日本 プロライフ ムーブメント

「涅槃と世界平和」死の渇愛

二つの涅槃  もうすぐ二月十五日、日本の寺では涅槃会が行われる。スリランカなどの上座部仏教では涅槃会と共に降誕会と成道会が同じインド暦第二の月ヴァイサーカ月の十五日に行われている。十五日は満月であり布薩という仏教徒定期集会の日なので、これに合わせて十五日にしたようだ。ヴァイサーカ月は太陽暦の四月から五月頃に当たるが第二の月なので二月と訳された。前にも書いたが、実際の釈尊の入滅は雨安居が明けて三ヵ月の後であり、陰暦十月頃だと思われる。 釈尊が説いた涅槃は現世において到達すべきものであったが、次第に涅槃は死と関連づけられるようになっていった。ジャイナ教などの影響をうけて、生きている間は有余涅槃、死んで無余涅槃といわれるようになったのだ。涅槃は苦の消滅であり、四苦八苦を総称した五つの執着である色受想行識という我執の滅尽を意味する。これが、生きた肉体がある間は未だ完全でないと解釈された。涅槃会というときの涅槃は般涅槃(パリ・ニルヴァーナ)で、完全な涅槃、無余涅槃を意味する。 無余涅槃の前提に有余涅槃があるのだから、単に死ぬことは涅槃ではない。しかし、仏教は自殺を宗教的実践にしたという一部の誤解もある。自殺に関する有名な著作であるデュルケーム『自殺論』には多くの宗教的自殺が挙げられているが、仏教は自殺を禁じたと正しく指摘している。 お釈迦様は集諦で、苦の原因が生殖欲と生存欲と死亡欲等の渇愛であると説かれている。そして滅諦すなわち涅槃は、これらの渇愛の滅尽であり、苦の消滅であり、無執着であると説かれた。従って、生殖にも生存にも執着せず、自殺もしないのが涅槃なのだ。

Continue reading