日本では、人工中絶が母体保護法第14条によって次の三つの条件下で認められます。その妊娠が継続されることにより母体の生命が脅かされる場合。例えば母体が心疾患をもっており、妊娠により重篤な心不全に進展する危険性がある場合。二番目は妊娠を継続できないほどの貧困。そして三番目が性暴力の結果の妊娠。この法律のもとに、161,741件(平成30年度)の人工中絶が登録報告されています。ただ、暴行による妊娠中絶の報告数は少ないとされています。古い報告ですが、アメリカ合衆国では、生殖年齢(12ー45才)の性暴力犠牲者のうち妊娠は5%で、34例の妊娠後の結果は、50%が中絶、32%が子供を引き取り、6%が養子に出しています。
ではアフリカに目を向けてみましょう。今から26年前の1994年に、国連平和維持軍が配置されていたにもかかわらず、世にも稀な陰惨な殺戮が起こり、三か月で80万ともいわれる死者を出した国があります。ルワンダ共和国です。二つの民族が遊牧民族と農耕民族の違いで共存していたのが、第一次世界大戦後の宗主国であったベルギー王国がルワンダを支配する手段として、一方の民族、背がより高くて顔の作りがよりヨーロッパ人に似ているツチ族を重用し、他方のフツ族を差別し、その対立は独立後も隣国のウガンダやコンゴ民主共和国を巻き込んで続きました。フツ族からでた大統領をのせた飛行機が追撃されたのをきっかけとして虐殺は起こりました。ツチ族の男性同様、女性も殺されましたが、女性はその前に性暴力を受け、そして死を免れた女性もいたのです。そして数か月後に妊娠に気づくのです。二万人の子供たちがこの性暴力から生まれたとされています。夫も親族も皆殺され、警察も病院もない中で、どれほどの絶望、無力をこのツチ族の女性たちは味わったことでしょう。
2011年春、東京の銀座ニコンサロンで「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」という写真展をみました。性暴力で授かった子供を受けいれざるを得ない状況から、その子を愛し、将来の平和につなげていこうという母親たちに言い知れぬ感銘を受け、当時勤めていた大学のアフリカの講義で毎年取り入れました。学生たちの反応は自分にはできない、驚きだなど、遠い世界のこととしてとらえてました。
ジョナサン・トーゴヴニクというイスラエル出身の写真家が、2006年HIVの取材で訪れたルワンダで1994年の被害者とその子供に出会い、撮影した写真とインタビューがRwanda Foundationのホームページに載っており、そのうち一組を紹介します。
ステラとその息子クロード
2007 ステラ
時々まだコンゴ民主共和国の森の中を、逃げまどい、暴力を受けている幻影や悪夢を見る。私は決してこれから抜け出ることはできないと思う。あの当時、民兵は森の中に隠れている私に次から次へやってきて性暴力をふるった。男が来ない夜があるのが不思議なくらい。1995年7月7日息子が生まれた、この日を決して忘れない。この子が即座に死ぬことを願った。何も与えるものがなかったのにこの子は死ななかったのには驚いた。母乳も出ず、子供は骸骨の様だった、でも性暴力をふるい続けるその男が一緒にいた。
今の問題はこの子の将来。私は独り身で、老いた母親以外誰一人として身寄りがいない。この子は私の命。私の愛する唯一の命。もしこの子がいなければいったい私はどうなっているだろう。今私が死んでしまったら、この子はどうなるだろう。私の生活がもとに戻れたらと考えるときだけが嬉しい、多分その時、息子に将来があるだろうから。
2019 クロード
母さんはあの虐殺の最中に赤ん坊の僕を連れて生きることがどんなに大変だったかを話してくれた。ある時僕を置き去りにしたいと思ったけれど、そうしなかった、僕を愛していたから。そう話すのは母さんにとってつらく、感情的になるけれども、僕たちは話し続けた。母さんを守ってやると言った男に性暴力をふるわれ、その結果僕が生まれた。
庭で母さんと夕食を共にするとき、母さんは、あの虐殺の時、食事を手に入れるのが難しく物乞いして手に入れたとよくいう。それによって僕は成長した。あの当時のことを話すとき母さんも僕も感情的になり傷つく。でも僕は自分の人生を見つめ、いかに今生きるかを思う時、強くなれるし、将来がより良いものになるという希望を持てる。
僕が生まれた後、母さんが森の中を走っているとき、枝にあたって、背中の僕が知らないうちに転がり落ちたことがあった。僕がいないことに気づいた母さんは、このまま僕を置いて走り続けた方がいいと思ったけれど、力を振り絞って戻って、僕を拾い上げて再び走り続けた。僕はこれを聞いてつらいけど、性暴力で生まれた若者とみなされる様な生き方を決してしないための勇気をもらう。良い将来を築き、自分で責任を持てる人生を歩みたい。
クロード母子のエピソードはRwanda Foundationに収められた十数組のエピソードの一つです。
トーゴヴニク氏が2006年に母親に今何を一番望むか聞いた時の答えは「この子に教育を」でした。Rwanda Foundationはその教育を支援しています。でも、母親たちは教育をほとんど受けていないのです、それにもかかわらず、授かった命を愛おしく思い育て上げたその力はどこからくるのでしょうか?授かった子供の命の尊さは、誰からも教えられずとも、その母親たち、その祖母たちから伝えられた、女性の本能なのだと思います。文明の様々な情報のない、自然に囲まれた生活の中でより強く育まれていくのだと思います。
母親の何人かは、男の罪はこの子にはないといって育てます。死ぬような苦しみの後に到達したの。この幼子の様な純粋さを、私たちも見習い、かつ広く知らしめていく必要があると思います。
参考
Rwanda Foundation https://foundationrwanda.org/
2020.10.18
M M Holmes etal Rape-related pregnancy: estimates and descriptive characteristics from a national sample of women 1996 Am J Obste Gynecol Aug 175(2):320-4
Takei,Yayoi (タケイ・ヤヨイ)
武井弥生
産婦人科医
余市協会病院地域医療国際支援センター
Copyright ©2020.10.24.許可を得て複製