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幹細胞研究:その光と影

科学は現在目もくらむようなスピードで進化している。クローニング、遺伝子治療、ミラクルドラッグ、風変わりな療法などなど。そのなかでももっとも衝撃的な出来事は1998年11月に起こっている。2人の研究者がそれぞれヒト受精卵および中絶胎児からの幹細胞摘出に成功したのである。この幹細胞を活用できると、熱烈な期待が湧きあがっている。その一方、無垢で無防備なヒトがその過程で破壊されるのではないかとの懸念の声も聞こえてくる。

論争は大荒れの模様である。大抵の人は混乱している。そもそも幹細胞研究とはどのようなものであるか? なぜこうした大騒ぎとなっているのか? 幹細胞研究についてはこれまでに詳細な記録と明快な論理を駆使した文献情報がいくつも発表されているので、ここでは簡単にその柱となる科学的、倫理的、そして法的な観点でのプラス面とマイナス面を見ていくことにする。

質問:そもそも幹細胞研究とは?

回答:幹細胞はヒト有機体(つまりヒトそのもの)の本質的な始原細胞であり、ヒトの身体に存在する210種類の組織すべてになり得る全能性を備えている。この幹細胞はこれまでいずれの細胞組織になるか完全に分化(あるいは、完全に決定)されていない細胞とされてきた。その定義の範囲も、「全能性」――ほぼ完全に未分化であり、身体のいずれの組織にもなり得る細胞(初期ヒト胚における受精4日目までの桑実期)――から、「多能性」――分化が進み、そのため身体の特定の細胞や組織となる細胞(初期ヒト胚における受精5-7日目の胚盤胞期、その分化能性が小さくなっていく胎児生育後期、成人期)――となっている。

しかし、現在の論争をややこしくしているのは、これまでの科学上の「事実」であった幹細胞の3つのカテゴリー(胎芽、胎児、成人)を覆す、最新の研究結果である。これまでもっとも初期の幹細胞のみが「全能性」を備えていると思われていた。けれども、今日、「プログラムを解除」して分化初期に戻せるのは「全能性」細胞だけではなく、もっと分化の進んだ細胞であってもあと戻りさせて、生命の出発点としての全能性をもたせることができることがわかった。そう、あのクローン羊のドリーがその生きた証拠である。さらに、研究調査が明らかにしたことは、ある器官の細胞および組織(血液細胞種など)といった小さな範囲の分化が「運命づけられた」細胞を、今日では「うまく操作して」まったく異なる器官の細胞や組織(さまざまな神経細胞)に変身できることである。そのため、これまでの「幹細胞」の定義がごく最近、劇的な変貌を見せている。

「幹細胞」の定義をあいまいにするコメントを1999年1月議会に発表したのが、NIH(国立衛生研究所)長官、ハロルド・バームス氏であった。あらゆる媒体で(幹細胞研究に関する公式NIHウェブをふくめる)、バームス氏は、科学的に厳密な定義である「受精卵」=ヒトとするのではなく、早期「ヒト受精卵」を単に幹細胞と定義している。早期ヒト受精卵の「細胞」はおそらく全能性、もしくは多能性(年齢によって異なる)を備えているものの、早期ヒト胚芽は受精時からヒトである。しかし、バームス氏は、いささか突飛な発想にて、着床し成人へと生育してこそはじめて「ヒト」であるとして定義している。こうした科学的な定義が、ヒト胚性幹細胞研究、およびその活用に対する議論を熱いものにしている。ここであらためて明確にするが、正しい科学知識こそがこうした論争における倫理面を理解する基本である。

質問:幹細胞研究の主な目的およびゴールは?

回答:この研究には次の大きな3つのゴールがある――1)胚性発生に関する重要な科学的知識の解明と関連分野への応用、2)疾患治療(パーキソン病、アルツハイマー病、糖尿病、脳卒中、脊髄損傷、骨疾患など)、3)製薬会社における薬剤(動物実験に頼らない)スクリーニング。

質問:すべての幹細胞研究が倫理問題の対象となるか?

回答:解説者の大多数が成人から摘出した幹細胞の使用は倫理上許容できるとしている(ただし、他の倫理上の問題をクリアしている場合)。論争の大きなポイントは、初期ヒト受精卵や中絶胎児から採取した幹細胞の使用である。

こうした「前」ヒト胚性・胎児幹細胞研究の大多数が、実利的な倫理上のプラス面を論争の盾にしている――何百万という患者のメリットを得るためにごく少数の人間を犠牲にすることは倫理上許容範囲にある、あるいは道義上必要である、と。それ以外にも、幹細胞の移植であれば、べつの患者から採取した成人幹細胞の移植時に見られる免疫不適合がないことも挙げている。さらに、ヒト受精卵や胎児の幹細胞は、成人の幹細胞よりも「全能性」「多能性」が高く、そのために「操作」して別の組織に変身させることができ、また使用時まで培地で長期保存ができるとしている。しかも、中絶胎児やIVF治療で不使用のヒト受精卵は、いずれ死んでしまう運命なのであるから、「それに命を与えているのだ」という意見さえもある。

それに反し、ヒト胚性幹細胞研究の反対派は、そもそも細胞の採取源に大きな倫理上の問題があるとしている。生きているヒト受精卵、ヒトにおいてもっとも無防備なこのかたまりが、この研究の幹細胞摘出プロセスで破壊されてしまう、抵抗するすべのないヒトを意図的に殺すことは、たとえその命がどんなに小さく、「多くの人のためになる」という大義名分があったとしても、倫理上受け入れることができないとしている。たとえよい結果が生まれるとしても悪を為すことは許されない、と。賛成派が掲げるゴールが称賛に値する立派なものであるのならば、そのゴールへの道も倫理的に善でなければならないのに、こうした研究で用いられる「アプローチ」は生命をもつ無垢なヒトを破壊し、抹殺するものではないか。他人のためというのは単なる目的であり、生得の倫理権利を有するヒト受精卵、中絶胎児にも平等な保護権利がある、と。これまでの隷属制、ナチ医学、Tuskegee梅毒実験、そして最近の政府がバックアップした放射能実験もまた、「ヒューマニティ」に対するねじれたカースト制によるものであると、訴えている。死に差し迫った人間ならば殺してもかまわないという大義名分が通用するのであれば、瀕死の患者や死刑囚や戦場にいる軍人も、「多くの人のため」に内臓や幹細胞を摘出する目的で抹殺してもよいということなのか?

反対派は、胎児臍帯血細胞がすばらしい成果をあげていること、そして同一患者の成人幹細胞でも免疫不適合という医療上の危機を避けて通ることができることに着目している。異種の成人幹細胞であっても薬物療法で問題の抗原を「覆い隠す」ことができることもわかってきた。Telomeraseのような新薬を使えば細胞の培地生育を無期限に進めることができ、新しいホルモン(成長因子)が活用されて細胞特殊化が進んでいる。もっとも危険をはらんでいるのが、成人幹細胞であっても「操作」によって特殊化(分化)過程をあと戻りさせることができ、(すでに述べているように)本来あるべき「進化の道」から外してしまうことができることである。成人幹細胞でもすでに患者がもとめる細胞種に近づけることができる。そのため、現実において「ヒト胚性幹細胞を使用する必要性はまったくない」。こうした反対意見は、大抵の研究者や企業の耳に入っており、近年発行されているこの分野の機関紙でも数多く取りあげられている。

質問:幹細胞研究は合法的か?

回答:成人幹細胞の使用は合法的である。しかし、ヒト胚性幹細胞や特定の胎児幹細胞はそうではない。

国立衛生研究所(NIH)のヒト受精卵研究審査員団が1994年にヒト受精卵研究を認可しているものの、1994年以降、議会は本研究への政府助成を禁止している。本年1月、保健・福祉省(DHHS)は、受精卵から摘出した幹細胞は受精卵ではないと規定したため、ヒト胚性幹細胞研究は、細胞の収集源が官民いずれであっても、議会禁制にあてはまらないものとなった。また、この裁決は「不使用」受精卵がヒトにならないことを暗に示している。この世に誕生する「可能性」がないからである。したがって、政府はこの研究に助成金を提供すべきであるという結論に結びついている。

しかし、反対派は次のように指摘している――こうした議会裁定が、「ヒト受精卵や胚芽を破壊し、廃棄し、損傷や死にさらすことを前提としている研究」(Sec. 511、Pub. L. No. 105-277)(官民いずれの施設で製造される受精卵を含む)でのヒト受精卵抹殺に予防線をはっている、と。採集源がプライベートなものであったとしてもしなくても、明らかにその意図や協力体制には倫理違反の共犯であるとしている。そこでは、幹細胞が「受精卵ではない」という視点が問題ではなく、ここでポイントとなるのは、幹細胞を生きているヒト受精卵から採取する点にあると、主張している。また、DHHSが掲げている「受精卵」や「ヒト」の定義のその科学的信憑性にも異議を訴えている。

中絶胎児を幹細胞の採集源とするアプローチもはねつけている。現行の連邦政府法規は、胎児が分娩時まで生存するしないにかかわらず、生きている中絶胎児を実験に使うことを禁止している(Section 511 of Pub. L. No. 105-277)。また、こうした生存中絶胎児からの組織の採取、およびいかなる理由においても研究者のニーズによる中絶措置も禁止している(42 USC Sec. 289g-1)。

上記の主張ももちろん堂々たる主張であるが、反対派の多数の見解はキリスト教原理に基づいている。聖書の一説に、誰もが神の創造のもとに生まれた神の子であり、尊厳と権利、そして不変の愛、保護、導きを受けるものである、と記されている。彼らの見解はこうである、われわれは最も無垢で無防備な生命を、他人のために「いけにえの羊」とすることはできない――どのような目的であれ、手段であれ。

9月、国家生命倫理委員会(NBAC)は「ヒト受精卵は人としての尊厳に値する」としているものの、実利という目先のニンジンのため、研究グループへの政府助成を認可した。10月初旬、上院は幹細胞研究規制を設けることないままにHHS法案を可決した。しかし、現在、下院がその裁決を先送りしている。反対派が望むかたちは、議会がヒト胚性幹細胞研究を禁制とし、その代わりとして、成人幹細胞やその他のすでに成果をあげている療法など倫理的アプローチを採用している研究に政府助成を提供する体制である。

ダイアンヌ・アーヴィング医学博士
Copyright ©1999年10月15日
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net