どの精子がどの卵子にどの角度から侵入するか−すべては神の御計画
今夜は七夕です。天の川で彦星と織姫が出会うという伝説です。ロマンティックなストーリーはもちろん、子どもたちと”出会いの神秘”について想いめぐらす夜になるといいですね。 彦星と織姫はきっと神に導かれる二人です。出会う場所も神が指定したでしょう。誰か人間のお膳立てによって(マッチング?)成立した二人の出会いだったとしたら、こんな毎年のお祝いにはならなかったでしょう。精子と卵子が結合する受精も、男女のロマンあふれる奇跡的な出会いです。見えない神の手が特定の精子と卵子を選び出し、精子が卵子に侵入する入射角度も強度も神が決められたと思えることは、信者のおめぐみです。昔も今も「いのちは授かりもの」と捉える日本人の感性もクリスチャンの信仰と変わるところはありません。
「いのちの科学」を求めてクラウドファンディング始めました。
体外受精や顕微受精などの生殖医療の技術はもれなく”神への挑戦”です。精子も卵子も、そして受精卵も、人の手と欲望によって選別されるようになりました。「よりよい胚」の提供がクリニックの至上命題となりました。夫婦も「授かりもの」としてすべてを受け入れるという姿勢ではなく、「よりよい子」を求めるマインドが植え付けられるようになっているでしょう。受精後3日目の胚が選別されることがよしとされるなら、どうして生後3週間の新生児が選別されないでいられるでしょう。どうして3ヶ月でも3歳でも13歳でも、すべての子どもは一つ一つがかけがえのない「いのち」なのだと言うことができるのでしょう。
とはいえラボで生産された胚だとしても、ひとたび着床に成功して、おかあさんのお腹の中で我が子が育ち始めたら、それはもう”かけがえのない授かりもの”になるでしょう。おかあさんと結ばれる神秘的な絆が選別された事実を忘れさせてくれるでしょう。しかし「人工子宮」が実用化される日が近づいています。もはや母の胎が要らない時代がやってきます。つまり、おかあさんが要らなくなるのです。こんな未来に信者は耐えられるのでしょうか?
Masaaki Ikeda(イケダ マサアキ)
池田正昭
「いのちの行進」(マーチ・フォア・ライフを改名)実行委員会 代表
クラウドファンディング アントワーヌ・べシャンの名誉を回復しよう
出典 「いのちだいじに」2023年7月7日発行
2023年7月10日 掲載許可取得