日本 プロライフ ムーブメント

敵国との結束

第二次世界大戦が終幕を迎え、連合国はサンフランシスコに集結し、これ程多くの犠牲者と財産を失ってまで勝ち得た平和をいかにして維持していくかについて話し合った。そこで、戦争を抑止し、人権を保護し、人間の尊厳および価値を確認し、また世界中のいたるところでの自由を促進するような新たな国際機構の為の憲章が起草された。

その後数十年を経て、国際連合はその創設の目的および原則から少々ずれ、いやそれどころかすっかり離れてしまった。実際のところ国連の官僚や国連人口基金といった関係機関は、こうした目標とは関連性の薄い任務を行ないがちなようである。

例えば、国連は現存する「人権」を守る代わりに、その言葉の概念を一般的な認識とは程遠い意味として捉え、中絶の「権利」といった新たな権利を定義しようと試みている。国連は、人間の尊厳および価値を再確認する代わりに、地球上の人口を減少させる方法を模索している。世界各国における自由を促進する代わりに、会議を開いてはすべての課題において家族の価値や国家の主権を傷つけるような「合意」形成の為の書類を各国に押し付けている。

国連による国家の主権への攻撃は様々な方法で行なわれている。一九九八年六月に開催されたローマ・サミットでは、世界中の犯罪者を逮捕し、刑事裁判所へ連行するよう関係当局に圧力をかけ、国連の司法力を強化しようと試みた。一九九九年に提出された、携帯兵器の政府専門家団体による国連報告書の中では、武器の保持・携帯の権利の廃止を掲げている。ニューヨークで開催された国連ミレニアム・サミットでの宣言では、「世界中の経済的および社会的発展を促進する」ための中心的役割を国連が担うという項目を盛り込んでいる。国連環境計画の一環として提出された一九九九年人類発展報告書はさらにエスカレートし、世界中央銀行の創立および世界規模での課税導入を唱えている。国連の象徴としての存在以外の何者でもないコフィー・アナン事務総長自身までもが「世界規模統治」によって施行される国際法の主文の創案を公然と提案している。

国連の職員には、こうした国家の主権に対する攻撃が自らの憲章の中で明確に禁じられていることなど全く眼中に入らないようである。実際、憲章の第2条には、「本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国連に与えるものではない」と記されているにもかかわらずである。犯罪者に対して裁判を行なったり、制裁を加えたり、あるいは課税、通貨の発行および管理などが各国政府の役割でないとしたら、一体何がそうであると言えるのか?こうした世界的統治の方向への歩みは止めさせるべきである。

さもなければ、選挙で選ばれたわけでもなく、無責任で根無し草の官僚たちに少しづつ我々の自由が奪われていってしまうのに甘んじる事になる。

また国連やその関連機関は、人類の増加は地球にとって脅威となると考えている環境保護主義者のかっこうの餌食にもなっている。「人間の尊厳および価値」を称える憲章を作っておきながら、国連はまるでこれから産まれて来る人間も含めてすべての人は、神からの贈り物ではなく、あたかも重荷であるかのような言動をとっているのである。国連の書類は、人類は責任感溢れる世話役や美の創造者としてでなく、エデンの東に足を踏み入れる地球上の招かれざる侵入者のように描いている。人間は公害である。国連はほとんどこう言っているも同然である。この事実は様々な面でうかがえる。例えば先のミレニアム・サミット宣言の中では、「自然を大切にするよう」、また「存続可能な発展に関する勧告」というものに従うよう強く勧めている。存続可能な発展とは、言ってみればすべての経済活動を中央で管理したり、あるいは出産数を制限するという事を意味している。こうした動きはいずれも人口過剰への脅威からもたらされている。

これら反人類的傾向は、つまり国連の任務(平和および安全、経済的社会的発展、人権、人道主義的行為、そして国際的司法、という憲章で触れている5分野)の多くの業務において、人間の尊厳および価値を助長奨励するどころか、実際には傷つけているということを意味する。

国連は平和と安全について語っているが、人口統制計画を通じて、これから産まれてくる子どもたちと事実上戦争を繰り広げているのである。この戦争は通常の戦争のように兵士や戦車が戦場で戦うわけではない。しかし、計画的に人を殺すという意志がここには伴われており、これにより、中絶の犠牲者および歴史上すべての戦争で失われた犠牲者数を合わせた数よりもはるかに多くのいのちが犠牲となっている。軍縮を唱える一方、子宮内にいる胎児を殺すために手動吸入器や緊急避妊薬を供給しているのでは、国連は精神分裂症にかかっていると疑われても仕方がないのではなかろうか?

国連は、経済的および社会的発展について見解を述べているが、ここで言う経済的発展とは、実際には出生率を低下させる事と同義であると結論できる。旧植民地の権力者達はその義務として、海外からの援助を受ける事に対する交換条件として、人口統制計画を有する事を必要とした。国連は、新しく、そして極めて憎悪に満ちたこの新植民地主義とも言える人口統制計画を促進するために人口基金を通じて毎年数10万ドルも支出しておきながら、よく非植民地化を奨励するなどと言えたものである。また国連は、平和の形成を語る一方で、子どもを持つ事に前向きな考えを持つアフリカその他一部の定められた地域の人々の考え方を改めさせる為に、心理的戦術を用いるのは一体どうゆうことなのだろうか?

国連は人道主義的問題解決を説いているが、国連が後援する医療機関に、いわゆる家族計画と言われるものを積極的に推し進め、医療の質を落とすよう強要することの一体どこが人道的と言えるのであろうか?国連は人権について述べているにもかかわらず、中国の様な強国には、国連はプレッシャーをかけることなく、その国が人権を守らなくても仲良くやろうとしている。

中国には、国連の活動に拒否権を行使することが可能である安全保障理事会での常任理事国のポストが与えられているため、中国政府の悪行への国連による効果的な対応が不可能になってしまっている、と国連の擁護者は主張している。しかし、中国が拒否権を保有しているからといって中国政府によるチベットに対する圧制や、強制的な一人っ子政策を国連が支持する必要性は全くないのである。

国連人口基金が毎年数10万ドルもの大金を、中華人民共和国の政府機関であり事実上一人っ子政策を総括的に取り仕切っている国家家族計画諮問会に援助しているという事実は言語道断である。また数年前、女性の地位向上を話し合う会議の開催地を北京に決定した国連の決断は何だったのであろう?女性に自分の子どもを産む人数を制限させ、そしてその法を破った場合は中絶を強要するような国は、とてもその様な会議を開催するにふさわしい地域とは言えない。しかし国連は、国際的な女性の権利を向上させることに関し、北京が協力的であるというばかげた虚像づくりに協力し、結局中国をこの会議の主催者に選んだのである。

「新世界秩序」に待った!を国連は憲章の内容をただ軽々しく破っているわけではない。国連の官僚が最も重要だと思っている事:それは新たな世界秩序の構築である。国家の主権を傷つけることによって新たな世界政府への道が固められていっている。人間の尊厳を強襲することにより地球上の人口を選択的に減少させ、「扱いやすい」数にした上で、提唱されている世界政府を可能にしてしまうのである。

それぞれの国では、国連大使を任命する。新任の国連大使は何をするべきであろうか?

第一に彼は、世界規模統治のアジェンダを積極的に進めている国連の官僚を制御する方法を模索するべきである。新大使は、国連憲章は加盟国の国家の主権を尊重することを保証していることを国連官僚に力強く再認識させなければならない。

第二に新大使は、国連により行われている生命と家族への攻撃を核においた新マルサス主義者的妄想症を公然と、且つ力強く拒絶する必要がある。ここ数十年、人口の増加によって地球上の限りある資源が底を突き、大惨事が起こると言う暗い予言がなされてきた。彼らの予言は間違っている、と国連大使に選ばれた人はきっぱりと言うべきである。人類そのものこそ、地球上の最高の資源であると。

Steven Mosher. (スティーブ・モッシャー)
President, Population Research Institute
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