日本 プロライフ ムーブメント

非常に危険な事態の進行

それは頭痛で始まりました。それは、ショッキングな死と、打ちのめされた家族と、病院に対する汚れた評判と、カトリックの医療における倫理の在り方についての憂慮の深まりで終わりました。 

現在自殺幇助に対してかなりの関心が注がれていますが、いわゆる「死ぬ権利」という静かではありますが非常に危険な状況が、アメリカ合衆国中の病院や老人ホ-ムや、さらにはカトリックの医療施設に起きつつあります。 

昨年のセントルイスのスティ-ブン・ベッカ-の悲劇的な「死ぬ権利」のケ-スは、カトリックの病院でのそのようなケ-スの最初のもので、あらゆるマスコミの注目を集めました。しかし注目を集めた理由は、ただスティ-ブンの母親のマ-ジ・サッタ-が息子を救うために積極的に法的手段に訴えたからでした。そのような場合に、いのちに対する権利を支持することがめったにない法的制度に挑戦するほど勇気のある家族はほとんどいないのです。 

スティ-ブン・ベッカ-は28才で、3人の小さな息子の父親でしたが、ひどい頭痛のために2000年3月にセントルイスの聖ヨハネ慈善病院に入院しました。家族によれば、スティ-ブンは病状が深刻で脳外科手術が必要なことを知っていたようです。 

入院と同時に、法律で義務付けられている医療指示書を渡されましたが、彼はそれにサインすることを拒否しました。そのような指示書には、医療の決定権を家族や他の人に委ねる書類ばかりでなく、よく知られている「リビングウイル」も含まれていますが、それは、精神的な能力が失われた場合、延命のための処置や治療を人が拒否できるためのものです。 

数日後、スティ-ブンは検査中に突然意識不明になり、頭蓋内圧を下げるために緊急手術が行なわれました。彼は自発呼吸ができるようになるまでの数日間人工呼吸器につながれていましたが、完全に意識を取り戻すことはありませんでした。 

リハビリが始められ、家族の話と公判録の中にある経過報告書によれば、スティ-ブンは反応の兆しが少し見られるようになりました。しかし手術の数週間後、スティ-ブンの妻のクリスティ-は、スティ-ブンには快方の見込みはないという判断を受け入れ、チュ-ブフィ-ディング(栄養管による栄養補給)を打ち切るという病院の倫理委員会の勧告に従いました。彼女の決定は、教区司祭の支持を受けてのものでした。 

公判録によれば、聖ヨハネ慈善病院はクリスティ-が葬儀の準備をする手助けをし、死が差し迫っていることを予想して子どもたちに対するカウンセリングも提供しました。 

異常なほど短期間で、息子が絶望的だと宣告されたことに驚き、スティ-ブンの母親のマ-ジは、一人息子のスティ-ブンの保護を要求し、裁判官は3ヶ月後に法廷で行なわれる審問まで食物と水分の補給の打ち切りを猶予することを認めました。裁判所はまた、状況を調査し勧告を行なうために、暫定的な保護者として弁護士のジェイムズ・ライト・ジュニア氏を指名しました。ライト弁護士は、最初から、自分が最も関心を持っていることは、スティ-ブンが「完全な植物状態」にあり、「意味のある人生」を送る可能性が全くないかどうかであることを明確にしていました。その訴訟は、2000年6月2日のセントルイス・ポストディスパッチ紙の第1面を飾ることになりましたが、同紙はそれをよくある悲劇的な家族の争議だとしてしか伝えませんでした。しかし多くの読者は、瀕死の状態にない障害者へ水分補給の打ち切りによる死をカトリックの病院が支持していることに驚きました。 

新聞のインタビュ-の中で、病院の倫理担当者であるシスタ-・パット・タロ-ンは、委員会は、「勧告を行なう前に社会的、精神的、倫理的原則ばかりでなく医学的な現実も検証している」と言って、委員会による治療打ち切りの勧告を弁護しました。 

プロライフの活動家と障害者擁護の活動家達は、病院にピケを張り、病院が栄養補給を打ち切ろうとしていることに抗議しました。1ヶ月後、ジャスティン・リガリ大司教は、医療の場における栄養と水分の補給は「生命を維持する一般的な手段」だと言うヨハネ・パウロ2世が1998年に出した声明を含むいくつかのカトリック教会の資料を引用しながら、そのような問題に対するカトリック教会の立場を繰り返す声明を発しました。 

栄養管による栄養の供給の停止の決定と共に、リハビリもまた打ち切られていること、そして抗生物質さえ今では「生命維持」と考えられているということが明らかになったとき、セントルイスレビュ-紙(大司教の管区の新聞)の社説は、「患者の健康が、栄養と水分だけでなく他の種類のケアと治療にも依存している状況においては、栄養と水分を補給するという目的が、他の種類のケアを放棄することによって害なわれるべきではない。患者のいのちは、抗生物質のような基本的な種類の医療に依存しているばかりでなく、感染を最小限に減らし、身体的、精神的、生理学的機能を強化しようとする基本的なケアにも依存している。」と指摘しました。 

9月の裁判所での審問は、非公開でマスコミにも公開されませんでしたが、その後、マ-ク・シ-ゲル判事は、法廷が任命した保護者の勧告を受け入れ、スティ-ブンの保護権を彼の妻に与えました。弁護士であり保護者であるライト氏は、「リビングウイル」または他の事前指示がなくても、スティ-ブンは家族にさらなる悲しみを味わわせないために死にたいと思ったでしょうと主張し、スティ-ブンの死を早める必要性を正当化するために、6才になる息子の、「いつパパは病院を出て天国に行くの?」という質問を引用しました。 

裁判所の決定の数日後、控訴が計画されている間に、スティ-ブンは夜の間に病院から密かに連れ出されました。最終的に大司教の考えを受け入れ、病院内での栄養管の除去をしないことになった病院は、今度は彼の所在を明らかにすることを拒否したのです。 

栄養の補給を打ち切ることに対する緊急の禁止命令は、スティ-ブンの母親によって得られましたが、彼の所在がわからないので誰もそれに従うことができませんでした。必死の捜索が始まったとき、ポストディスパッチ紙は、栄養の補給がすでに打ち切られていたと報道しました。 

数日後、栄養の補給の打ち切りに対する禁止命令を延長することに関する法廷での審問が始まるわずか1時間前に、スティ-ブンが看護婦と医者と教区司祭に付き添われて家で亡くなったことが発表されました。 

その事件の後、スティ-ブンの母親に残されたのは、何千ドルもの訴訟費用の請求書とその死を防ぐことも看取ることもできなかった息子を失った苦しみでした。病院の倫理担当者であるシスタ-・パット・タロ-ンはその後、カトリック保健協会の倫理長官に昇進しました。一方、リガリ大司教の介入は、著名なカトリックの神学者や倫理学者によって公然と非難されました。 

30年前、私はまさにその聖ヨハネ慈善病院の集中治療室(ICU)で看護婦として働いていました。当時、安楽死教育審議会も「リビングウイル」もまだ存在していませんでした。そして患者を「植物」と呼ぶことは、失礼な言い方であり、それは診断ではありませんでした。 

当時、医者と看護婦の間には、死をもたらしたり早めることは間違ったことだというコンセンサスがあり、私たちは普通の治療と普通でない治療の決定の違いをわかっていました。医学生や看護学生は、幼児やひどい障害を持った人々のような自分で話すことのできない患者は、その弱さゆえに特に被害にあわないように保護する必要があると教えられました。患者のいのちを終わらせるために栄養管を取り除くことは、全く考えられないことでした。 

そのころは、患者の死が避けられないものと思われたとき、私たちは家族に対して、DNR(心肺蘇生をしないという)指示やさらなる苦痛を伴う治療を始めないという選択肢について話しました。しかし私たちがしなかったことは、患者の死を早めるために治療を打ち切ることでした。 

私は、交通事故後に昏睡状態で運びこまれた一人の若者のことを特に覚えています。彼を診察した神経外科医は、明日までもたないか、死ななくても「植物人間」になるかのどちらかだろうと予言しました。私は医者が患者の前でそのようなことを言ったことにショックを受けました。 

しかし「マイク」は死なず、数週間後彼は指図されるままに指を動かし、「やあ」と言うことができるようになりました。私たち看護婦は興奮しましたが、マイクがきつい刺激を与えても神経外科医には反応を示さないことに私たちは当惑しました。マイクは集中治療室を出ましたが、私たちは彼が残りの人生を介護施設で過ごすことになるだろうと思っていました。 

2年後、ハンサムな若者が私たちの働いているICUにつかつかと入ってきて、自分がマイクであると名乗り、いのちを救ってくれてありがとうと私たちに感謝しました。私たちはあっけにとられました。笑いながら私は彼に、「覚えてはいないでしょうけど、あなたは私たち看護婦には少し反応を示しても、神経外科医には反応を示さなかったのよ。」と言いました。マイクが、医者が自分のことを植物人間だと呼ぶのを聞いてとても腹がたったので、医者には反応を示さなかったのだと言ったとき、笑いが止まりました。今日、医者に反応を示すのを拒否したりすれば、マイクはたぶん死ぬことになるでしょう。 

今日、カトリック病院であってもカトリック病院でなくても、国中の病院で、家族は医者に絶対的な自信を持って、「あなたの愛している人は、絶望的な状態にあり、そのまま死なせてあげるために全ての治療を控えるかまたは打ち切るべきです。」と言われています。このようなことを言われるのは、しばしば、脳を損傷したり、脳卒中を起こしたり、重体になったりした数時間、数日、数週間以内のことです。私は、承諾をしたがらない家族に治療の打ち切りを勧めるために、このような患者が「脳死状態」だと言われるのを目撃した経験があります。 

今、非常に重い脳の障害を持った患者のケアと本当に死が間近に迫っている人々のケアを同等のものとする「終末期」教育計画が広がっています。したがって死は、神と再び一体化する方法としてあるばかりでなく、いわゆる「死ぬ権利」を選択する合法的な権利の行使であるとして、事実上祝福されているのです。普通の医療行為でさえ、これらの幸せな最後を妨げるものであるとしばしばみなされているように思われます。 

よくあるように、今日問題となっている行いは、過去の間違った考え方に起源を発しているのです。いわゆる「植物」人間に対する栄養の補給を打ち切ることに対する神学的原理は、現在セントルイスの医療倫理センタ-の名誉長官をしているケビン・オル-ク神父のような倫理学者たちによって、初めて考えられたものです。彼は、他の倫理学者と同様に、精神的機能がないと考えられることは、「植物状態の」患者が、精神的な人生の目的を追求することの妨げとなり、従って、栄養管でさえ、控えてもまたは打ち切っても倫理的に問題のない過剰な治療の例であると主張しました。1991年のインタビュ-で、オル-ク神父は、そのような患者にスプ-ンで食事を与えることは、「(脳の)障害が修復可能であり、患者が人々を知り、愛し、関わることができるようになるだろうという医学的証拠がある場合に限って」行なわれるべきだと主張して、その道徳的必要性さえ否定したのです。 

脳を損傷した人々に対するこの新しい考え方のきっかけとなった医学的な大発見は何もなく、むしろ宗教的な考え方が変わったのです。意識不明の男性を救い、彼の治療費まで支払ったよきサマリア人の例は、精神的な「生活の質」についての心配に置き換えられたのでした。 

「思いやりのある死」という新しい世俗的な倫理感を借用して、今ではカトリック保健協会でさえ、「正しい」選択をしない患者や家族に治療の打ち切りを病院が強制できるようにする「フュ-ティリティポリシ-(治療効果が期待できない患者に対する治療方針)」を病院の倫理委員会に奨励する記事を出しています。医療の提供を制限することに関する記事は、「社会正義」に関する懸念によって動機づけられたものとして出されているのですが、その「社会正義」とは、社会は個々の患者より優先されるものと考えられるということしか意味しないのです。 

このような傾向を逆転させるために私たちは何ができるでしょうか。セントルイスのカトリック病院での瀕死ではない患者に対する栄養補給と水分補給の拒否を禁止したリガリ大司教の方針のような方針は、希望の持てる出発点です。しかし、もっと良い教育的な資料もまた必要です。教皇ヨハネ・パウロ2世自ら、「カトリック教会のカテキズムが『熱心すぎる治療の拒否』(2278)と呼んでいる、負担となる、または危険である、または期待される結果と不釣り合いとなる可能性のある医療行為を継続しないことと、栄養の補給や水分の補給や普通の治療のようないのちを維持させる普通の手段を取り去ることの間の実質的な道徳的違いを明確にするために、大きな教育的努力が必要とされています。」と述べられています。 

より実際的なレベルでは、「植物人間」の生活を向上させるために、さらに多くのことをすることができます。家族が治療の継続を主張したり、カトリック病院なら、保険金が尽きたときにそのような患者を介護施設に送り出すという一般的なやり方ではなく、イギリスやイスラエルでそのような患者に対して行なわれているような自立支援努力に基づいた、切に望まれている長期のリハビリ施設を作ることができるでしょう。ユ-ジ-ン・ダイアモンド博士が書いているように、そのような施設は、「もしかすればキリスト教と科学が一緒になってPVS(持続的植物状態)を研究し、その望ましい結果を拡大させる場所となるかもしれません。」 

もっと進んで、治療の打ち切りを「前もって選択」できるように、全ての患者に「リビングウイル」または他の事前指示の機会を与えることを強制している連邦政府の法律は、もっと患者を保護し、カトリックの原理を明確に反映している書類を提供することによって、カトリック病院にふさわしいものになるでしょう。そしておそらく司教は、カトリック大学におけるカトリック神学の新しい監督命令に基づいて、カトリックの倫理的教えや実践を監督することができるようになるでしょう。 

少なくとも私たちは、身体障害者になるより死んだほうがましだとか、人の助けが必要な人々は自分にとっても他人にとっても重荷になるとかいう考え方が広まりつつあるのを阻止する必要があります。真の尊厳は私たち全員において固有のものであり、それは他人に依存していることによって失われるものではありません。つまり、私たちは何よりもまず、よきサマリア人の理想を取り戻す必要があるのです。 

Valko, Nancy (ヴァルコ、ナンシー)
Copyright © 2002
2002.9.5.許可を得て複製
英語原文 www.lifeissues.net