数年前、友人は、2人のいとこ(姉妹)が自費出版した本を読むようにと私にくれました。その本は、 アメリカ合衆国の異なる地域で生活し、互いに調整しながら、年老いていく両親の世話をする方法を書き表したものでした 。もっともなことですが、より多くの人々が高齢まで生きて、そして、 家族がますます互いに離れた地域に住むようになっているので、この主題についての文献は増加しています。
ニューヨークタイムズのThe New Old Age ブログで、彼女自身そのような本の著者であるポーラ・スパンは、最近出版された『 お父さんとお母さんはあなたの両親でもあるのよ!― どのようにして兄弟姉妹が互いにイライラしないで両親の老いを受け止めることができるか』という本に注目しています。 著者フランシーン・ラッソは、明らかに、a)兄弟姉妹のいる、またb)お父さんとお母さんの世話をする方法について、 互いに意見が対立しがちな、ベビーブーム世代の大きめの市場が広がっていると考えています。
たくさんの人々と面談した後に、ラッソさんは、兄弟たちが互いに、 それぞれがこれまでふるまってきたのと同じようにふるまうと思い込んでいる、と指摘します: これまで責任を担いがちだった兄弟が大部分の責任を取り、「人生に成功した部外者」は一定の距離をおき、……と。「 兄弟は、あなたが手伝わない、と不平を言いながら、たぶんあなたが手伝おうとすると抵抗するでしょう。」と、 彼女は言います。先に触れた姉妹の様に、著者はそのような状況を避けるためのチェックリストと戦略を示しています。
私の経験から言えるのは、家族全員がそれぞれにできる限りのことをして関わるのを奨励することが、 皆のためになるということです ― 家族の介護を主に担う人を休ませるためだけでなく、親の面倒を見ることが子の務めであるからです。 そして両親は子どもに愛されているということを知る必要があり、また介護の体験が人格を豊かにするからです。それは、 中年症候群の救済策でありえます。一旦子どもたちが手を離れるならば、 生活が非常に自己集中的なものになることがあるからです。(60前後の熟年男女が海辺をジョギングしたり、 次の海外旅行を企画したりしている、定年退職後のリゾート住まいの宣伝と同じ感覚で。)
明らかに、他の州または他の国に住んでいる兄弟は、 実際の世話または心情的なサポートをごくわずかしかできないでしょう。しかし、彼らは財政面で助けたり、または、 年に一度、年老いた両親を訪れ、長めの時間を共に過ごすことができるかもしれません。 夫に先立たれ施設に暮らす母親を持つ、2人の兄弟がこのようにしてうまく行っているのを私は見たことがあります。 同じ施設で、ある2人の姉妹に会ったことがあります。彼女たちはフルタイムで働いており、 それぞれ家庭の務めもありましたが、同じ町に住んでいたので、交替で毎晩、 食事時に母親と時間を過ごすようにしていました。私自身の家族でもこれと似たことをしていました。
残念なことに、そのような施設に暮らす大多数のお年寄りは、子どもたちからごくわずかな心配りしか得ていません、 そして、一人か二人の子どもしかいない家族が高齢化するとき、この状況はよくなりそうにありません。 お母さんの世話をするために細かいことで口論をすることが贅沢のような時代が、遠からずやってくるのかもしれません: 意見の一致しない姉妹でも兄弟でも、いさえすれば良いときが!
Moynihan,Carolyn (モイニハン・キャロリン)
2010年2月15日
MercatorNet
翻訳者 大岡 滋子
英語原文
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