先日、珍しい友人が突然訪ねてきてくれた。イエズス会の元管区長粟本昭夫神父である。80歳になる彼は、 東京からレンタカーでドライブしてきて、九州各地の殉教地や教会を巡礼しているのだという、老いても元気な神父である 。その夜は、隣に住んでいる同じくイエズス会員である「内観」の岡俊朗神父を交えて夕食を共にして語り合った。
歓談の内容はともかく、 今ここで紹介したいのは粟本神父が長年続けている東京はイグナチオ教会結婚準備セミナーのことである。 わたしが日本司教団の家庭委員長をしていたころ、彼の結婚準備セミナーのことを知って、 家庭委員会のメンバーになってもらったのが縁で、彼の仕事の内容についても詳しく知ることになったのであるが、 四谷の聖イグナチオ教会という知名度と地の利にも恵まれて、実に多くの若者たちが、 カトリック信者もそうでない者も彼の結婚準備セミナーに参加していた。 結婚の件数全体が減少している関係で参加者は少なくなっているが、セミナーは今も続いている。
セミナーにおける彼の指導目標は「離婚しない結婚の準備」である。離婚は結婚の破壊であり、当事者にばかりでなく、 もしいたら、その子どもたちにまで心の傷と不幸をもたらす最悪の事態である。結婚とは、 もともと単独では不完全で相互補完的である一組の男女が、全面的で排他的、 かつ死に至るまでの恒久的な夫婦愛の契約であって、そのような相互愛を貫くことによってはじめて互いの自己を実現し、 同時に生まれてくる子どもたちの教育と幸せを保障することができる。だから、 教会において結婚の準備セミナーを行う最大の目的は「離婚しない幸せな結婚の準備」 のほかにその存在理由はありえないのである。粟本神父の指導理念はまさに当然過ぎるほど当然なことである。
従って、粟本神父の結婚準備セミナーの独自性は、むしろその方法論にあるといわなければならないだろう。 そしてその方法論とは、3,4回の講座で済ます通常の結婚講座と違い、5, 6ヶ月にわたる長期の念入りな講座を行うことにある。神父のこの指導理念やセミナー構成に共鳴したわたしは、 講義の内容を一冊の本にまとめて出版するよう勧めた。こうしてできたのが、粟本昭夫著『結婚する二人へ』( 女子パウロ会・1993)で、すでに12版を重ねているそうだ。その「まえがき」の中で彼は、「 教会が離婚してはならないと強調するのなら、教会ならではの独自の結婚観、 人生観の根拠と理由を二人が十分納得しておく必要がある」と述べ、次のように離婚しない結婚の意義を指摘する。
「結婚とは、
* 二人の愛と信頼によって始まり、神の計らいのもとに成長し、完成するものであること、
* 結婚そのものが宗教的、信仰的行為であること、
* 一生涯のものであり、お互いを大切にし、相手の人格(自由意志)を尊重すること、
* 生まれてくる子どもの教育、家庭の責任を負うこと、
などを基調にして私なりのカトリックの結婚観を、ゆるす愛、強められる愛、愛の成長、不滅の人生、人への賭け、 神への賭け、秘跡などの面からなるべく平易に述べて見たい」。
周知のとおり、わが国も西欧並みに離婚が増えている。三組のうち一組が離婚するといわれて久しいが、 今はもっと離婚率が上がっているかもしれない。しかも、何か問題が起きたら離婚すればよいという風潮も広がっている。 そして、芸能人たちの離婚や再婚、再再婚が華々しくメディアで宣伝される。定年退職後の熟年離婚も話題を呼んだ。 こうした離婚ブームがいかに多くの人々を不幸にしていることか。他方、離婚ばかりでなく、 他のさまざまな理由によって家庭崩壊が進んでいる。単身志向や晩婚の流行、シングルマザーやできちゃった婚、 それに少子化の流行でいまや家庭力が極端に落ちている。 一世帯あたりの人数はいまや2人台に落ちているという調査報告もある。もはや「人間共同体」 とはいえない一人家庭が増えているのであろう。
かつて「家庭は社会の生きた細胞である」と言われた。また、「家庭の健全性は社会の健全性のバロメーターである」 とも言われた。つまり、健全な家庭があってはじめて健全な社会が発展するというわけで、 いわば家庭の延長線上に社会があった。しかし、現実はその逆で、世俗化し堕落した社会が家庭に入り込み、 こうして神聖たるべき家庭の俗化や破壊が進む。悲しいことだ。
Itonaga, Shinnichi (イトナガ・シンイチ )
2016年12月10日帰天
糸永真一司教のカトリック時評
出典 折々の想い
2007年8月25日掲載
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