歴史から忘却された19世紀のフランスの生理学者アントワーヌ・べシャン。「いのち」の本質に迫ったベシャンが切り拓いた世界観が科学として認められる世の中になることを願うものです。まずはべシャンに関心をもってもらうために7月16日に東京でイベントを開催します。その実施にかかる費用の支援を求めます。
はじめに
「アントワーヌ・べシャンは偉大な科学者である」という事実を、広く市民に、そして教会に認めてもらうための啓発キャンペーンを始めることにしました。7月16日に最初のイベントを実施します。「いのちの科学」の提唱者であったにちがいないアントワーヌ・べシャンの復権を目指す運動の第一歩を記します。少し予算が発生するので、その応援がもらえたらと思いました。まずはこのプロジェクトが、きっとあちこちにいるだろう”べシャン好き”の繋がりを生むきっかけになれることを願います。
自然なお産を大事にする人たちの間でカリスマであるフランス人産科医ミシェル・オダン氏が最大級の賛辞を贈り、自身の思想のバックボーンとするのが19世紀フランスの生理学者アントワーヌ・べシャンです。同時代のルイ・パスツールに蹴落とされるかたちで失墜したべシャンをオダン氏は惜しみますが、惜しむよりも前向きにべシャンの再評価に向けた運動を立ち上げたいと思いました。おそらくベシャンの世界観をもっとも深く理解し応用できるだろう「いのちの国」の日本から発信を始めます。
解決したい社会課題
コロナ禍で多くのひとが「自然の免疫」の重要性に気がつきました。そしてその先に、べシャンの存在を思い起こすことになりました。しかし現代医療は、要素還元主義的な”パスツールの科学”一辺倒で、それのみを正当とし、べシャンが理論的根拠となったであろうホリスティック医療は「似非科学」と見なされてしまいます。細菌理論を打ち立て絶大な名声を得たパスツールは実はべシャンのライバルでした。パスツールの成功を陰で支えていたのがべシャンでした。
”べシャンがしばしばパスツールに先んじ、彼を越えていたこと、パスツールはいつもべシャンの業績内容を知りながら、何も知らないふりをし、さらにべシャンの業績を隠し、偽造したことは、はっきりしています。”
ーミシェル・オダン著『プライマル・ヘルス』(メディナ出版)
パスツール自身が晩年にべシャンの理論が正しかったと認めていたにもかかわらず、べシャンは不当に排除され歴史の闇に埋もれたままになっています。べシャンを除け者にしたいちばんの責任は「教会」にあります。パスツールには”聖人”同様の名誉が与えられた一方で、べシャンは”破門”同然の扱いを受けました。べシャンのすべての業績は”禁書目録”に追い立てられるほどでした。身体をモノとして捉えたパスツールのほうではなく、「いのち」を見出したはずのべシャンの視点がなぜ”唯物論的”であるとの誹りを受けなければならなかったのか。教会はいつの時代も科学の方向性を決定づける大きな権威です。150年前に遡って、もう一つの「科学」の可能性を封印してしまった教会との対話を今始めることの社会的意義は決して小さくないでしょう。
かつてガリレオが一度は追放されながら後に迎え入れられたように、教会がべシャンの名誉も回復してくれることを期待しつつ、「いのちの科学」に社会的関心を引き起こすためのキャンペーンを開始したいと思います。
べシャンが科学ではないから、パスツールだけが科学だから、われわれを取り巻く環境も、われわれ自身の健康も、一向によくなりません。悪化する一方です。どうしてこんなことになっているのでしょう。パスツールの科学が「いのち」を見ないからです。パスツールの後継者たちによれば、人間は機械であり、部品の集まりであり、細胞の塊です。一方で、いのちを眼差して、全体の関係性を捉えながら環境や健康の改善に取り組む在野の人たちがいます。しかしどれだけ効果効能を実証できても、彼らの方法論は科学的根拠を欠いているがゆえに似非科学のレッテルが貼られます。日本には様々な独自の「養生」の技法がありますが、べシャンが歴史の闇に埋もれていなければ、きっとどれも彼の提示したパラダイムを共有する立派な「科学」です。
後世の研究家はべシャンの世界観を「Terrain Theory〜テレイン理論」と呼びました。「Terrain」は一般的には「地形」などの意味になるフランス語ですが、実際は通訳不可能な独特の概念で、べシャン自身その言葉を使ったことはありません。べシャンが発見した生命の最小単位であるミクロジーマ(microzyma)が活動する自然界に「Terrain」という語が当てられたわけですが、それなら、もっと相応しい言葉があるじゃないか!と思いました。日本語の「いのち」です。「Terrain」以上に通訳不可能な独特の日本語である「Inochi〜いのち」は、べシャンの科学にさらなる光を与えてくれる気がします。
以下に、ミクロジーマについて1883年の論考「LES MICROZYMAS」よりべシャンの言葉を引用します。
“L’unité vitale, irréductible, physiologiquement indestructible dont la cellule même est formée, n’est autre que le microzyma. Il est la forme vivante, réduite à sa plus simple expression, ayant la vie en soi, sans laquelle la vie ne se manifeste nulle part…La cellule n’est donc pas l’unité de base de la vie, mais bien le microzyma.” - Antoine Béchamp
”細胞そのものを形成する、生命力のある、それ以上は還元不可能な、生理的に破壊できない単位は、ミクロジーマにほかならない。それは、最も単純な表現に還元された生きた形態であり、それ自体に生命があり、それなしには生命はどこにも現れない… つまり生命の基本単位は、細胞ではなく、ミクロジーマなのだ。”ーアントワーヌ・べシャン
「いのち」あるところにミクロジーマがいます。ミクロジーマのいるところが「いのち」です。
このプロジェクトで実現したいこと
この運動の最終ゴールはバチカン(教皇庁)にべシャンを偉大な科学者として正式に認めてもらうことですが、そこに向かう初めの一歩として7月16日のイベントを成功させることが今回の目標です。百人程度の参加者にべシャンの存在を知らしめることをもってイベントの成功と考えます。具体的な取組み内容は以下です。①7月16日午後2時より、日比谷図書文化館大ホールで、べシャンにフォーカスする「いのちの行進」と題するイベントを実施し(参加無料)、②実施にあたっての告知ツール類を制作し発信するとともに、③PRツールとして大判うちわを用意し、また④3Dプリンターでべシャンの等身大胸像を製作ーイベント終了後は東京吉祥寺のオーガニックレストラン「Taihiban」で展示します。
最初にこのプロジェクトを立ち上げようと思ったとき、私の周囲でべシャンを知る人は誰もいませんでした。しかし、これまで「いのちの行進」に参加してくれた仲間たちや、自然なお産を大事にする助産院の知り合いに話をしてみればみんな腑に落ちるように理解してくれました。このプロジェクトを通して、さらに賛同者を一人でも増やしたいです。来年、べシャンをめぐるオープンな会議を開催することを念頭に置いていますが、このプロジェクトを通して、そんな「べシャンフォーラム2024」を実現するだけの体力をつけたいと思います!
資金の使い道
会場費 約6万円
イベント広報費. 約6万円
広報ツール制作費. 約6万円
3D胸像製作費 約6万円
手数料 約6万円
チーム/団体/自己紹介・活動実績など
2014年から毎年7月に実施してきたイベント「いのちの行進(March for Life)」がプロジェクトの母体になります。それを主宰してきた実行委員会が中心になって、同イベント10周年になる今年からべシャンの復権に向けての歩みを開始します。
大手広告代理店出身で、広告制作や雑誌編集や環境系NPOの立ち上げに携わってきた代表の私は、現在は「Taihiban」のオーナーであり、自称”お産を語るオッサン”です。助産院での妻のお産に立ち会ったことで「いのち」にめざめ、「いのちの問題」に関心をもち、「いのちの福音」を告げ知らせるために「いのちの行進」を始めることになりました。誰もが不妊に悩むことなく自然に妊娠して自然に産める「自然体」に生きられるハッピーな世の中をめざして紆余曲折の行進をすすめるうちに、このたびアントワーヌ・べシャンと出会いました。2023年7月16日、べシャンへのパラダイムシフトに向かう新しい「いのちの行進」がスタートします。
Masaaki Ikeda(イケダ マサアキ)
池田正昭
「いのちの行進」(マーチ・フォア・ライフを改名)実行委員会 代表
クラウドファンディング アントワーヌ・べシャンの名誉を回復しよう
2023年7月3日 掲載許可取得