今年の仲秋の名月は、九月二十五日だった。坐禅会の終わった十時すぎに夜空を見上げると、薄曇りではあったがそれでも大きな月がかかっていた。
上座部仏教圏では、お釈迦さまが生まれたのも成道されたのも、亡くなったのも満月の日だとされることから、タイやミャンマー、ラオスなどの僧侶たちは満月の前日に頭を剃る。むろん仏陀への敬意を剃髪によって示すためだろう。
ミャンマーでは九月十八日から、僧侶たちが覆鉢行(ふくはつぎょう)という、喜捨を拒否するギリギリの抗議行動を繰り返していたが、すでに二十三日にはお経を唱えるだけでなく、「アウン・サン・スー・チー女史を含む政治犯の釈放」や「国民和解を」といったスローガンも主張し始めていた。デモの直接のきっかけは八月の燃料費値上げだというが、もはや一九八八年の民主化運動の様相を呈しはじめていた。尼僧百五十人も参加し、それまで沿道で水や食料品を提供する程度の支援をしていた一般の市民たちも、ここに及んでデモに合流するのである。
剃髪後の二十五日のデモ参加者は、情報ソースによって違うが、およそ十万人から二十万人の規模だったらしい。とうとう軍事政権の宗教相は「これ以上容認できない。法律に則り処罰する」と発表した。それまで七日続いていた抗議デモが、八日目の満月の日に最大に盛り上がったのである。
今回注目すべきなのは、やはりデモを主導しているのが一般市民ではなく僧侶たちだということだろう。彼らはたぶん、二十四日に剃髪し、お釈迦さまの教えを確認しながら、決意を新たにしたに違いない。五人以上の集会を禁じるという無茶な法律は、そのまま僧という生き方への挑戦なのだ。
各国さまざまな組織が軍事政権の仕打ちに抗議声明を出すなかで、本願寺派はいち早く二十八日に新首相宛の要請書を出した。「ミャンマーの僧侶・市民への殺生を直ちに中止することを求める要請」という総長名の文書がそれで、そこには『法句経』という古い経典から、お釈迦さまの次の言葉が引用されている。
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
仏教徒にとっては、命は大切にすると決めたときから大切なものになる。ワケもわからず産み落とされ、それが抱きとめられたとき以来、うすうす感じてはいても、はっきりそれを意志的に誓うからこそ命は害せないものになるのである。
人口の九割が仏教徒とされる国において、暴力や殺生を辞さない軍事政権の在り方は、僧侶たちには耐えがたいものであったはずだ。八八年の民主化運動が三千人とも云われる死者を出して弾圧され、クーデターで政権をとった軍部は翌年ビルマをミャンマーに、ラングーンもヤンゴンに改名した。中国から武器の提供を受け、その関係を深めている軍事政権を認めない人々は、いまだに「ビルマ」という旧い呼び名を使うのである。
私が満月を見上げていた頃、ビルマの僧侶たちは同じ月を見上げ、お釈迦さまにどんな悲壮な決意を誓ったのだろう。翌日には僧院が急襲され、多くの僧侶が拘束され、すでに二百人以上の僧が殺されたとも海外通信社からは伝わる。不殺生を誓う人々を殺し、投獄する奈落の政治を、僧侶たちは悪魔(マーラ)に見立てている。
Genyu Sokyu (ゲンユウ ソウキュウ )
玄侑 宗久(芥川賞受賞作家、臨済宗僧侶)
Copyright ©2007年10月7日福島民報
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