去る1月31日夜のNHK/BSテレビ番組「無縁社会」は実にショッキングなドキュメンタリーであった。 2008年には、無縁死して遺体の引き取り手がなく、無縁墓に納められるケースが年間三万二千件に上ったという。 この驚くべき実態の原因と対策は何か、あらためて考えてみたい。
番組によると、離婚によって家族を失い、唯一の社会との絆であった会社を退職すると同時に、 一切の人間的な絆を断たれて無縁になる人々や、生涯未婚の人々が家族と死別し、 職場を失ったそのときから一切の人間のきずなを断たれるケースが報告された。番組の予測では、 2030年には生涯未婚の女性は人口の四分の一、男性は三分の一に達するという。
この番組を見る限り、無縁社会の広がりが相当深刻であることが予想される。 三万二千という数字はその一部の象徴でしかないのではないか。そして、 その原因が家庭の崩壊による家族のきずなの喪失が原因であることは明らかである。「未婚」と「離婚」である。 ではなぜ未婚と離婚が増えたかといえば、それは戦後教育における個人主義と、これを助長する経済発展が考えられる。 つまり、スーパーに行けば食料を始め生活用品は何でも手に入るから、家庭がなくても、 金さえあれば独りで暮らすのに何の支障もないからである。しかし、退職し、年をとってくると、 にわかに独り暮らしの寂しさとともに孤独死の悲劇に遭遇するのである。
従って、豊かで便利な世の中にあっても、人間的なきずなが大切にされ、守られる社会の構築が緊急課題であって、 具体的には原初の人間共同体である家庭の再建である。そのためには、個人主義教育をあらため、未婚、 離婚を防いで真に家族共同体を造り、これを生きる真に共同体的な人格形成に努力すること以外にないのではないかと思う 。
この問題を解き明かすカギは、この欄で何度も取り上げたように、人間創造の原点に立ち戻ることが必要である。 聖書は述べる。「神はご自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された」(創世記1:27)。また、「 主なる神は言われた。人が独りでいるのは良くない」(同2:18)。前教皇ヨハネ・パウロ2世は この事実を解説して神は、男女の人間性に招き(Vocatio=召命))を与え、 愛と一致のための能力と責任を与えました。愛は、すべての人間の生まれながらの根本召命です」(使徒的勧告『 Familiaris Consortio』、邦訳は「家庭-愛といのちのきずな」n.11)。
教皇はさらに言う。「人は愛なしには生きることができません。もし愛されず、愛に出会うことがなければ、 またもし愛を経験し自分自身のものにすることがなく、愛に深くあずかることがなければ、 人は自分さえも理解できないままに終わり、その人生は無意味です。
夫婦間の愛、そしてさらに枠を広げて同じ家族同士に愛、すなわち親と子、兄弟と姉妹、 親戚やその他の同居者の間の絶えずより深く、より親密な「交わり」に導く絶えざる内的なダイナミズムによって生かされ 、支えられています。このような「交わり」が結婚と家庭の「共同体」の基礎であり魂なのです」(同上 18)。
以上のように、「生命と愛の親密な共同体」(現代世界憲章48)である家庭は、あらゆる人間共同体の原点であり、人格 (ペルソナ)である人間の生活と子育ての中心であることを認識して、 家庭の再建に最優先の努力を傾けるものでなければならない。
ここでもう一つのことを付け加えよう。それは、神が人類のため、人間家族のほかに「神の家族」を創始されたことである 。これはキリストによって明らかにされ、そして地上に開始された。つまり、人となられた神の子キリストは、 ご自分の父をわたしたち人間の父として与え、さらにご自分の母をわたしたち人間の母として与えて、 キリストを長子とする「神の家族」が誕生したのである。もうすでに明らかであると思うが、この神の家族とは、 洗礼によってキリストに結ばれ、キリストを頭とするからだの肢体である教会のことであって、この神の家族は、 原罪によって分裂し、分散した人類を一つに集める最終の共同体である。 『カトリック教会のカテキズム』は教える。「神は、罪によって四散したすべての人をご自分のただ一つの家族、 教会のうちに呼び集められます」(n.1)。
従って、神の家族(教会)は、無縁社会を根源的に解消する最後の目標であり、 すべての人間がそこに招かれているのである。だから、今すでに無縁社会に住む人々にとっては、 教会こそはそこから抜け出す最良で最後の手段となろう。
Itonaga, Shinnichi (イトナガ ・ シンイチ)
出典 糸永真一司教のカトリック時評
2010年2月15日 掲載
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