親でしたが、死とか殺人とかの邪念から逃れることができませんでした。時間がたつにつれて、その邪念はもっと手の込んだ現実味を帯びたものになりました。エミリーはなぜこんなことが自分に起こるのか理解できませんでした。彼女はこのようなぞっとするようなことを考えられるということに唖然としました。彼女にはそのようなことを実行する気は全くありませんでした。しかし、彼女の破壊願望は、彼女の良心をしつこく追い回し、引っかき、噛み切ろうとする飢えた狂暴な獣のようでした。その邪念のせいで、彼女は戸惑い、気も狂わんばかりになり、恥ずかしく思っていました。彼女は心の中のこの危険な獣を必死で黙らせようとしました。幸運なことに、これらの兆候は、彼女が中絶に関するカウンセリングを受けた後、軽減されたのでした。 

結論

セラピストのケーススタディーとさらに幼児虐待と幼児殺しに関わる犯罪例のマスコミの報道は、女性からの直接の証言によって、中絶の精神的外傷が幼児虐待の傾向を生み出し悪化させることがあることが決定的に示されています。自分の子どもを傷つけるという邪念を経験した女性の大部分は、たぶんこのような衝動に抵抗することができるでしょうが、このような破壊的な考えが実際に起きるという事実は、子どものためにも女性自身のためにも憂慮すべきことなのです。もし毎年行なわれている何百万回の中絶のうちのほんの少しでさえも、家庭内であろうと託児所であろうと、それが次に生まれてきた子どもの虐待につながるのであれば、この問題は私たち全員にとって非常に憂慮すべき問題なのです。

Reardon , David (リアドン・デビッド) 
テリーサ・バーク 
Post Abortion Review 
Spring 1998 
2003.9.22.許可を得て複製