日本 プロライフ ムーブメント

法的、医学的、倫理的、社会的問題としてのクローニング

「人間クローニングの直接産物は人間です。その反対の主張は科学的に間違っています。」

ビリラキス議長、保健・環境に関する小委員会の皆さん、今日この機会に皆さんの前で人間のクローニングという非常に深く、重要な問題について証言する機会を与えられて、また、皆さんがこの問題と真剣に取り組み、この分野に関して分かりやすく、政策の基礎となる正しい、納得いく情報を求めておられることを嬉しく思っています。

ここで強調したいのは、わたしの証言がわたしの個人的意見とか宗教的、神学的立場ではなく、またどのような「信仰」とか「信条」の体系に基づくものでもないという点です。正にその反対で、それは完全に参照箇所を挙げ、客観的に知られている科学的事実に基づいたものです。科学的事実と申し上げましたが、これらの事実はだれでも公共図書館に行けば確かめることができます。

核移植だけでなく、その他いかなる方法の技術によるとしても、人間クローニングに関する核心的問題は「人間クローニングの直接産物は何か」ということです。もし人間クローニングの産物が人間以外のもの、例えばトマト、レタス、カエル、キリンとかであれば、そのような産物を破壊的実験研究とか商売に利用するのはかなり意味が異なるでしょう。また、技術的に何かが可能であるからというだけで、それを実施することはそれが道徳的であることを意味しません。実利主義的道徳であれば、疾病の治療に長足の進歩を遂げることができるとか、科学的知識を豊かにし、市場で巨万の富を獲得できるとか主張することでしょう。しかし、本当に有益であるとか、純粋に善であるとかいうことで一致を見た目的であっても、道徳的に許される研究が何であるかが決定されるわけではありません。それらの有益な目的を達成するために使用される手段もまた善でなければなりません。もし、使用される手段が人間の危害とか破壊、もしくは人間固有の尊厳を傷つけるのであれば、このような研究や商業化は不道徳なものになるでしょう。

まず、はっきりさせたい点は、ヒト受精卵つまり人間がどの時点で始まるかは、厳密に言えば、科学的問題であり、生命倫理学者、哲学者、神学者、政府諸機関、政治家に委託されるべきではないということです。この質問に対する答は簡単です。疑問の余地なく、一人一人の個人としての人間生命が単細胞のヒト受精卵として受精の瞬間に始まることに関して、科学者たちは一致して同意しています。書面による証言には科学書からの多くの脚注と参照箇所を付けておきました。それはすべて、評判がよく、標準的に採用されているヒト胎生学の教科書からであり、この科学的事実を証明するために、それらの教科書から何箇所かをコピーして証言書に添付しました。受精の産物に関して言えることは人間クローニングの産物にも該当します。

人格がいつ始まるかは哲学の問題です。記録のために、「人格」は人間が始まるとき、つまり受精(もしくはクローニング)の瞬間に始まることを証明するために、この問題を詳しく取り扱ったわたしの記事をいくつか付け加えておきました。この証言の終わりの方で、人格性もしくは哲学的問題について触れるつもりです。

(下院議員も含めて)多くの人たちは、受精の産物が、もしくはこのケースであれば、人間クローニングの産物がヒト受精卵、人間、人格ではないと主張する生命倫理学の文献によってまったく混乱させられています。 ここ何年かの間、生命倫理学の文献には以下に挙げる非科学的主張を提案する大がかりな科学的議論が溢れていました。

受精もしくはクローニングはヒト受精卵とか人間の始まりではなく、母胎組織の小塊もしくは小片、せいぜい、そこに存在するのは人間になる可能性のある何かでしかないと主張されます。ベダテ神父やセファロ博士も、人間特有な遺伝情報のすべては受精の時点では存在しない、そしてヒト受精卵は奇形腫もしくは水胞形奇胎になることもあるので、まったく「人間」などではあり得ない、と主張して同調しているのです。 3

また、多くの人たちは受精(もしくはクローニング)が人間の始まりではあっても、人格の始まりではないと主張してきました(これは不正確な科学に基づいた哲学的もしくは神学的主張)。これらの人たちは受精から着床(5~6日)もしくは原条の形成(14日)までの受精(または、クローニング)の産物を指すために「前受精卵」という文字通りに新しい言葉を発明してくれました。この初めの期間に存在するのは「可能性」もしくは「可能性としての」人格もしくは個人でしかない、と言うのです。そして彼らの主張によれば、人格が発生する前には「個性」がなければなりません。例えば、(両生類胎生学者であり、ヒト胎生学者ではない)クリフォード・グローブシュタイン博士とか、(神学が専門の)イエズス会士リチャード・マッコーミック神父は、遺伝学的には受精の瞬間に人間が存在しても、(二人以上の個人になり得るので)それはまだ個人としての人間ではない、従って人格ではなく、単に「前受精卵」でしかない、という「科学的」主張をしています。この科学的神話を裏付けるために、彼らは以下のような「科学的」主張をします。

その成長を始めるに当たり、ヒト前受精卵は指数関数的(つまり1、2、4、8、16、32、_)に分割する。5~6日経過した胚盤胞の栄養膜外層の全細胞は分娩後廃棄され、また胎芽胚葉内層からの細胞だけが将来大人になり、その全能細胞の一つ一つが後に個人としての人間になる。故に、5~6日経過した胚盤胞は実は「前受精卵」でしかなく、(彼らによると、約14日経過してから、もしくは原条の形成の後で発生する、さらに他の人たちによると、受精後3週間経過してから存在する)受精卵ではない。それだけではなく、これら初期の全能細胞は「緩やかに結合した細胞群」であり、まだ「何人の個人になるか決めかねている」。そして、もっとも強力な議論として、彼らは14日後は双生児化が不可能になる、だから14日が個人としての人間、つまり人格の始まりである、と主張します。そうすると初期の人間の「前受精卵」は本当の意味でヒト受精卵とか人間「個人」ではなく、故にまだ人間ではないことになります。 4

ちなみに、国立衛生研究所のヒト受精卵研究委員会が、その報告で「前受精卵」もしくは(彼らが合法的に「前受精卵」と同義的に使用する)「着床前の受精卵」は、立証こそできなくても間違いなく「劣った」状態しかないので、それを破壊して実験研究できるとする彼らの結論の根拠になった「科学」に他なりません。(その国立衛生研究所委員会には一人としてヒト胎生学者がいなかったのは興味深い事実です。) まったく同じ「科学」が現在、クローニングの産物は可能性としてのヒト受精卵もしくは人間でしかない、それ故に病気の治療法を発見するためには、破壊的実験に使用されることができる、などと下院で論じられるために使用されています。

オーストラリアの神学者ノーマン・フォード神父は生命倫理界では大きな影響力を持っており、彼が書いたWhen Did I Begin?(わたしはいつ始まったか?)という本は、現在アメリカの製薬業界で「科学的」根拠として使用されています。彼はマッコーミック神父とかグローブシュタイン博士の科学的主張と同意するだけでなく、彼らの「科学」に、14日経過するまで分化は完成されてさえいない、という自分の主張を付け加えています。 最後になりますが、例えば、ほとんどは哲学者か神学者たちですが、マッケー、ラーナー、ラフ、ヘーリング、ハンス・マルタン・ザス、ジンガー、ウェルスたちは、真の意味での「人格」は「脳誕生」つまり、原条、神経網、新皮質もしくは脳全体を統合するシステムが形成されるまで存在しないと主張します。 7

しかし実際に、ヒト受精卵すなわち人間は、受精(もしくはクローニング)の瞬間に存在し始めます。この体細胞である人間すなわち受精卵は、「可能性」とか「可能的に」人間であるのではなく、もうすでに存在しているヒト受精卵であり、それはすでに存在している人間です。そこにある「可能性」などは単にもっと大きく成長する可能性でしかありません。科学的に言って、一度単細胞のヒト受精卵すなわち人間が形成されると、それが何であるか、もしくはその本性の変化はありません。それを科学的に証明するのも簡単なことです。(ですから、遅れて存在し始める人格という議論も科学的に否定されます。)

科学的に同意が確立されている正しい科学的事実は以下のようなものです。人間の生命は何千年もの間中断されることのない生物学的継続です。この継続をある人たちはただの「過程」であるとしか見ていないかも知れませんが、その「過程」を経験する何かがそこになければならないと指摘されねばなりません。例えば、「子ども時代」は「過程」です。しかしその過程を経験している子どもがいないと真面目に論じる人がいるわけはありません。同様に、受精(もしくはクローニング)も過程です。そして、その過程を経験している何かがそこに存在します。精子とか卵子、腎臓の細胞、肝臓は人間の「生命」を持っていると言うことができます。しかし、本当の問題はそれら自体が人間生命の継続を方向付けたり、支えたりする人間ではないということです。これらのどれをとっても、それを子宮内に着床させることができるかも知れませんが、腐敗してしまうだけです。人間生命の継続を方向付け、支え、そしてそれを次の世代に伝えることができるのは人間だけです。クローニングで皮膚細胞が使用されると、本性の変化が起こります。つまり、それはもはや皮膚細胞ではなくなり、人間に変化させられているのです。それはもう皮膚細胞として機能することがなく、人間として機能し始めます。(わたしたちはこれを科学的に知っています。)まさにこれが皮膚細胞と人間クローニングの産物との違いです。

受精もしくは人間クローニングの直接産物が、ヒト受精卵すなわち人間であるかを科学的に決定するためにしなければならないのは、顕微鏡で染色体の数を数えること、また特に受精もしくはクローニングによって存在し始める機能と活動を観察することです。(科学者であれば、あるものはその本性に従って活動したり、機能したりすることを知っています。)受精またはクローニングは「小塊」とか母親の組織の一片とか「薬品」を産出するのではありません。精子にある23個の染色体と卵子にある23個の染色体が結合するとき、(人間に特有な数である) 46個の染色体がある、新しく、遺伝的にかけがえのない、生きた、個人であり、すでに存在している単細胞のヒト受精卵すなわち人間(単細胞のヒト受精卵)が形成されます。そしてこの人間には、それ以後起こるすべての成長と発達を方向付ける能力自体があります。これは、ヒト受精卵がすでに存在している人間であることを意味するものではあっても、単細胞のヒト受精卵の染色体に関する構成は父親と母親のそれとは質的に異なります。つまり、ヒト受精卵の遺伝的同一性は母親の組織の遺伝的同一性とは異なります。それがすでに存在している人間であっても、新しいヒト受精卵の遺伝的構成は(例えば、母親の染色体有糸分裂と細胞分裂の際に起こる交差とか環境的条件、突然変異のために)ドナーである「母親」の遺伝的構成と異なるので、クローニングの産物に関しても同じことが言えます。受精において、受精の瞬間に形成される単細胞ヒト受精卵は遺伝的にはすでに男性か女性です。 その成長を始めるに際してヒト受精卵は(例えば1、2、3のように)非同時的に分割します。10

すぐに(トマト、レタス、もしくはキリンの蛋白質とか酵素でなく)人間固有の酵素と蛋白質が形成されます。人間にしか見られない組織とか器官が形成されます(トマト、レタス、もしくはキリンの蛋白質とか酵素が形成されないのは科学的事実です)。 11 この人間が持つ、もしくは必要とすることになるであろうほとんどすべての遺伝情報は受精もしくはクローニングの際にすでに存在するのです。発達の途中で獲得されたり失われたりする遺伝情報はありません。ある情報の使用がメチル化のようなメカニズムによって失われることはあります。12 元々から存在する遺伝情報は、発達の全段階を通じて「滝のように流れ落ち」て、その後の細胞情報、組織と器官の形成を決定し、 13 分化 14、(細胞がすでに分化に向かう)分化全能 15、人間の胚形成過程、時としては双生児化さえも含みます。奇形種とか水胞形の奇胎は遺伝的に正常なヒト受精卵からでなく(例えば2個の精子が1個の卵子に突入して生じるような)異常な受精卵からでないと生じません。 16

さらに、「前受精卵」は科学的神話でしかありません。栄養胚葉層にあるすべての細胞が分娩の後で廃棄されるわけではなく、卵黄嚢と尿嚢からの細胞の多くが受精卵自体に初期の血液細胞とか原腸の原基として組み込まれること、また成長した人間においては正中のへそのひだと血液細胞として残ることが科学的に分かっています。1714日経過して原条が形成された後でも、また例えば、封入奇形胎とかシャム双生児すなわち結合双生児のように、受精後数ヶ月経過してからでも双生児化は可能です。18

「前受精卵」という用語については興味深い歴史がありますが、今日では、世界的にも高名なヒト胎生学者ロナン・オライリー博士を含むすべてのヒト胎生学者によって退けられています。オライリー博士は国際的に認知されている人間の胎生学的発達に関するカーネギー段階を文字通り発達させており、彼によると「前受精卵」は「科学的に不正確」で、間違いであるとし、自著の胎生学教科書ではその用語を使用することを拒否しています。 19 国立衛生研究所の委員会もその結論と結論に至る理由付けについては生命倫理学会自体の内部からでさえ珍しいほどの反対と批判を受けたので、この用語をもう使用しなくなりました。(しかし、「着床前の受精卵」という用語を「前受精卵」と同じ意味で使用し続けてはいます。)20

長年の間、アメリカ産婦人科学会も「前受精卵」という用語を導入しようとしていましたが、最近、しぶしぶではありましたが、受精とクローニングの直接産物に伝統的で科学的に正確な「受精卵」という用語を当てるようになりました。また、学会内外から科学に基づいた反対があったために、不本意ではあったようですが、「妊娠の開始」が着床であるとする運動も取りやめることにしました。「妊娠」の科学的に正しい定義は受精による(人間の)始まりです。 21 不幸なことに、実験での人間使用を規制する国立衛生研究所の連邦OPRR規則22 と共通法には(1981年以来何度か改正されてはいるものの)いまだに科学的には不正確な(受精後5~6日の)着床を始まりとする「妊娠」の定義を含み、「胎児」も着床で始まるとしています(胎児の時期は実際受精後9週間までは開始しません)。23マッコーミックやグローブシュタイン、その他がしばしば引用する、ヒト胎生学者でないキース・ムーアも、自分が書いた人間発達に関する教科書の5版で初めて使用した「前受精卵」の用語が、科学的に不正確であることを認め、次の版では訂正することを書面で約束しています。 24 クリフォード・グローブシュタインでさえも科学者のあるグループには、自分がカエルの胎生学を使用していながら、それをヒト胎生学と呼んでいたことを認めています。 25

そして最後に「脳死」と「脳誕生」(もしくは感覚性とか自我意識の始まり)の間に有効な類似点がある、という科学的、生理学的根拠はありません。 26 人間の完全な発達、特に脳と神経組織の発達、脳の最終的完成 27 、生命倫理学者が「理性的特徴」とか「感覚性」と呼ぶ能力の実際上の行使は、人間が青年になるまでは完全ではありません。 28

まとめてみますと、最初の質問、あの科学的質問に対する回答は簡単明瞭です。ヒト受精卵と人間の生命は受精もしくはクローニングの瞬間に始まります。実に、人間クローニングは本質的にヒト受精卵を使用する実験に他なりません。故に、クローニングは下院による現行のヒト受精卵実験禁止を巧みに回避するずるい方法ということになります。受精によって生じるヒト受精卵またはクローニングは即すでに存在している、新しく、かけがえのない、個人である人間です。科学者はそれを単細胞ヒト受精卵と呼びます。これは科学的事実です。そして人間が発達するこの段階ではまさにそのようにしか見えないのです。これは宗教的、神学的、哲学的問題ではなく、また誰かが確信している体系とか意見ではありません。これが真実でないという人は、科学者であってもなくても、まただれであっても、科学的に間違っており、特にもしこれほど決定的に重要な政策がはっきりそれに基づくとなれば、全国的かつ国際的に認められているヒト胎生学者の書物のみに基づいた完璧な科学的証明を提出する用意がなければなりません。

公共の政策は正しい科学的事実のみに基づいているべきであると思えてなりません。(着床しているかいないかにかかわらず)人間クローニングとその商品化は必然的かつ直接に人間を産出しますから、またそれは本質的にヒト受精卵実験ですから、科学的根拠のみに基づいて、クローニングとかどんな人間であってもその商品化は、公にであっても私的にであっても、禁止されるべきでしょう。そうしなければ、人間が技術の主人であるのでなく、むしろ技術が人間の主人になってしまいます。

最後の問題は「人間の始まりはいつか」です。(29)公共の政策と同様に、人格の哲学的分析は正しい科学的事実から始まり、正しい科学的事実に基づいていなければなりません。これは哲学的実在論にとっては必須です。それだけではありません。あるものはそれが持つ本性に基づいて、もしくはそれが何であるかに基づいて、行動し、機能します。もし「人間」が「理性的動物」であれば、もし「理性的」という言葉が実質的に植物的また感覚的能力を備えていなければならないのなら、もしその能力のすべてが後からでなく、身体と同時に存在しなければならないのなら、人格の存在は「質量」がすでに「適切に組織化されている」とき、つまり人間が始まるとき、もしくは受精(もしくはクローニング)の瞬間に始まるのでなければなりません。実際、これは正しい科学と合致します。受精もしくはクローニングの瞬間から、人間に固有な酵素と蛋白質が産出され、人間に固有な組織と器官が絶えず発達します。ですから、人格は、わたしたちがそれについてどのように考えるかとか感じるか(つまり機能のみに基づく人間の定義)でなく、何かがそれであることに基づかなければなりません。 それなのに、主に機能主義と哲学的合理主義もしくは経験主義の生命倫理学的解釈に基づく、異なる哲学的解答がなされてきました。(30)問題は、「遅れて登場する」人格を主張するそのような議論が、正しい科学的事実と両立するか、それらの主張が歴史的に正しい哲学的主張、もしくは理論的かつ実践的に擁護可能な、また論理的に有効で正しい哲学的主張に基づいているか、ということでなければなりません。この生命倫理の論理は何を言おうとしているのでしょうか。多くの人たちと共にわたしもこれらの主張がいつでも、またどのような場合でも不正確な科学を使っていること、正しい科学的事実と合致しないこと、しばしば歴史的にも不正確で、(例えば精神と肉体の分離のように)哲学的に擁護できないことを指摘してきました。実に、これらの主張は、どれ一つとして、それらの大前提と小前提からさえも論理的に結論されず、哲学的、神学的、もしくは純粋に政治的な前提群が科学的データに押しつけられたようにしか見えません。そして、もし真実の科学的データが(自分たちの主張に)合致しければ、データの方がしかるべく変えられてしまうのです。

もし、このような生命倫理の論理が蔓延すればどこに行き着くかも、同じく心配の種になります。もし、(苦痛と快楽を感じる能力である)「感覚性」もしくは(意志、選択、愛、自我意識、周りの世界を理解できる能力、その他である)「理性的特徴」のどちらかが人間の「人格」の理由であれば、新生児、幼児、アルツハイマーまたはパーキンソン病の患者、アルコールとか麻薬中患者、乞食、家出少年、精神病者、知的障害者、うつ病患者、年寄り、昏睡状態にある病人、対麻痺患者、その他麻痺のある病人、植物状態にある病人、おそらく十代の少年少女、(少なくとも何人かは思い当たる)政治家たちも「人格」ではないことになります。そうなると、同じ論理でもって、彼らが「廃棄されたり」、希望があれば実験材料にされたりしてもいいことになります。実に、(おかしなことに、国立衛生研究所ヒト受精卵研究委員会が根拠にした唯一の本の著者である)オーストラリアの哲学者、ピーター・シンガーは、このような議論を使用して、正常に発達している健康な赤ちゃんを殺してもいいと主張するのです。(なぜなら、赤ちゃんは高度の「理性的特徴」もしくは「感覚性」を使用しないからです。シンガーによると、例えば豚、犬、ゴリラ、その他の高等動物は「人格」なのです。)(31)哲学者であるリチャード・フライ(32)はシンガーのこの論理を正しく適用して、その著書で、上述の大人の人間の多くは、「理性的特徴」や「感覚性」を活発に使用しないので、もはや人格ではなく、それ故に生命を破壊するような実験で使用される、人格である豚、犬、ゴリラ、その他の高等動物に取って代わられるべきであると主張するのです。ノーマン・フォストは、無脳症の新生児は「脳死」しているので、まだ生きていても臓器移植のために利用してもいいと論じています。また、彼は「知的障害」がある人間は「脳死」しているとも論じています。(それは、このような人たちの臓器がまだ生きている中に収穫されてもいいと言いたいのでしょうか。でも、論理は確かにそうなります。)

特に、彼らの「理論」が国家の政策決定の根拠として、どの程度であっても使用されるのであれば、科学者だけでなく、哲学者、神学者、生命倫理学者も同じく彼らの人格に関する「専門的知識」には責任を持ってもらわなければなりません。下院のこのような追求に彼らは決して反抗することはできないはずです。ご静聴ありがとうございました。

References:

1.   Because I had only 24 hours notice to write this testimony, I have edited the original summary and written testimony for style, clarity, and the addition of more references. Original copies may be obtained from the Committee: Alan Hill, Legislative Clerk for the Committee on Commerce, 2125 Rayburn House Office Building, Washington, D.C, 20515; 202-225-1919. [Back]

2.   But see D.N. Irving, Philosophical and Scientific Analysis of the Nature of the Early Human Embryo, (400-page Doctoral dissertation, in Philosophy) (Washington, D.C.: Georgetown University, 1991); W.C. Kischer and D.N. Irving, The Human Development Hoax: Time to Tell The Truth!(Clinton Township, MI: Gold Leaf Press, 1995; 2nd ed., 1997, by authors, ALL, distributer) (containing extensive references). In addition to the writers I have referenced infra, for a non-exhaustive list of other articles and writers who basically argue similarly, see (arranged in “rough” categories): Science: D.N. Irving, “Embryo research: A call for closer scrutiny”, Linacre Quarterly(July 17, 1994); D.N. Irving, “Scientific and philosophical expertise: an evaluation of the arguments on fetal personhood”, Linacre Quarterly (Feb. 1993), 60(1):18-46; D.N. Irving, “The impact of scientific misinformation on other fields: philosophy, theology, biomedical ethics, public policy”, Accountability in Research (Feb. 1993), 2(4):243-272; D. Irving, “New Age embryology text books: Implications for fetal research”, Linacre Quarterly (1994), 61:42-62; C. Ward Kischer, “In defense of human development”, Linacre Quarterly (1992), 59:68-75; Kischer, “Human development and reconsideration of ensoulment”, Linacre Quarterly (1993), 60:57-63; Kischer, “A new wave dialectic: The reinvention of human embryology”, Linacre Quarterly (1994), 61:66-81; Kischer, “A commentary on the beginning of life: A view from human embryology”, Linacre Quarterly (1996), 63:78-88; Kischer, “The big lie in human embryology: The case of the preembryo”, Linacre Quarterly (in press); J. Carberry, D.W. Kmiec, “Abortion: How law denies science”, Human Life Review (1992), 18:4:105; A. Fisher, “Individuogenesis and a recent book by Fr. Norman Ford”, Anthropotes (1991), 2:199; P. 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5.   See D.N. Irving, “Individual testimony before the NIH Human Embryo Research Panel – March 14, 1994”, reprinted in Linacre Quarterly (Nov. 1994), 61(4):82-89; D.N. Irving, “Embryo research: A call for closer scrutiny”, Linacre Quarterly (July 17, 1994); also, D.N. Irving, “NIH Human Embryo Research Panel revisited: What is wrong with this picture?”, Linacre Quarterly (in press). [Back]

6.   N. Ford, When Did I Begin? (New York: Cambridge University Press, 1988), 137, 156. [Back]

7.   D.G. Jones, “Brain birth and personal identity”, Journal of Medical Ethics (1989), 15:4:173-178; D. MacKay, in Jones 1989; Rahner, Ruff and Haring, in Jones 1989; H. M. Sass, “Brain death and brain life: A proposal for normative agreement”, Journal of Medicine and Philosophy (1989), 14:45-59; Singer and Wells, in Jones 1989; C. Tauer, “Personhood and human embryos and fetuses”, Journal of Medicine and Philosophy (1985), 10:253-266; M. Lockwood, “Warnock versus Powell (and Harradine): When does potentiality count?”, Bioethics (1988), 3:187-213; J. Goldenring, “Development of the fetal brain”, New England Journal of Medicine (1982), 307:564, and “The brain-life theory: Towards a consistent biological definition of humanness”, Journal of Medical Ethics(1985), 11:198-120; T. Kushner, “Having a life versus being alive”, Journal of Medical Ethics (1984), 10:5-8; Gertler, in P. Singer, Practical Ethics (London: Cambridge University Press, 1981); M.V. Bennett,”Personhood from a neuroscientific perspective”, in Doerr et al, Abortion Rights and Fetal “Personhood”, (Long Beach: Cresline Press,1989). [Back]

8.   K.L. Moore, The Developing Human, (Philadelphia, PA: W.B. Saunders Co., 1982). 14; B. Lewin (ed.), Genes III (New York: John Wiley and Sons, 1983), 9-13, 386-394, 401; A.E.H. Emery, Elements of Medical Genetics, (New York: Churchill Livingstone, 1983), 19, 93; also obvious from the following research: K. Gordon, et al., “Production of human tissue plasminogen activator in transgenic mouse milk”, Bio Technology (1987), 5:1183: T. Weishous, et al., “Secretion of enzymatically active human renin from mammalian cells using an avian retroviral vector”, Genes(1986). 45:2:121-129; A. Tanaka and D. Fujita, “Expression of a molecularly cloned human C-SRC oncogene by using a replication-competent retroviral vector”, Molecular and Cellular Biology (1986), 6:11:3900-3909; A. Schnieke, et al., “Introduction of the human pro alpha 1 (I) collagen gene into pro alpha 1 (I) – deficient Mov-13 mouse cells leads to formation of functional mouse-human hybrid type I collagen”, Proceedings of the National Academy of Science – USA (Feb. 1987), 84:3:764-768; C. Hart C, A. Awgulewitch, et al., “Homeobox gene complex on mouse chromosome II: Molecular cloning, expression in embryogenesis, and homology to a human homeobox locus”, Cell (1985), 43:1:9-18; G. Kollias, et al., “The human beta-globulin gene contains a downstream developmental specific enhancer”, Nucleic Acids Research (July 1987), 15:14:5739-47; B. Olofsson, V. Pizon, et al., “Structure and expression of the chicken epidermal growth factor receptor gene locus”, European Journal of Biochemistry (1986), 160:2:261-266; L. Saez, S. Leinwand, “Characterization of diverse forms of myosin light chain gene: Unexpected interspecies homology with repetitive DNA”, Archives of Biochemistry and Biophysics (1984), 233:2:565-572; R. Olle, et al., “Structural relation among mouse and human immunoglobulin VH genes in the subgroup III”, Nucleic Acids Research (1983), 11:22:7887-97; N. Proudfoot, et al., “The structure of the human zeta-globin gene and a closely linked, nearly identical pseudogene”, Cell (1982), 31:32:553-563. [Back]

9.   Bruce M. Carlson, Human Embryology and Developmental Biology (St. Louis, MO: Mosby, 1994), p. 31. [Back]

10.   William Larsen, Human Embryology (New York: Churchill Livingstone, 1997), 17; Bruce Carlson, Human Embryology and Developmental Biology (St. Louis, MO: Mosby, 1994), 33. [Back]

11.   Kollias (1987), note 8, supra; L. Covarrubias, et al., “Cellular DNA rearrangements and early developmental arrest caused by DNA insertion in transgenic mouse embryos”, Molecular and Cellular Biology (1987), 7(6):2243-2247; R.K. Humphries, et al., “Transfer of human and murine globin-gene sequences into transgenic mice”, American Journal of Human Genetics (1985), 37:2:295-310; J. Khillan, et al., “Tissue-specific, inducible and functional expression of the Ead MHC class II gene in transgenic mice”, EMBO Journal (1985), 4(9):2225-30; R. Palmiter, et al., “Cell lineage ablation in transgenic mice by cell-specific expression of a toxin gene”, Cell (1985). 43:1:9-18. [Back]

12.   K. Moore, The Developing Human (Philadelphia, PA: W.B. Saunders, Co., 1982), 14; B. Lewin, Genes III (New York: John Wiley & Sons, 1987), 9-13, 202-203, 681; A.E.H. Emery, Elements of Medical Genetics (New York: Churchill Livingstone, 1983), 93; J. Lejeune, in Martin Palmer (ed.), A Symphony of the Preborn Child: Part Two (Hagerstown, MD: NAAPC, 1989), 9-10, 16-19, 30. [Back]

13.   B. Lewin, Genes III (New York: John Wiley & Sons, 1987), 11-13, 202-203, 681; A.E.H. Emery, Elements of Medical Genetics (New York: Churchill-Livingstone, 1983), 93. [Back]

14.   That differentiation is not caused by the mother and is determined by the embryo: H. Holtzer, et al., “Induction-dependent and lineage-dependent models for cell-diversification are mutually exclusive”, Progress in Clinical Biological Research, (1985), 175:3-11; F. Mavilio, A. Sineone, et al., “Differential and stage-related expression in embryonic tissues of a new human homeobox gene, Nature (1986), 324:6098:664-668; C. Hart, et al. (1985), note 8 supra. [Back]

15.   Ronan O’Rahilly and Fabiola Muller, Human Embryology & Teratology (New York: John Wiley & Sons, Inc., 1994), p. 23. [Back]

16.   A.E. Szulmann and U. Surti, “The syndromes of hydatidiform mole. I. Cytogenic and morphologic correlations”, American Journal of Obstetrics and Gynecology (1978), 131:665-671; K. Moore, The Developing Human (3rd ed.)(Philadelphia, PA: W.B. Saunders Co., 1982), 30; J. Lejeune, in Martin Palmer (ed.), A Symphony of the Preborn Child: Part Two (Hagerstown, MD: NAAPC, 1989), 19-19; M.S.E. Wimmers, et al., “Chromosome studies on early human embryos fertilized in vitro”, Human Reproduction (1988), 7:894-900; S.D. Lawler and R.A. Fisher, “Genetic studies in hydatidiform mole with clinical correlations”, Placenta (1987), 8:77-88; G.R. Martin, “Teratocarcinomas and mammalian embryogenesis”, Science (1980), 209:768-776; Alberts, et al., Molecular Biology of the Cell (New York: Garland Publishing, 1983). [Back]

17.   Ronan O’Rahilly and Fabiola Muller, Human Embryology & Teratology (New York: John Wiley & Sons, Inc., 1994), p. 51; William J. Larsen, Human Embryology (New York, Churchill Livingston, 1997), p. 19; Keith Moore, The Developing Human (3rd ed.) (Philadelphia, PA: W.B. Saunders Co., 1982), pp. 33, 62-63, 111, 127; K. Chauda et al, “An embryonic pattern of expression of a human fetal globin gene in transgenic mice”, Nature (1986), 319:6055:685-689; G. Migliaccio et al., “Human embryonic hemopoiesis. Kinetics of progenitors and precursor underlying the yolk sac-liver transition”, Journal of Clinical Investigation (1986), 78:1:51-60. [Back]

18.   Ronan O’Rahilly and Fabiola Muller, Human Embryology & Teratology (New York: John wiley & sons, Inc., 1994), p. 32; Keith Moore, The Developing Human (3rd ed.) (Philadelphia, PA: W.B. Saunders Co., 1982), p. 133; K. Dawson, in Peter Singer et al., Embryo Experimentation (New York: Cambridge University Press, 1990), pp. 43-52. [Back]

19.   Ronan O’Rahilly and Fabiola Muller, Human Embryology and Teratology (New York: John Wiley & sons, 1994), ftnt. p. 55. [Back]

20.   See D.N. Irving, “Individual testimony before the N.I.H. Human Embryo Research Panel”, and “N.I.H. and human embryo research revisited: What is wrong with this picture?”, note 2 supra, both republished with permission in the 2nd edition of our book : W.C. Kisher and D.N. Irving, The Human Development Hoax: “Time To Tell The Truth!” – copies of which I submitted to this Committee. See also, W.C. Kischer, “In defense of human development”, Linacre Quarterly (1992), 59:68-75; Kischer, “Human development and reconsideration of ensoulment”, Linacre Quarterly(1993), 60:57-63; Kischer, “A New Wave Dialectic: The reinvention of human embryology”, Linacre Quarterly, (1994), 61:66-81; Kischer, “A commentary on the beginning of life: A view from human embryology”, Linacre Quarterly (1996), 63:78-88; Kischer, “The big lie in human embryology: The case of the preembryo”, Linacre Quarterly (in press). [Back]

21.   E.g., see Bruce M. Carlson, Human Embryology and Developmental Biology (St. Louis, MO: Mosby, 1994), p. 3. [Back]

22.   Code of Federal Regulations 45CFR46, OPRR Reports, “Protection of Human Subjects”. Department of Health and Human Services. National Institutes of Health, Office for Protection From Research Risks, 1983 (revised 1989, 1991), p. 12. [Back]

23.   See, e.g., Ronan O’Rahilly and Fabiola Muller, Human Embryology & Teratology (New York: Wiley-Liss, 1994, p. 55; Bruce M. Carlson, Human Embryology and Developmental Biology (St. Louis, MO: Mosby, 1994), p. 407. [Back]

24.   See D.N. Irving, “New Age human embryology text books …”, Linacre Quarterly (May 1994), 61(2):42-62, submitted to this Committee, in which it is demonstrated that in his 5th edition, Moore virtually incorrectly redefines many of the major human embryology terms. [Back]

25.   See transcripts and video of the Fidea Ethics in Research Conference, Georgetown University, April 1991, including his answers to my questions to him. [Back]

26.   Jones 1989:15;4;173-178. [Back]

27.   K. Moore, The Developing Human (Philadephia, PA: W.B. Saunders, Co., 1982), 1. [Back]

28.   Jones 1989:173-178; T. Engelhardt, The Foundations of Bioethics, (New York: Oxford University Press, 1985) 111. [Back]

29.   See extensive philosophical references in note 2, supra. [Back]

30.   Since I only had 24 hours in which to prepare this testimony for the scientific panel, I have focused primarily on the science and scientific references. However, please see the references in note 2, supra, and several of the other notes, for extensive philosophical references. [Back]

31.   Peter Singer, “Taking life: Abortion”, in Practical Ethics, (London: Cambridge University Press, 1981), p. 118. [Back]

32.   Richard G. Frey, “The ethics of the search for benefits: Animal experimentation in medicine”, in Raanan Gillon (ed.), Principles of Health Care Ethics (New York: John Wiley & Sons, 1994), pp. 1067-1075. [Back]

ダイアンヌ・アーヴィング医学博士 
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

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