日本 プロライフ ムーブメント

心の目「○×視力表」

東井義雄先生の著書『喜びの種をまこう』の中に次のような子供たちの作文が掲載されていました。 

ぼくは通信簿をもらってみたら「4」が二つもついていた。大急ぎで家に帰ってみると、お父ちゃんは庭先で仕事をしていた。「お父ちゃん、通信簿もらってきたよ」というと、お父ちゃんは「あっちにおいとけ、後で見る」と言った。ぼくはつまらんので『ふーん」といって家の中に入っていった。夕食のとき、お父ちゃんのおぜんの上においておいた。お父ちゃんは見ていたが「なんじゃ『3』が四つもあるじゃないか」と言った。ぼくは「4」が二つもあるのにと思った。 

ぼくは算数で『九十八点』とった。大急ぎで飛んで帰って、母に答案を見せた。母はじっと見ていたが、「なんで、こんな簡単なところをまちがえるんや」と怒った。次の日は「百点」だった。ぼくは「お母さん、きょうは百点やぜ」といった。母は、答案なんか見ようともしないで、「今日は問題がやさしくて、ほかの人もみんな百点だったんだろ」と言った。ぼくは悔しくて、紙にローマ字で「バカ、バカ」と書いて壁にはりつけた。母はローマ字が読めません。 

この著書によれば、子供たちの作文は、自分の良いところを見てくれない親への不満を表したものが圧倒的に多いとのことです。 

作文に登場する親御さんに限らず、どうも私たちの「目」は、「悪いところ」は、大変よく見えるのですが、「良いところ」は、ほとんど見えないように出来ているようです。 

ところで、『阿弥陀経』というお経に、「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」という、お言葉があります。 

「青い色の蓮は青い光を。黄色の蓮は黄色い光を、赤色は赤い光、白色は白い光を,それぞれ放っている」という意味なのですが、これは、「お浄土という世界は、自分の持っている色を精一杯輝かすことが出来る世界であり、しかも、それぞれお互いが、微妙に照らし合っている」ということです。 

ところが、私たちの住むこの世界は、どうでしょうか。それぞれが持っている色を十分に発揮できているでしょうか。その色が照らし合っているでしょうか。 

私はそうは思えません。 

それぞれの色が発揮できないばかりか、むしろ、その色が無視されたり、押さえつけられたりしていることが多いように思います。 

そんな私たちに向かって、阿弥陀さまは、浄土の世界を示して「人間の本当のあり方は、こういうことなんだよ」と教えて下さっているのだと思います。 

南無阿弥陀仏の呼び声にはそんな願いがこめられてあるのです。 

○と×どちらが大きい視力表になっているか、私たちは、たえず、「○×視力表」を自己点検していく必要があると思います。そして、人間の本当のあり方を求めて「○」を見ることのできる「心の目」を育てていきたいものだと思います。

Irie Kazuhiro (イリエ・カズヒロ)
入江 一宏
光明寺
一口法話
出典「光明寺だより16号」(平成13年6月) 
許可を得て複製 

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