昨日は司祭たちの集会で、岡崎ホスピスケアの代表の二名の女性が講話をしてくださいました。
何度も強調していたのはモルヒネの効果です。モルヒネが麻薬で、習慣性があり、できるだけ使わない方がよいという迷信は、意外にも医師の中に信じている人が多いと言うことでした。
また、名古屋市内にはホスピス病棟がある病院が10カ所あるそうです。 在宅ケアができる環境にある人は在宅で終末期医療を受けておられる方もあります。
病院で勤務している医師や医療チームに取って、病気というのは戦うべき対象であり、 終末期の患者は自分たちの努力が無に帰したことを意味し、その状態にある患者に対して当たらず障らずになることが、 今までは多かったのだそうです。これは医療を治療者の側から見た一方的な考えで、 痛みや不安に苦しむ患者やその家族の側にたっていません。
ホスピスケアは医師や看護師の専門的分野ではなく、患者の家族、友人、 ボランティアなど素人でも患者の悩みや痛みに寄り添おうとする人なら、 誰でもできるものだとおっしゃっておられたことが印象的でした。
わたしも膵臓ガンの兄の最後を看取った経験から、 自宅に帰りたいと望む患者に対しては環境が許せば帰した方がいいと思います。いわゆるスパゲッティ症候群( 体中に輸液やドレインなどのチューブや電線がまとわりついている状態)になった兄が、クリスマスが近くなった頃、「 自宅に帰りたい」といいますから、チューブを外すと余命が短くなると申しましたが、本人の意志が固く、 わたしが連れて帰りました。兄の場合にはモルヒネが入っている座薬がよく効いていましたが、 やはり夜はつらかったみたいです。現在ではマイコンコントロールのポンプで必要量を注入できる装置がありますので、 なくなるちょっと前まで話すことができるようです。
最後の時まで自分の意志を表すことができ、ごめんなさい、ありがとう、 おゆだねしますといただいたいのちをお返ししたいものですね。
ところで、ホスピスケアをする人たちは痛みには四つに分類できるといいます。もちろん四つの要素は互いに絡まっていて 、相互に影響を与えています。
- フィジカルペイン=身体的痛み(ガン性疼痛)
- メンタルペイン=精神的痛み(つよい抑鬱感)
- ソーシャルペイン=社会的痛み(金銭的心配、社会的地位をはぎ取られる痛みなど)
- スピリチュアルペイン=霊的痛み(罪悪感、死後の憂い)
何年か前から金城学院大学の学長となられた柏木哲夫先生は、淀川キリスト教病院でホスピスを始められた方ですが、その 『緩和ケアマニュアル』にスピリチュアルケアについての記述がありますのでご紹介しましょう。
スピリチュアルペインに対する援助(スピリチュアルケア)
ベッドサイドに座り込む
スピリチュアルペインに対する援助において、そばに座るということは最も重要である。目の高さを同じにし、 患者と同じときを共有しようとする姿勢が不可欠になる。このようにベッドサイドに座り込むということは、 死を前にした患者との平等関係を表し、すぐにはそばから立ち去らないという時間の保証を示すものである。
十分に話を聴く
まず患者の魂の叫びに大きな関心をもって耳を傾ける姿勢がないと、患者は心を開かない。 どんな言葉や感情が表出されても、受け止めようとすることが重要である。
安易な解釈・評価をしない
まさに死を自覚している人の苦悩は健康な我々が推し量れるものではない。また、安易な解釈や評価で解決できるような悩みでもない。しかし、こちらの言葉が返せないような立場に立たされたり、 たとえ沈黙が続いても恐れる必要はない。患者の手を握り、そばを離れない。 患者は何か答えを我々に要求しているのではないことが多い。
自分もいつか死を迎える人間であることを念頭に置く
スピリチュアルペインは決して病んでいる患者だけの苦悩ではない。 いつかは死すべき存在である我々にとっても問題なのであり、健康であるがために逃避できているだけにすぎない。 死の前に平等になったとき、お互いの心の中には心の交わり、一体感が生じるようになる‐
相手の人生・価値観を尊重する。
これまでの患者の人生は決してやり直しはできない。治療経過についても同様である。過去を恨んだり、 悔やんだりするだけでは新しい成長を得ることはできない。過去は過去としてよしとし、 ともに新しいものを見つけようとするかかわりが大切である。
自分の考えをしっかりともつ。
ときに、患者は他の人の生き方、価値観に耳を傾けてくることもある。患者が「何かにすがりたい、助けてもらいたい」 と問うときに、医療者が自分の考えをもっていないと患者の苦悩を受け止めることはできない。死を避けず、 一緒になって語ることが、心の通じあうコミュニケーションになる。
相手を信じてじっくり待つ。
努力さえすればすべてのスピリチュアルペインが癒されるとは限らない。最期まで心を開かない患者や、 この世を恨み続ける患者もいる。ただ我々のできることは、患者のそばを離れず、 相手のことを信じて待つということである。
ともに成長する貴重な時であるととらえる。
スピリチュアルペインは医療者が癒すものではなく、 患者と医療者が人格的な触れ合いを通してともに成長したときに癒されるものだといわれる。 限りある人間が真の心の交わりを通して、孤独感を乗り越えられるような一体感に至ったとき、初めて癒される苦悩である 。したがって、患者によって医療者が癒されることもよく経験されることである。
この記述は末期ガンの方に対するケアと言うことに限定されるものではなく、 人と人との関係全体に当てはめることができますね。特に、目線を一緒にし、話を聴き、 待つという姿勢は大切なように思います。
Oota Minoru (オオタ ミノル)
太田実
出典 みのるん神父のよもやま話
2008年9月19日
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