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自殺援助の合法化のどこが悪いか

自殺というものは、判断力のある人が死ぬにあたって自主的で論理的な判断をした結果である、とこの意見は仮定しており、自殺する本人以外の誰も傷付けることのない、この生きるか死ぬかという自由な選択に、社会が「口出し」する資格などない、と主張しているのだ。しかし自殺の研究の専門家達によると、その基本的な仮定は間違っている。

A。自分を殺すという判断は個人的な選択権であり、それに社会が関わる権利などない、という意見が多数ある。

自殺というものは、判断力のある人が死ぬにあたって自主的で論理的な判断をした結果である、とこの意見は仮定しており、自殺する本人以外の誰も傷付けることのない、この生きるか死ぬかという自由な選択に、社会が「口出し」する資格などない、と主張しているのだ。しかし自殺の研究の専門家達によると、その基本的な仮定は間違っている。

一九七四年に行われた、多方面にわたるインタヴューと医療記録の調査をしたイギリスの研究では、調査の対象となった自殺を試みた人の93%が、その時点で精神を病んでいたという。一九八四年のセントルイスでの同じ研究では、自殺を試みた人の94%に精神的異常があるとされた。自殺を試みる人々は通常感情が不安定で、死にたいという揺るぎない願いとは違う理由から自殺し、つまり彼等は圧倒的に精神異常の犠牲者である、という、多くの心理学的証拠がある。

B。それでも、その個人の自由ではないか? ほとんどの場合、自殺をする理由は助けを求める無意識の叫びとしてであり、死が生きるより楽だと注意深く計算された判断によるものではないのである。

自殺未遂は、その人が立っている苦境に多くの関心を引き付ける。周りの人間らしい反応としては、精神医学や社会に於ける助力を活性化し、自殺者をそんな極限まで追い詰めてしまった原因を引き出す事である。特にこのカウンセリングと援助は効果的である。自殺未遂だった八八六人のケースの内、五年後までに再び自殺を試みたのは、たったの3・84%だったという結果がある。スウェーデンの研究では、36年後まで見届けた結果、10・9%が再自殺しただけだった。矛盾した事に、自殺を試みたのを止められ助けられた人の方が、同じ問題を抱えながらも自殺をしない人よりも、幸せな人生への期待が大きいのがほとんどである。

要するに、自殺したい人に対し、死ぬ援助をするのではなく、彼等の問題を解決してあげるのが大切なのである。 

C。不治の病の人の場合は?

アメリカ精神医学ジャーナルに載った不治の病を持つ人達の科学的研究では、世間の人達が思っているのに反して、四人のうち一人未満しか死にたいと願っておらず、そう思う人のすべてが臨床上診断しうる欝病だった事がわかった。心理学者ジョゼフ・リッチマンが指摘するように、「効果的な精神療法は不治の病人に対しても可能なのに、不合理な偏見だけが、この処置に頼るのを阻んでいるのである」。そして自殺学者のデイヴィッド・クラーク博士が観察した結果、不治の病の鬱病患者は、他の鬱病者と比べても、「薬物治療がより効かない、という事はない」のである。実際、不治の病を持った人の自殺率は、たったの2%~4%である。医学と心理学に基づいた看護と共に、多くのホスピスで提供されているような親身のカウンセリングと援助を行う事によって、不治の病を持つ人々の間で、案楽死に代わる別の前向きな選択が出てくるのである。

D。耐え難い痛みに苦しむ人の場合は?

その人達は適切な医療処置を受けていないので、最新の鎮痛剤を投与されるべきであって、殺されるべきではない。オランダにおける案楽死を合法化する為の最も盛んな運動のリーダー、ピーター・アドミラール博士でさえ、事実上どんな状況でも痛みに対処できる現代の医療技術をもってして、痛みが案楽死を適切に正当化する事は決してない、と公表している。

それでは何故、病院や療養所で、耐え難い痛みと戦わなければならない人達の話が後を絶たないのか?それは悲しい事に、医療の最前線では完璧となっている痛みに対する技術も、そのすべてが臨床のレベルまで到達してはいないからである。必要なのは、診察にかかわる人達を、その面で再教育する事なのだ–医師の援助による死の合法化ではなく。

E。重度の障害を持つ人の場合は?

私達が不治の病も障害もない自殺希望者に対して「死にたいと言うが、あなたに必要なのはカウンセリングと援助だ。」と言っておきながら、同時に障害を持つ人に「何故あなたが死にたいか気持ちはわかるから、医者にあなたを殺させよう。」ともし言ったら、私達の社会の態度としてどうであろう?明らかにそれでは障害を持った人の「選択の自由」を尊重した事にはならない。逆に、障害者における自殺カウンセリングを、差別から否定した事になるのだ。障害のない人に「あなた達の事が大切だから命を失って欲しくない」と言っておいて、障害を持つ人には「障害のある人生は生きる価値は無い」と言うのと同じである。

障害を持つほとんどの人は、彼等の人生が大変である原因は、肉体的や精神的な障害そのものではなく、むしろ、大多数である健常者の障害者に対する態度にある、と言うだろう。交通の不便さ、就職時の差別、そして尊重される代わりに受ける嫌悪や憐れみが、人生を耐え難いものにしているのである。障害を持つ人の権利を心からの尊重する事が、この様な壁を取り除く手だてになるのである–自殺の「援助」ではなく。

国民生きる権利の会
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2002.9.5.許可を得て複製