胎内の赤ちゃんの擁護と堕胎に関与するワクチンに反対する女性の声
堕胎は現代の幼子の大虐殺です。私たちは、堕胎された赤ちゃんに由来するワクチンを故意に使用することで、この犯罪に加担していると考えるだけで母性本能が恐怖を叫ぶ女性として、私たちの女性としての叫びが世界中で聞かれることを願っています。この宣言は、神が独特の母性本能を植え付けてくださった私たちの心の奥底から生まれたものであり、生命の大義を守り、死の文化と闘うことに専念する心です。ですから、私たちは心を込めて断言いたします。「現代の聖なる幼子の大虐殺に加担することはありませんし、それゆえに堕胎された人間の胎児に由来する細胞を用いて製造されたありとあらゆるワクチンを拒絶します。」
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「イスラエルの子らのうち…自分の子をモレクにささげる者は、必ず死刑に処せられる…わたしはその人に顔を向ける…その人が自分の子をモレクにささげて、わたしの聖所を汚し、わたしの聖なる名を冒瀆したからである。」(レビ記20・2-3)
私たちは、堕胎の現実に正直に立ち向かおうではありませんか。世界では、約五人に一人の妊娠で堕胎が行われており、これは世界で年間四千万~五千万人の堕胎が行われていると推定されています。堕胎ビジネスが本格的に始まって以来、二十五億人もの胎児が母親の胎内で殺されています。少しの間、私たちはこの数字を熟考し、この計り知れない深淵を理解しようとしています。
二十世紀の極めて野蛮な残虐行為は、二度の世界大戦とそれ以上のイデオロギーを以ても、全人類の中で最も無力な者たちが世界的に虐殺されたこの事実の大きさには、全く及ばないのです。堕胎された胎児の細胞から作られたワクチンの道徳性について熟慮しながら、どうしてこの事実をしっかりと心に留めておかないことができるでしょうか?
この胎児の大量虐殺は、その規模からはその重大さで思いもよらないことですが、その凶悪な残虐性からも同様に非良心的です。彼らの殺人の作法は信じられる範囲を超えています。私たちの心の目の前に、優先される手術による堕胎方法をいくつか挙げてみましょう。受胎後九週目の胎児の男の子を想像してみましょう。彼は宙返りや、顔をしかめたり、飲み込んだりすることができます。この胎内の男の子を堕胎するには、先端がナイフのように尖った中空のチューブを母親の子宮に挿入し、強力な掃除機に接続します。掃除機で彼はバラバラになってボトルに吸い込まれ、廃棄されます。
では、母親の胎内で三ヶ月末になる女の子を想像してみましょう。彼女は時々静かに泣き、痛みを感じることができます。この胎児を堕胎するには、母親の子宮に鉗子を挿入して、体が完全にバラバラになり、背骨が折れて、頭蓋骨が押しつぶされて、母親の体の安全さから引き離されるまで、骨をつかんだり、折ったり、ねじったりします。
最後に、二十週目の胎児の男の子を想像してみましょう。彼は母親の声を認識できます。胎児を堕胎するために、医師は長い針を母親のお腹に刺して濃い塩溶液を注入しますが、取り込むと浸食性の毒で体の中外がただれてしまいます。その日のうちに、母親は実際に死んでしまったか死にかけている赤ちゃんを出産します。このような赤ちゃんの多くは、生きて出産した後に放置されて死んでいきます。これは、かつて古代イスラエル人がカナン人の偶像であるモレクの手の中で、かれら自身の子供を生贄にしたエルサレム近くの谷ゲヘナで、生きながら焼かれて生贄にされた子供よりも残酷な死です。幼子を殺す火は、現代の小さき犠牲者よりも急速に彼らを破壊しました。今日、モレクの手の中は氷のように冷たく、小さな赤ちゃんは黙ってじっとしているまで震え、すぐに凍える血の池に横たわっています。かつては子宮の中で温かく包まれていた赤ちゃんは、今では無菌室で頭の先からつま先まで裸にされて生気無く横たわり、嘆き悲しむ者も泣く者もいません。
「彼らは自分の中に温めた無知と、心の頑なさのために、知性が暗くなり、神の命とは無縁なものとなっています。」 (エフェソ4・18)
これら堕胎の数の多さと野蛮な残虐性が、まるで十分に恐ろしいものではなかったかのように、私たちは今、医学研究の目的で中絶された赤ちゃんの体の一部を採取しています。堕胎医たちは、いくつかの体の一部がそのまま残され、研究者たちが使えるようにするために、外科手術の手順を修正することを認めています。生理食塩水でただれたのではなく、生きたまま引き渡された同じ子供を想像してみてください。アステカの人身供儀と同等の恐怖を味わってください。分娩後、おそらく帝王切開によってでも、堕胎医が非常に迅速に赤ちゃんの男の子の腎臓を、共謀する研究者のために、臓器が新鮮な状態を保ちつつ一晩で出荷することができるように麻酔を気に掛けずに切り取ったとき、赤ちゃんは耐え難いほどの痛みを感じます。これらの犯罪がどれほど残酷なものであるか、またその規模がどれほど大きいかを十分に知っているにもかかわらず、堕胎された赤ちゃんの体を使用したワクチンを製造過程のどの時点で使用しても、その犠牲から進んで利益を得ることができるのでしょうか?
しかし、何人かはこの悪は数十年前の私たちの背後にあると主張し、堕胎に関与するワクチンを受けることの「遠隔的協力」は道徳的な問題ではないと主張するでしょう。真理以上のことはありえせん。 堕胎された胎児の細胞を使用するという悪は、元の堕胎に限定されたものではなく、胎児の細胞が搾取されるたびに犯されている進行中の罪を含んでいます。私たちは、不法な遺体を使用することに伴う継続的な窃盗、その遺体の継続的な人身売買による子供の搾取、そして最終的には、神に対して負っている超越的な正義を冒涜する不当に扱われた子供の遺体の埋葬を拒否するという罪を考慮しなければなりません。また、キリスト教徒がこれらの恐怖を認めることを拒否することによって、異教の世界のすべてに与える不祥事もあります。これらの悪事は、細胞株が作られた年に限定されたものではなく、過去五十年間絶えず起きてきたものであり、この瞬間ですら起きています。
これらの即時の犯罪に加えて、治療介入を開発する際に堕胎された胎児組織を使用することは、最も確かに、そして常に、新たに堕胎された胎児組織の探索を焚き付けます。胎児細胞株は全く無期限には続かないので、ワクチンメーカーは古いものと一致する新しい株の作成に強い動機を持っており、同じ性別かつおよそ同年齢の堕胎された赤ちゃんの実験を選択しています。これは過去数十年の間に何度も発生しており、2015年に開発された最新の堕胎胎児細胞株がそれです。さらに、この細胞株についての反発が目立ったことがなかったため、堕胎された子供を使った生物医学的研究はここ数十年で拡大し、通常は人間に行うことが非倫理的と考えられる研究に使用するために、殺された胎児の遺体を収集することも含まれるようになっています。モレクは決して満ち足りることがありません。
これらすべての悪事は、道徳的に汚染されたワクチンを「一時的に」受動的に受け入れることによってのみ、永続し、促進されているのです。1971年に開発され、メルク社が販売しているMMRワクチンは、先天性風疹症候群を軽減する可能性があるという理由で、道徳的義務として親に勧められてきた(それは失敗しました)という事実を振り返ってみましょう。MMRには、開発に個別で百回近くの堕胎を要求し道徳的に妥協した風疹成分が含まれており、このワクチンを使用するカトリック教徒は別の方法によってその使用に反対しなければならないという私たちの高位聖職者たちの声明にもかかわらず、五十年経った今でも使用されています。司牧者の声も信仰者の声も、彼らの行動によって与えられた暗黙の承認をかき消してはいません。
「主はこう仰せになる。『ラマで声が聞こえる。悲嘆と、深い嘆きの声が。ラケルがその子らのために嘆く声。彼女は慰められるのを拒む。彼女の子らはもういないからだ。』(エレミヤ31・15)
エジプトへの逃亡と同時に語られた福音書のエピソードである「聖なる幼子の虐殺」と、母親の胎内にいる子供たちの世界的な大虐殺との関連で、その意味を考えてみましょう。ヘロデの残忍な兵士から無垢な子供を必死に守ろうとしたユダヤ人の母親たちの気高さとは対照的に、今日殺害された子供たちの母親たちは、その行為に加担しています。子供を守り育てようとする母親の自然な母性本能は、一瞬にして消され、悪魔は二つの勝利を収めたのです。子供を死体にし、母親を殺人者にしたのです。聖ヨゼフに導かれてエジプトへの亡命の苦難の道を歩んでいた聖母は、その腕の中に幼子イエズスを抱いていましたが、確かにベツレヘムとその周辺の幼子たちに与えられた残酷な運命に激しく泣いていました。どれだけ多くなれば、母親の胎内で虐殺された何十億人もの赤ちゃんを聖母は嘆き悲しまないのでしょうか?マリアの無原罪の御心は、このような小さき犠牲者を利用して利益を得ているという問題について、私たちに語りかけるのに時間はかからないはずです!
「主は人をいさめ、鍛え、教え、あたかも羊飼いのようにその群れを連れ戻される。」
(シラ書 18・13)
もし、私たち自身の健康と幸福を確保するために、ワクチンの製造に使用されている堕胎された赤ちゃんの体から、意図的に利益を得ようとしていることを承知の上で受け入れるのであれば、私たちはこの胎児の虐殺と人身売買に加担しているのではないでしょうか?
COVID-19ワクチンの現在のケースを考えてみましょう。直接的に製造過程であるいは間接的にテストを通してその多くは堕胎された胎児の細胞株を利用します。このような利用は道徳的であるだけでなく、パンデミックの深刻さを鑑みて、隣人に対する実際の愛徳行為であると主張する人たちがいます。私たちは、司教たちによって、なおかつバチカンさえも公式に発表したものも含め、このような主張は、予防接種と免疫学の科学の不完全な評価に基づいていることを謙虚に提案し、そのような支持者には以下の事実を参照して、自分たちの主張を再評価することを懇願いたします。
- 堕胎された胎児細胞を「テスト中のみ」で使用したと報告されているワクチン候補は、そのmRNA候補の開発に不可欠な部分としてHEK-293細胞を使用し、mRNAの有効性を確認するために、時には一つ以上の種類の確認テストを行うこともあります。
- 問題となっているワクチン候補は、実際にSARS-CoV-2の感染や感染拡大を予防する効果についての試験は行われておらず、COVID-19の確定症例を発症した人の症状の重症度の軽減についてのみ評価されています。このような中等度の予防効果の評価でさえ、深刻な膨張を見せる可能性があります。
- SARS-CoV-2感染からの平均生存率は98.3%を超えており、これほど効果の低いワクチンでも大きな影響を受けることはないと思われます。
- このワクチンはインフルエンザワクチンの5~10倍の反応源性があり、15~26倍の頭痛、倦怠感、めまいを引き起こします(VAERSのデータによります)。また、このワクチンはより多くの重篤な反応を引き起こし、多数の死者を出しています。
- ワクチンの実験的な性質から、人々に接種を促したり、強制することは、生命倫理と人権に関する世界宣言に直接違反することになります。
これらすべての要因を合わせると、堕胎にCOVIDワクチン候補の使用を正当化する発言は、胎児に対する犯罪の重大性と即時性を無視しているだけでなく、この病気に関する科学的証拠や現在のワクチン候補の不十分さ、既知のリスクを無視していることがわかります。
「分けても、彼らの母は賞賛され、尊敬をもって記憶されるに値する。彼女は僅か一日のうちに、七人の子の死に立ち会ったにもかかわらず、主に対する望みのうちに潔く、この苦しみを耐え忍んだ。」(マカバイ記二7・20)
私たちの省察を終えるのに、旧約聖書における悲しみの聖母の特別な類型を黙想いたしましょう。気高い「マカバイの母」は、アンティオコス王の迫害の下で、彼女の六人の息子たちが、神の律法に忠誠を誓ったために、次々と耐え難いほどの拷問を受け、殺害されるのを目にしました。アンティオコス自身はこの母親に、自分を救うために神の律法から目を背けるように促すために、彼女の七番目の息子に介入するように勧めました。その代わりに、この母親は息子への励ましの言葉を述べています。「わが子よ、天と地に目を向け、そこにある万物に目を留め、神はすでに存在したものからそれらを造られたのではないことを悟りなさい。人類もまたそのようにして造られたのです。この処刑人を恐れてはなりません。兄さんたちにふさわしい者となって、死を迎えなさい。そうすれば、憐れみによって、わたしは、お前を兄さんたちと一緒に再び返してもらうことができるでしょう。」(マカバイ記二7・28-29)現代の「幼子の大虐殺」の共犯者になるのを避けるために、堕胎に関与したワクチンを拒否しなければならないのでしょうか?もし私たち一人一人がこの質問をしたら、天の御母は何とお答えになるのでしょう。
真理の証しを立てて、私たちの心を贖い主のキリストと御母マリアの御心と一つにするか、逆にこの途方もなく地獄のような幼子虐殺のカルトに協力するか、これが私たちの選択です。私たちはもはや、この一粒の香すらモレクに捧げることはできません。真実のために命を捨てることを厭わない初期のキリスト者を真似る時が来たのです。私たちは加担してはいけません。立ち上がる時です!
2021年2月11日
ルルドの聖母の祝日
翻訳者;カトウ ジュンヤ