日本 プロライフ ムーブメント

愛は死よりも強い!

まだ花もつぼみの15歳のとき、私は妊娠しました。子どもの父親とは、知り合って3か月ほどでした。 ただ一回の最初の性体験で身ごもってしまいました。妊娠したと気づいたときには、もう彼とは付き合っていませんでした 。 

私は自分の失敗が恥ずかしく、怖くて誰にも言えませんでした。特に家族には。将来のことが怖くてたまりませんでした。 私はどうなるの? どうやって生活していけばいいの? 学校は? 人からどう思われるだろう?  こんなことが自分に起きているのが信じられませんでした。 

自分より年上の学校の友達から中絶について教えてもらいました。手っ取り早く簡単な解決策のように思えました。 でも実際は、恐ろしい間違いでした。中絶の処置そのものが屈辱的で、体の痛みも伴うものでした。 すぐに自分のしたことは間違っていたとわかり、後悔しましたが、取り返しがつきませんでした。取った行動は変えられず 、済んでしまったのです。 

中絶の記憶に悩まされるようになりました。自分の行動を自分の中で正当化しようとしました。 自分の価値観や生活態度を変え、痛みを和らげようとしました。良心の呵責を否定し、お酒や麻薬に手を出しました。 不安から逃れようと仕事や住まい、学校を次々と変えました。奔放な生活をするようになり、 自分は愛される女だということを証明したくて男性を求めました。 自分のしてしまったことも自分の生き方もいやで自分が嫌いでしたが、無力で自分を変えることができませんでした。 何をしても罪悪感、後悔、恥ずかしさ、憂鬱、怒りは和らぎませんでした。5年間、自己破壊的な生活を送ったあげく、 私は自殺の衝動を抱え、自分の人生に終止符を打つという強い誘惑におそわれるようになりました。 

おどろくべき恵み

ある日、どん底の状態にいたとき、テレビで紹介された「祈りのいのちの電話」にかけてみました。 私はそこで一人の女性に出会い、彼女は心から私のことを心配してくれて、一緒に話したり祈ったりしながら、 生き方を変えていくのを助けてもらいました。彼女は、神様に向かい、自分の過ちを認め、ゆるしを願い、 再出発するようにと言ってくれました。毎日祈り、聖書を読み、教会に戻る、それが彼女の助言でした。 私を自殺から救ったのは「アメイジング・グレイス、おどろくべき恵み」でした。私は少しずつ変わりはじめ、 破滅的な行動パターンから脱け出していきました。 

そうするうちに、私は、後に夫となるすばらしい男性に出会いました。私たちは家庭を築きたいと願いました。 結婚して7年後、ようやく妊娠しましたが、正常な妊娠ではありませんでした。赤ちゃんは子宮の外、 卵管で成長していました。ある日、卵管が破裂し、私はいのちの危険にさらされました。私の子どもは( ジョセフと名づけました)卵管をふさぐ瘢痕(はんこん)組織のせいで子宮にたどり着けず、亡くなったのです。 瘢痕組織は、私が奔放な生活をしていたときに感染した骨盤感染症のせいで出来たものでした。この妊娠は、 私にとって過去の中絶体験の再体験になり、否定していたものを突きつけられることになりました。 それまで自分が心的外傷性ストレス障害(TSD)に苦しんでいるとは知りませんでした。“ポスト中絶症候群”といって 、医学的に確認されているものです。罪悪感、憂鬱、怒り、不安、喪失感、自殺願望などは、 中絶を体験した女性に共通に見られる症状だったのです。 

中絶が自分の子どものいのちを奪い、自分でそれを許したという真実に、 私は約15年ものあいだ向き合おうとしてこなかったのです。ジョゼフを失ってはじめて、中絶が私の最初の子ども、 サラを殺したという真実に、私は向き合いました。中絶は死の体験であり、愛する人が亡くなったときと同じように、 悼むことが必要なのです。いやしへの第一歩は、否定をやめることです。真実に向き合ったとき、 自分に許してこなかった自然な悼みの感情が起こってきました。私は自分の罪に向き合い、 ゆるしの秘跡のなかで神様に向かいました。自分の娘の中絶を許したことを悔やみました。 

中絶を行った人たち、直接、間接に関わった人たちのこともゆるす必要がありました。 私は自分自身をゆるす必要がありました。自己嫌悪をやめ、神様のあわれみを受け入れ、自分に対しても、 人に対してもあわれみ深くならなければなりませんでした。 

痛みをだきしめて

長い時間がかかりましたが、悼みのプロセスを歩み、もう変えることのできないことをゆだね手放すうちに、いやし、 ゆるし、自由、平安を体験するようになりました。忘れることはありませんが、私はもう自分の過ちに縛られたり、 心の中の痛みから逃れるためにはまりこんでいたパターンに走ったりはしません。 痛みからはたくさんのことを教えられます。私は自分の痛みを、 私への愛からイエスが耐えてくださった痛みに一致させることを学びました。いやしのためには、痛みに向き合い、 自分のものとしてだきしめなければなりません。イエスと一緒なら、復活の喜びに至るでしょう。でも、 復活を体験するには、まずじっとそこにとどまり、死ななければなりません。 

神を愛する人々のために益となるように、すべてが互いに働き合うことを私たちは知っています(新約聖書、 ローマの人々への手紙8・28)。そう、神様は中絶という私の過ちさえも利用して、私をご自分へ引き寄せられました。 ほかの人たちを引き寄せるためにも、私の過ちを利用することがおできになるでしょう。中絶は「解決策」なのではなく、 新しいいのちの創造に協力できる自分の能力を受けとめられないという、生き方の問題の表れなのです。いのちを選ぶか、 死を選ぶか、私にはその自由意志があります……自分の性に責任を持つ道を選択できるのです。 いのちから自分を遠ざけるような行動に、ノーと言うことができます。 

自分の子どもを殺すという選択の根底には、避妊のメンタリティーがあったことに私は気づきました。私はいのちに、 存在しようとしている人間である赤ちゃんを産むという可能性に心を開いていませんでした。女性として、 私は自分の女性らしさ、いのちを宿し産む能力を拒絶したのです。自分の本質を恐れていたのです。神様の恵みによって、 私は女性としての自分らしさをいやされました。私の存在の中心にある、いのちを与える母性がよみがえったのです。 自分のお腹を痛めた子どもを産むことを今も希望していますが、 過去の自分の選択が今後も人生に影響を及ぼすかもしれないということを、私は受け入れられるようになりました。 

やりなおせるなら、純潔を選ぶ

子どもを亡くしてから、卵管は片方だけですが、残った卵管にも瘢痕組織があることを知らされました。 私は結婚してもう15年になりますが、子どもはいません。夫に出会う前に自分の取った選択が、今も日々、 人生に影響を与えていることを受け入れるのは簡単ではありません。やりなおせるなら、私は純潔を選びます……。 自分を結婚のために取っておきたいと思います。愛する人と呼べるその人に、自分を贈りものとするために。 私は夫に15歳のときに出会っていました。そのときでも、彼のためだけに自分を取っておくことによって、 彼を愛することを選ぶことができたはずでした。愛は、自分を犠牲にして相手を喜ばせようとするものです。その代価は、 自制と無私の生き方です。振り返ってみると、そうする価値はありました! 

サラがいなくて寂しいです。ジョセフにも会いたい。私は母親です……決して抱くことのない、一緒に遊んだり、話したり 、本を読んであげたりすることの決してない子どもたちの母です。砂浜を走ったり、太陽の暖かさを感じたりする喜びを、 決して知ることのない子どもたちの……。そう、長い時がかかりました。私の子どもたちが神様と共にいて、 私をゆるしてくれていると信じられるようになるまで。私の子どもたちを殺すのを助けた人たちをゆるすのは、 本当に大変でした。特に自分をゆるすのは。神の恵みによって、ゆるしの秘跡と聖体をとおして、 変えられないことを受け入れ、自分をゆるすことができるようになりました。私は神様のゆるしと愛を受け入れました。 私は何度も何度も、私をいやそうと触れてくださる神を体験しました。子どもたちを忘れることは決してありません。 二人は私の心の中にいます。でも今、私は記憶を受け入れ、生きてゆけます。 

アンジェリーナ

Editorial (オピニオン) 
エマヌエル共同体冊子『愛といのち Q&A』 
カトリック生活 2012年6月号掲載 
翻訳者 佐倉 泉 
原文出典 50 questions on love and life 
Copyright ©2013.2.5.許可を得て複製