日本 プロライフ ムーブメント

トリアージと「障害者の権利」問題

  ドイツ連邦憲法裁判所(独南部カールスルーエ)の第1上院は28日、トリアージの際に障害者の保護を要求した9人の障害者の訴えを認め、「障害者権利条約に基づき、トリアージが発生し、医師が誰を救うか、誰を救わないかを決定する状況になった場合、障害者を保護するために直ちに予防措置を講じる必要がある」と裁定し、立法府に迅速にトリアージでの障害者の保護を明記した法案を作成をするように要請した。 

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「トリアージ問題」専門家の重い発言

 トリアージとは、どの患者を治療し、どの患者を後回しにするか(見捨てるか)など、患者を選り分けることで、結果として生死を決定することになる。フリーゼネッカー氏は医師たちのトリアージ作業の行動の推奨事項を作成している。同氏は、「トリアージが必要となった場合、患者の年齢だけが判定材料とはならない」と強調している。以下、ツァイト紙のヨナス・フォーグッ(Jonas Vogt)記者の同氏とのインタビュー記事の概要を紹介する。

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尊厳死の奥に深い人生と愛 (「海を飛ぶ夢」映画評)

 観(み)おわってしばらく、奇妙な高揚感に包まれた。  ある人々に対してこの映画は、尊厳死に関する映画だと紹介することも可能だろう。主人公のラモンは25歳のときに引き潮の海に飛び込み、海底に頭を強打して首から下が不随になってしまう。実家のベッドの上だけを住処(すみか)に、ラモンは詩を綴(つづ)り、家族の世話になって二十数年を過ごす。そんな彼がギリギリに選択したのが、自らの尊厳と自由のために死ぬことだった。

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安楽死に対するキリスト教の教え

現在活発に行われている安楽死の合法性に関する「議論」は、キリスト教信者がいかに俗化したかを表すものであり、「生命の質」や「死ぬ権利」などという聖書の教えに反する考えをやみくもに採用しているものである。もしかしたら多くのキリスト教信者たちはこの問題の複雑さを理解できずにいるのかもしれない。どうであろうと、医者はとっくの昔から延命措置を停止したりガン患者に大量のモルヒネを投与したりして死を早めている。そうでしょう?そしていずれ死ぬとわかっている患者に対して、簡単に死ねる手段を拒絶するのは非常に残酷なことではないだろうか。 

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安楽死:議論の再燃

安楽死の定義は実に幅広いため、安楽死について議論するには、まずその言葉の意味に注目するべきだろう。オランダでは安楽死という言葉が狭い意味で使われているが、私自身は、生命倫理の文献で頻繁に用いられている定義を反映した形でこの言葉を使用するつもりである。私は、生きる価値がないという理由から、作為または不作為によって意図的に寿命を縮めることを安楽死と考える。この定義では、安楽死は、用いる手段および患者の同意の有無により、自発的または非自発的、能動的または受動的に分けられる。何か他の目的のために行動した結果、その副次的影響により寿命が短くなった場合、それは安楽死ではない。疼痛を緩和するために高用量の鎮痛剤を投与する場合、結果的に死期が早まることがわかっていても、それが意図したものでない限り、安楽死とはいえない(1)。また、(例えば)苦痛を伴う治療を行わないことで、結果的に死期が早まることがわかっていても、それが意図したものでない限り、安楽死とはいえない。作為または不作為によって寿命を縮めることを目的とした場合のみ、安楽死と呼ぶのである(2)。 

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鎮静治療を終末医療と考えるべきか?

ここ数年間において、自殺幇助の観点から、終末期の鎮静治療が生命倫理における重要な問題として議論されはじめている。鎮静治療に関しては、自殺幇助に関する論争でいずれの側に立つかによって、賛否両論が存在する。鎮静治療は、倫理的な終末ケア、自殺幇助に代わる合法的な処置、時間をかけた安楽死などと呼ばれてきた。 

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スティ-ブン・ベ-カ-は見捨てられて死に至ったのでしょうか?

病人や身体の不自由な人を殺す方法はたくさんあります。食べ物と水を与えないというのも一つの方法です。スティ-ブン・ベ-カ-の脳の圧迫を和らげるため3月に行われた手術は、彼の消化力のある器官の管へチュ-ブを通して供給されている食物と水を取り除くことについて議論が巡りました。彼の生命を終了するという決断がなされる以前に、セントルイスの郊外にある聖ヨハネ慈悲医療センタ-の記録によると、この医学上の補助装置を使った食物と水の供給は、正確に言えば「心地よいケア」と呼ばれていました。現在はメディアのみならずその病院もそれを「生命の補助」と呼んでいます。 

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全て実弾

殺人犯が銃殺隊によって最近処刑されたということを聞いたとき、子どもの時見た全てのB級映画のシ-ンが私の心にぱっと浮かびました。私は、反射的に体がすくみ、目隠しをされ弾が当たるのを待っている恐怖を即座に想像しました。しかし私に想像できなかったのは、銃を持ち上げて、冷たく硬い鋼鉄の弾丸を別の人間に狙いを定めることを要求されている人間のひとりであるという気持ちでした。その人は、それが一回の射撃練習にすぎないふりをしてうまく対処することができるでしょうか。その男は、そのような犯罪の結果として当然生じる激しい怒りの気持ちを奮い起こすために殺人の詳細と犠牲者の家族の涙を思い出そうとするでしょうか。処刑のあとその男は何を感じるでしょうか。感じるのは悲しみでしょうか、満足感でしょうか。 

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マスコミに報道されなかった意図的な死の現実

30年以上前、私が看護婦になりたてだったとき、その他の面ではとても教養のある祖母が、病院に入院するのが恐いと打ち明けました。「病院には黒い壷があると聞いているわ。非常に多くの全く健康な人がそこに入って行ったけど、そこから出てこなかったことを知っているわ。」と祖母は言い張ったのでした。  その時私は黒い壷のことを一笑に伏しましたが、もはや笑うことはできません。1997年、オレゴン州の有権者は、黒い壷と同様の医者による自殺幇助として知られている安楽死に賛成したのです。  この法律の成立を絶賛する報道がマスコミを賑わしました。しかしよく見れば、この巧みに作られた外観には大きなひび割れが見えるのです。  その適切な事例は、つい最近報道された昨年10月にオレゴン州であった医者による合法的な自殺幇助の例です。それが報道されたのはオレゴン州においてだけでした。それ以外の州のマスコミは意図的に報道しませんでした。  85才のケイト・チェイニ-は、末期ガンと診断され、彼女が薬物による死を求めたとき、彼女には痴呆の進行の兆候が見られました。彼女は、耐えられないような苦痛が生じた場合や身体的機能の喪失が耐えられなくなった場合に備えて、自殺という選択肢がほしいと言いました。チェイニ-夫人は、そのような決定を下す彼女の精神的な能力を疑問視した医者によって、自殺の要求を却下されていましたが、娘のエリカは、オレゴン州の医者による自殺幇助法の誇らしい安全策は母親の死の障害とはならないと確信していました。エリカは母親を別の医者のところへ連れていき、最終的にチェイニ-夫人の健康管理団体の中から自殺に賛同してくれる医者であり倫理学者である人を見つけました。そのような医者探しと自殺幇助を求める家族の熱意は稀なことではないのです。  死ぬ権利の保障にもかかわらず、医者による自殺幇助は、他の全ての治療が効かなくなった場合、外部からの抑えがなければ薬物による自殺を選ぶ可能性のある、耐えられない苦痛の状態にありながらも判断力がある末期状態の人には厳格に留保されるでしょう。チェイニ-夫人のケ-スは合法化された自殺を規制することができると信じている人々にとってはよい教訓となる話です。  疼痛除去促進法案の成立へオレゴン州の有権者が1997年に、医者による自殺幇助の法律に賛成して以来、報告されている全てのケ-スで、バルビツル酸塩のような規制薬物が使われています。このことは問題となりました。なぜなら、このような物質を使用することは、医者がこのような物質を使用することを合法的な医療と認めず規制してきた1970年に成立した規制薬物法に違反するように思われるからでした。  実際、最初アメリカ麻薬取締局の取締官のト-マス・コンスタンチンは、患者のいのちを終わらせるためにこのような薬物を使用することは正当な医療行為ではないと決定を下しました。しかし後になって、司法長官のジャネット・リノ-はこれを覆して、何が合法的な医療行為であるかを決定する権限は州にあると主張しました。(皮肉なことに、ジャネット・リノ-は、有権者が医療目的のマリファナの使用に賛成をした時、カリフォルニア州には医療目的のマリファナの使用を合法化する権限はないとする前の決定を実際に支持したのです。)  ジャネット・リノ-の行動に対して、アメリカ合衆国下院は11月に圧倒的多数で「疼痛除去促進法」を可決しましたが、その法律は意図的に患者の死をもたらすために規制薬物を使用することを規制するばかりでなく、患者のケアと症状の緩和の手段の提供をも行ないました。  このことは大部分のマスコミの憤慨に会うことになりましたが、そのマスコミは安楽死を中絶と同じような選択の問題だとみなしているように思われます。ニュ-ヨ-クタイムズ紙のような、中絶や学校の選択のような分野における州の権限を拡大させることに対する反対の立場の忠実な支持者は今、オレゴン州は連邦政府の規制を受けない自殺幇助の方針を追求することが認められるべきだと主張する立場に変わっています。オレゴン州選出の上院議員のロン・ワイデンが、疼痛除去促進法案が法律になるのを妨げるために上院の議事妨害をするぞと脅しをかけたため、上院での投票が今日まで遅れているのです。  死ぬ権利の支持者の反応 特に今年他の4つ州でも現在同様な自殺幇助法が検討中という理由で、強力な安楽死運動もまたオレゴン州の自殺幇助法を守るために活発に行なわれました。疼痛除去促進法案は自殺幇助を禁止することになるだろうというマスコミの報道に反して、その法案は自殺幇助のために規制薬物を使用することのみを禁止するものです。しかし安楽死の支持者は安らかな死を保証するためにそのような薬物と医学の関与が必要だと主張しています。  したがって、自殺幇助の支持者は、アメリカ医学協会やアメリカ看護婦協会や全国ホスピス協会のような団体に、その法案に反対するように圧力をかけました。アメリカ看護婦協会は実際に、その法案に反対であると表明しましたが、他の団体は、たくさんの医療協会や、疼痛除去協会や、ホスピス協会とともに、その法案を支持しています。  その法案が考えられていたさなかに、自殺幇助を禁止する法律に抵触しない自殺の方法を議論するために、死ぬ権利を支持する国際的な団体の会議をシアトルで開いたことによって安楽死運動は予想外に知れ渡りました。安楽死の合法化を推進しているウエブサイトのひとつである「デスネット」によれば、その会議はまた、医者による自殺幇助の合法化に西洋全体の議員が抵抗していることが、人々に「無認可の」策略や手段を使わせているということを示す一つの手段だったのです。会議の大部分は、伝えられるところでは、意識の喪失や苦痛を伴わない窒息を引き起こすためのビニ-ル袋やヘリウムのようなガスの使用に関することでした。(個人的には、私はなぜガレ-ジを閉めてエンジンをかけるような旧来の自殺の方法が公然と話されなかったのかが不思議です。)  生と死に関する他のニュ-ス クリスマスの奇跡と呼ばれているケ-スにおいて、42才のパトリシア・ホワイト・ブルさんは、一番下の子どもの分娩中に酸素不足に陥ったのが原因で植物状態が16年間続いた後に目覚めたのでした。最近の数年間、彼女は老人ホ-ムで完全看護を受けていました。彼女は栄養管で栄養補給を受け、伝えられるところでは、クリスマスイブに突然話し始めるまでは全く刺激に反応することはなかったとのことです。  このような状態から徐々に回復をする大抵の患者と違って、ホワイト・ブルさんは驚くべき速さで快方に向かっています。彼女は今食事をしたり、支えてもらって歩いたり、手紙を書くことさえしているのです。彼女の担当医は、予後は良好だと言っています。ホワイト・ブルさんの夫は、絶望的だと宣告されたときに彼女と離婚したのですが、彼女が望むなら喜んで再び結婚生活に戻りたいと今言っています。  皮肉なことに、ホワイト・ブルさんの回復は、彼女のようないわゆる植物状態にある人々ばかりでなく、痴呆症の患者からも栄養管を取り除くように新たな圧力がかかっている時に訪れたのでした。  1999年10月、アメリカ医学協会の機関誌に、痴呆症の老人に栄養管で栄養補給をすることは患者にとってメリットよりもデメリットの方が多いという内容の記事が掲載されました。同様の記事が、2000年1月の「ニュ-イングランド医学ジャ-ナル」にも掲載されました。両方の記事とも新しい研究には全く基づいておらず、様々な患者における栄養管の使用に関する30年も前の研究の再検討に基づくものでした。両方の記事とも、もし口からの栄養補給ができなければ、老人ホ-ムの推定10%の痴呆症と診断された患者から栄養管による栄養補給を日常的に打ち切ったり、控えたりできるように老人ホ-ムの方針と老齢・身障者医療保険制度のガイドラインの変更に賛成するものでした。「ニュ-イングランド医学ジャ-ナル」の記事はさらに、医者と一般大衆が進行した痴呆症を末期状態の病気であると考えることが一般的にできないことを嘆くものでした。なぜならそう考えられるようになれば、治療方針におけるこのような変更が容易になるからでした。  両方の記事とも、痴呆症の患者に栄養管で栄養補給することにはほとんどメリットは無いと述べ、さらに栄養管による栄養補給には延命の効果はないという驚くべき主張までしました。  それどころか、その記事は栄養管を、死そのものまでも含んだ危険な合併症の危険をはらんでいると表現しました。栄養管そのものが非常に不快なために、患者が栄養管を抜かないように多くの患者の腕を縛っておかなければならないと述べています。このことで私は数年前のメアリ-・ハイア-のケ-スを思い出しました。メアリ-は痴呆症があり、自分がイギリスの女王だという妄想を持っていました。親族は栄養管による栄養補給の問題のためではなく、むしろ彼女を死なせてあげることができるように、栄養管を抜くための訴訟をおこしました。メアリ-・ハイア-のケ-スは、ある日ボストンの新聞に、ロ-ズ・ケネディ-が栄養管を挿管する簡単な手術を行なったという短い記事とともに正しく報道されました。倫理学者は、栄養補給と水分補給の打ち切りによる死を快く思わない医者や看護婦や家族の数に長い間関心を持ってきました。飢えと脱水の影響を最小限におさえつつ栄養管によって患者に栄養補給をすることには恐ろしい結果が生じると主張している記事が、気の進まない医療関係者に、栄養補給と水分補給の打ち切りが痴呆症の患者を扱う最も優しい方法だと納得させるのはなかなかでしょう。  大部分は報道されていませんが、ロ-マ法王ヨハネ・パウロ2世は栄養管による栄養補給の問題に関して1998年10月に力強い声明を発表しております。  いのちを擁護する全キリスト教会の取り組みの成果が進展しているので、カトリック教会のカテキズム(2278)で「熱心すぎる治療」と呼ばれているところの患者の負担になったり、危険であったり、予想される結果と不釣り合いな医療を続けないことと(いのちの福音:65参照)、栄養補給や水分補給や通常の医療のような生命を維持する一般的手段を打ち切ることとの実質的な倫理的相違点を明確にするために大きな教育努力が必要とされています。アメリカ合衆国司教のプロライフ委員会の声明「栄養補給と水分補給:倫理的司牧的考察」は当然のことして、患者の死をもたらすために栄養補給と水分補給を怠ることは拒否されなければならないということと、関わる全ての要素に注意深い配慮をしながらも前提は必要とする全ての患者に医学の助けを受けた栄養と水分の補給の提供に賛成するものでなければならないということを強調しています。この区別を曖昧にすることは、数限りない不正とそれに伴う多くの苦悩の種をもたらし、すでに病気と加齢による体の機能の低下にすでに苦しんでいる人々とその最愛の人々に大きな影響を与えるのです。  私たち全てのものが、ロ-マ法王とともにあらゆる種類の安楽死と闘い、全ての人間のいのちと尊厳に対する新たなる敬意を復活させようとするこの大きな教育的努力に取り組むことができますように。  References: “Rethinking the Role of Tube Feeding in Patients with Advanced

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心身障者安楽死事件(昭和42年)

昭和42年8月2日、生まれてから27年間寝たきりの重症心身障者である息子を医師である父親が思いあまってエーテルをかがして絞殺する事件が起きた。東京都千代田区に住む開業医・森川宗男は結婚してすぐに子どもが生まれたが、息子の達夫さんは脳水腫症で手足を動かすことができず精神薄弱で寝たきりの状態であった。母親は下の世話から食事の世話まで27年間つきっきりの介護を行い、自分の時間のない生活を送っていた。 

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やさしく殺して:無意味な延命治療の革命

私たちにはサービスを拒否する権利があります。よくレストランや小売店でこういう表示を目にします。しかし現在、患者のいのちに質的に治療費をかけるに値するものが欠けていると医者が判断するような場合、その患者に対して、延命治療を望まれても医者にノーと言える権利を与える「ヒュータイルケア(無意味な延命治療)」のガイドラインを支持して、病院の入り口にそれとなくそのような意味を表す掲示物を掲げている病院がいくつかあります。 

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安楽死と過剰な医療

第I部 ヒュー・フィンの栄養管が外された事件は、世間の大きな関心を集めました。永続的な植物状態にある患者に対して必要な通常の医療および過剰な医療について教会の見解をお聞かせください。また、経済力、医療費、年齢など、家庭の事情はこの問題にどのような影響を与えるのでしょうか? 

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自殺について再び考える

二、三ヶ月前、私は自殺についていまだに誤解が多すぎるとあるコラムに投稿した。いろいろ書いたが、中でも自殺で死ぬ多くの、いやほとんどの人が、その言葉の本当の意味においては、道徳的にせよなんにせよ自分の死に責任はなく、むしろガンや心臓病といったものではないが、ある病気の犠牲者であると私は述べた。自殺とは、このような理解において、今までずっとそう思われてきたような絶望の行為ではない。これが本当なら、その犠牲となった人々の永遠の救済について余計な心配をする必要がなくなる。

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安楽死が家族に与える影響

家族は生命が始まり、生命を養育する伝統的な場所です。安楽死はまさに全ての人の正当な権利を弱める社会的な計画の付加物です。全体的に、これらの計画は私達の住んでいる社会的で、道徳的な環境を変化するための強力な試みということになり、弱者を犠牲にして強者の手中に権力を握らせるためのものです。なぜなら、悪は真実と仲良くやっていけないし、人間の生命の価値を引き下げるためには、彼らを誤った方向に導くまで、上手くそそのかす言葉で表現する必要があります。恐ろしいことには、魅力的に見えるように作られていて、法的に認められるようになることです。美徳の生き方をすべきだということはすでに難しく、とりわけ私達が責任がある人を導くことは難しいです。しかし、この地球上の全ての人は人類という家族の一員であるという、より広い家族の考え方は、これらの計画によって脅かされていて、そしてこの認識は以下に示すようによりさらに邪悪で危険なものです。 

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「終末期鎮静」を意図された殺害(「第3の方法」)と混同すること

Wesley Smithは先日、終末期鎮静が誤った使い方をされ、終末期を迎えている人の死を早めている危険性について論文を発表した。以下の論文:「自殺幇助となる「終末期鎮静」とは異なる適切な苦痛緩和のための鎮静」を参照のこと: http://www.lifenews.com/bio3100.html

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我々が警告を発していた死のクリニックが誕生する!

小国オランダで、2,636件の強要された死(安楽死の事例)が報告されている。報告されていない事例も多数存在することは明らかである。多くの場合、患者は自分がそれを許可したわけでもなく、さらには自分の預かり知らないところで殺されている(オランダで行われた様々な調査からこのことがわかっている)。 

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安楽死に対するキリスト教の教え

現在活発に行われている安楽死の合法性に関する「議論」は、キリスト教信者がいかに俗化したかを表すものであり、「生命の質」や「死ぬ権利」などという聖書の教えに反する考えをやみくもに採用しているものである。もしかしたら多くのキリスト教信者たちはこの問題の複雑さを理解できずにいるのかもしれない。どうであろうと、医者はとっくの昔から延命措置を停止したりガン患者に大量のモルヒネを投与したりして死を早めているのである。そうだろう?そしていずれ死ぬとわかっている患者に対して簡単に死ねる手段を拒絶するのは非常に残酷なことではないだろうか。

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「自ら命を絶つ」ことの葬儀屋さん的考察

本記事は2010年の投稿後、2017年1月に投稿者本人によって加筆修正させていただいております) これまでは人間が自ら命を絶つ行為を「自殺」と表現するのが一般的でした。 しかし2017年現在、様々な配慮から多くのメディアで「自死」という表現が使われるようになっております。 本記事を投稿した当時(2010年)から考え続けていたことですが、個人的には「自死」 という表現にも若干の違和感を感じるところがありますので、ここでは「自ら命を絶つ」という表現に改め、 統一させていただきますことをご了承ください。 

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安楽死はどう考えますか?

安楽死が何を意味し、どのような影響があるかについて多くの議論があります。その言葉が意味するものは安らかな死であるとか、尊厳ある死であるとか言われています。また積極的安楽死、消極的安楽死のことも語られています。尊厳ある死に方をする権利があるとも言われています

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自殺援助の合法化のどこが悪いか

自殺というものは、判断力のある人が死ぬにあたって自主的で論理的な判断をした結果である、とこの意見は仮定しており、自殺する本人以外の誰も傷付けることのない、この生きるか死ぬかという自由な選択に、社会が「口出し」する資格などない、と主張しているのだ。しかし自殺の研究の専門家達によると、その基本的な仮定は間違っている。

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安楽死に対するイギリスの動向

オランダでは、病気に苦しむ高齢者と身体に障害のある新生児が、彼らの両親や近親者の同意無くして日常的に死に至らしめられていることが公知の事実となっている。ヨーロッパの他の国々もオランダの場合と大差なく、アメリカに一番似ているイギリスの最近の動向も、先進国における安楽死の今後を暗示するものになっている。 

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ベルギーの安楽死法は悪魔の囁き?

ブリュッセルのベルギー議会(下院)で13日、18歳未満の未成年者への安楽死を認める法案が賛成86票、反対44票 、棄権12票で採択された。同国上院は昨年11月、既に採択済みだ。フィリップ国王の署名を受けてから成立する。 同法案は安楽死の年齢制限を撤廃し、医者と両親、そして未成年者の3者の合意があれば、 18歳未満の未成年者の安楽死が合法化する。同国では2002年、安楽死法を採択済みで、安楽死は合法化されたが、 年齢制限があった。 オランダの安楽法では安楽死は12歳以上と年齢制限があるから、 ベルギーの新法案は世界で最もリベラルな安楽死法となる。 新安楽死法に対して、「未成年者は自身の病が治癒可能かどうか判断が難しいのではないか」「医者と両親が相談し、 未成年者の生命を一方的に奪ってしまう危険性が排除できない」など指摘する声もある。その一方、 治癒不能な病にある未成年者の中には「自分が家族の重荷となっている。死んだほうが家族のためになる」 と判断するケースが出てくるかもしれない。 同国の185人の小児科医が「未成年者への安楽死を合法化すれば、両親の苦しみを更に深めるだけだ」 と疑問点を明記した公開書簡を発表している。 安楽死法反対派にとって、フィリップ国王が署名拒否することを期待しているが、ベルギーでは70% 以上の国民が安楽死法案を支持しているという世論調査結果が報じられている。だから、国王の署名拒否は非現実的だろう 。 ベルギーでは2012年、1432人が安楽死を行った。その数は全死者数の2%に該当する。 オランダでは2012年は前年度比で13%増で4188人が安楽死した。その数は年々増加している。 ローマ・カトリック教会のベルギー司教会議議長レオナール大司教は、「新法は苦しむ人間への人々の連帯を葬るものだ」 と主張、安楽死法案に強く反対しているが、 聖職者の未成年者への性的虐待が多発した同国のカトリック教会は国民から久しく信頼を失い、 その発言は影響力を失っている。 同国では過去、治癒が可能な人が安楽死したり、安楽死と臓器献品が絡むケースも出るなど、 安楽死の現場ではさまざまな問題が出てきている。 なお、スイス、ドイツ、スウェーデン、エストニアでは医療による回復が期待できない患者の希望を受け入れて、 安楽死を援助しても刑法には引っかからない。安楽死を禁止している国からスイスに安楽死ツーリストが殺到し、 社会問題となっている。 安楽死問題は非常に難しいテーマだ。個々のケースを慎重に考えなければならないからだ。 無意味な延命措置は非人間的である一方、「生命の尊厳」という譲れない部分があるからだ。 人間は肉体的な存在だけではなく、霊的な存在と信じる当方にとっては、「生命の尊厳」とは、霊肉両面の尊厳を意味する 。霊的な世界がもう少し理解されるようになれば、 安楽死問題も別の観点で考えられるようになるかもしれないと思っている。 Editorial (オピニオン)国連記者室出典 ウィーン発『コンフィデンシャル』 2014年2月17日掲載Copyright ©2014.2.25許可を得て複製 

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スペインの中絶法は社会の自殺だ

よほど頭にきているのだろう。法王庁生命アカデミーのイグナシオ・カッラスコ・デ・パウラ新会長はスペインの人工中絶法を批判し、「まったく無能な法」と評したのだ。少々荒っぽい表現だが、新会長の「怒り心頭」といった胸の内が伝わってくる。人工中絶法によると、16歳以上の女性の場合、妊娠14週目まで両親の許可なく中絶ができる。同国カトリック教会は「テロ行為だ」として批判している。新会長が懸念するのは、スペインのリベラルな中絶法が南米諸国にも影響を及ぼすのではないかということだ。ブルゴス教区のフランシスコ・ギル・へリン大司教(Francisco Gill Hellin))は国民に中絶法への抵抗運動を呼びかけているほどだ。 

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安楽死についての声明

最近の安楽死を合法化しようという取り組みが、私たちの社会を重大な危機にさらしています。これらの動きには、自殺の方法を紹介する新しい出版物があったり、末期症状にある患者を家族や医師が殺したり、その患者の自殺を手助けしたりすることが広く話題になっているため、大勢の注意をひいています。 ヘムロックソサエティが第一線で導いている、太平洋岸北西部にあるような目的は 、殺人や自殺幇助に反対する州の法律を変え、医師が末期的症状にある患者に、過剰量の薬や致命的注射を与えることができるようにしようとするものです。 

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