日本 プロライフ ムーブメント

「夢の再生医療」生存の渇愛

長寿願望

新年を迎えて、また一つ年をとった。今や日本は世界一の長寿国となり、平均寿命 は八十才を超えた。スウェーデンやイタリアその他の先進国もほぼ同じで、平均寿命 は八十位だ。しかし、地球上にはまだ平均寿命が四十以下の国もある。日本も昔は三 十位だった。日本人の平均寿命が五十才を超えたのは第二次世界大戦後で、主に感染 症などによる死亡が減少したことによる。平均寿命が延びても永遠に生きられる人は 無く、最終的な人の死亡率が百パーセントであることは、今でもお釈迦様の時代と変 わりはない。お釈迦様が説かれた生老病死苦の原因としての生存の渇愛によって、人 は生き延びようとして苦しむ。重要な臓器や組織の機能が喪失したとき、生き延びる ためには新たに臓器組織を手に入れる必要がある。臓器移植や人工臓器に限界が感じ られる中、この願いに答えるために、再生医療の研究が進んでいる。

再生医療

血管再生療法が平成十五年七月から「高度先進医療」に指定され、関西医大、久留 米大、自治医大の三つの大学病院で保険診療のもとで治療が受けられるようになっ た。いよいよ再生医療が身近になってきたのだ。再生医療は、病気や外傷によって失 われた臓器や組織の機能を、再生能力を持った細胞を利用して取り戻す医療だ。現在 不治である多くの病気の治療法研究に道を開き、病気で苦しむ人に多大な利益をもた らす可能性がある。

ヒトの受精卵は分裂を繰りかえして次第に皮膚、脳神経、心臓、血管、肝臓等の細 胞に分化する。既に分化した細胞はそのままでは再生の能力が無い。増殖し分化する 能力を持った細胞を「幹細胞」という。前記の血管再生療法は患者自身の骨髄液中に ある幹細胞を用いた治療法だ。幹細胞は脂肪組織や小腸粘膜、皮膚、神経、肝臓など にもあり、今後その他の臓器でもみつかる可能性がある。
 
ヒトの受精卵から作られるヒト胚性幹細胞(ヒトES細胞)は、あらゆる組織に分化 する能力をもっている。このヒトES細胞は、前回の生殖補助医療の話題で触れた 「残った胚の利用」で作られる。生殖補助医療では、一度で成功しない場合に具え て、体外受精胚を複数作る。子供をもつことができた結果、使用されないことが決 まった受精胚は、夫婦の承諾を得て廃棄される。適切な説明と同意のもとに、廃棄の 決まった受精胚の提供を受けてヒトES細胞を作ることを、平成十三年文部科学省「ヒ トES細胞の樹立及び使用に関する指針」で認めた。ヒトES細胞の再生医療への応用は 人々の健康や福祉の向上に大きく貢献する可能性が高いからだ。ヒトES細胞から皮膚 の細胞、造血細胞、インスリン産生細胞などが既に作られている。
 
さらにクローン技術が期待されている。クローン羊ドリーは核を除いた未受精卵に体 細胞の核を移植して作られた。この技術をヒトに応用して、患者自身のクローン胚を 作って再生医療に用いれば、自分自身と同じ細胞なので拒絶反応が起こらない。ク ローン技術で作った自分の遺伝子を持つES細胞から、自分自身の心臓や肝臓や脳神経 の組織を再生することは、近い将来実現可能な夢の医療なのだ。
 
人クローン胚を胎内に移植すれば、非常に少ないけれども「人」になり得る可能性を もっている。そして「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」によって、 人クローン胚等を人または動物の胎内に移植することは罰則付で禁じられている。

人はいつ生まれるのか 

生は過程であって、生まれる瞬間を科学的に決めることはできない。同様に、死も 過程であって、死ぬ瞬間を科学的に決めることはできない。

受精卵は人であろうか。もしそうであれば、子宮内避妊具で受精卵の着床を防止し ている人は殺人者ということになってしまう。受精後約二週間が過ぎて臓器の分化が 始まる時期を生命の始まりとする考えがある。それ以前の時期をヒトとモノの中間 「人の生命の萌芽」とする考えだ。「人の生命の萌芽」は人と同じではないが、人に なる可能性がある存在であり、人の組織や細胞と同列に扱うことはできない。「人の 生命の萌芽」であるヒト胚は人に準じた尊厳をもって扱われるべきだと考えられてい る。他方で、人には幸福を追求する権利があり、日本国憲法第十三条でも保障されて いる。再生医療は人に多大な幸福をもたらす可能性がある。では、苦しんでいる人を 救うために「人の生命の萌芽」を消失してよいだろうか。ここにも「自己の生存の為 に他者の非生存が必要」という「悪」が介在する。私達は将来、ある種の後ろめたさ を感じつつ、また「人の生命の萌芽」に感謝しつつ、再生医療の恩恵を受けることに なるだろう。

Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)
田中 雅博(1946年ー2017年3月21日)
坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師
出典 藪坊主法話集
Copyright ©2004年1月掲載
2023年6月24日複製