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幹細胞を巡る議論

1997年にクローン羊ドリーが誕生したことで、「クローン作成を巡る議論」が始まった。その議論は、今「幹細胞を巡る議論」へと発展している。数々の主張や紛らわしい専門用語が飛び交う中で当惑している人も多いだろう。しかしながら、アブード博士は次のように述べている。「生物学の学位がなくてもこれらの用語を理解することは十分可能である。基本的な倫理は決して難解なものではない。」 

幹細胞に関して議論が起こっている理由は?

さまざまな技術を駆使して損傷を受けた臓器や組織を修復する再生医療は、今最も注目されている新しい医療分野である。幹細胞治療は、再生医療を実現するための一つのステップと考えられている。幹細胞治療は、今後の医療において大きな可能性が期待されている。倫理的に問題となるのは、幹細胞を使用するかどうかではなく、どこからそれを入手するかである。幹細胞の研究のために初期胚を破壊して幹細胞を採取することは、倫理的に認められるものではない。 

幹細胞とは?

通常、皮膚細胞は、最後まで皮膚細胞でしかない。同様に、神経細胞は最後まで神経細胞のままである。 

ところが、幹細胞は、心臓細胞、神経細胞、筋肉細胞、皮膚細胞など、さまざまな種類の細胞に変化することができる。この性質こそが、幹細胞という名称の所以である。幹細胞は、幹あるいは胴体であり、そこから枝(さまざまな種類の細胞)を伸ばすことができる。幹細胞のこうした性質を利用し、異なる種類の組織に成長するよう誘導することで、一部の疾病治療に有効活用できると考えられている。 

幹細胞はどこから入手するのか?

成体幹細胞: 生きている人(子どもまたは成人)から、その体を傷つけることなく幹細胞を採取することができる。これらの細胞を成体幹細胞と呼ぶ。 

胚性幹細胞:初期胚から採取する。初期胚を破壊し、幹細胞を抽出する。 

成体幹細胞は、その名前にもかかわらず、子どもまたは成人からその体を傷つけることなく採取、あるいは分娩後の臍帯血から採取される。 

幹細胞治療の利点は?

幹細胞に関する調査では、幹細胞は、アルツハイマー病、パーキンソン病、糖尿病、脊髄損傷、心疾患、癌など、さまざまな疾患に対して有効と考えられている。損傷を受けた組織の代わりに新しい細胞を利用するのである。 

ただし、これらは複雑な疾患であり、治療も容易でないことから、幹細胞の利点が応用されるまでにはまだ時間がかかるということを認識する必要がある。前向きに研究を進める一方で、現実的な面も忘れてはならない。 

これまで実際に患者を救った例があるのは、成体幹細胞による治療だけである。胚性幹細胞に関する研究で実際に治療に成功した例はこれまで1例もない。成功率はゼロである。 

初期胚から幹細胞をどのようにして採取するのか?

胚性幹細胞は、「余剰」IVF胚を破壊して抽出するか、胚を作成して(クローン胚)そこから採取する。 

余剰IVF胚から幹細胞をどのようにして採取するのか?

凍結保存されていた胚を解凍し、分裂の初期段階にある胚(通常、受精後5日から7日)を構成部分に分割または分離する。この作業により胚は死んでしまう。 

幹細胞を培養基に移し、そこで分裂を起こさせる。幹細胞が増殖し、コロニー、すなわち細胞の集合体になったら、特定の細胞(例:心臓細胞)として組織を形成するようにプログラムする。 

クローン胚からどのようにして幹細胞を採取するのか?

別の方法として、クローン羊ドリーの場合と同様、核の体内移植により新しい胚を作成するやり方がある。つまり、幹細胞を抽出する目的のためだけにヒトの胚を故意に作成するのである。この方法は、治療のためのクローン作成と呼ばれることもあるが、初期胚にとっては治療に当たらないため、この呼び方は全くの誤りである。 

研究者およびバイオテクノロジー産業の関係者には、ヒトのクローン作成によって幹細胞の継続的な供給が可能になると言う人もいる。基本的に、彼らが目指しているのは、患者の治療を目的とした胚養殖場の開発である。 

成体幹細胞についてはどうか?

幹細胞に関する研究の中で、成体幹細胞を使った治療ではこれまでに成果が得られている。成体幹細胞が発見されたのは、約30年前である。成体幹細胞は、脳、骨髄、皮膚、脂肪など、体のさまざまな箇所から採取が可能である。 

メルボルンのオーストラリア人研究チームは、ヒトの脳から成体幹細胞を採取する技術を開発した。これにより、パーキンソン病などの神経疾患に苦しむ患者の治療が可能になると考えられる。 

成体幹細胞を使用した治療の成功は、特に注目に値するものである。成体幹細胞の研究では、胚の破壊は行われず、クローンを作成する必要もない。 

さらに、成功率も非常に高い。医療雑誌New Scientistに先日発表された論文には、「究極の幹細胞」として成体幹細胞のひとつが紹介されている。 

医師はどの幹細胞を使用すべきか?

メディアは、胚性幹細胞の研究が何にも増して優先されるべきだという印象を与える報道を行っている。しかし、それは胚の破壊を伴う幹細胞研究に対して個人的な関心を持つ人々が扇動する欺瞞的プロパガンダである。幹細胞の研究を行うために胚を破壊する権利は誰にもない。胚を破壊せず、倫理的にも正しい成体幹細胞の研究を成功させるべく努力するのが我々の責任である。成体幹細胞の研究は、我々により大きな成果をもたらしてくれるだろう。 

胚性幹細胞の研究とクローン作成にはどのような関係があるのか?

胚性幹細胞の研究は、クローン作成の出発点である。IVF胚は研究には使えるが、治療には利用できないと思われる。胚性幹細胞を患者に移植しても、免疫系による拒絶反応が起ると考えられる。この問題を克服するために、患者のクローンを作成して幹細胞を抽出する方法が提案されている。この方法で抽出された幹細胞は、患者の細胞と同じ遺伝子コードを持つため、免疫拒絶反応の危険を心配することなく患者の体内に移植することができる。ただし、もしクローンが子宮内で発達を続ければ、子どもが誕生することになる。研究者の中には、幹細胞を抽出するためのクローン作成(いわゆる「治療目的のクローン作成」)は許容されるが、完全な子どもになるまでクローンを成長させること(「生殖目的のクローン作成」)は許されないと主張する人々もいる。これらは両方とも倫理に反するものである。 

これは宗教と科学の対立なのか?

いいえ。この議論は、善の科学と悪の科学の戦いである。善の科学は倫理に基づいた科学である。倫理に基づいた科学はすべて成功を収めている。宗教的信念によって人間の尊厳の範囲と重要性が強調され、世間に議論を巻き起こす結果となっているが、この議論の基本は、人間の権利を尊重する倫理に基づいた正当な科学とは何かを理解してもらうことなのである。 

成体幹細胞が実用面と倫理面の双方から利用可能であるにもかかわらず、なぜ一部の研究者は胚性幹細胞の研究を進めようとするのか?

胚性幹細胞は、下記の理由により成体幹細胞より有効性が高いと考えられていた: 

  • 胚性幹細胞は、識別、分離、培養が容易である。数が多い。
  • 成体幹細胞と比較して、胚性幹細胞は、成長が早く、実験室での培養も容易である。
  • 胚性幹細胞は、操作がより簡単である(可塑性が高い)。

しかしながら、これらの論拠はすべて誤りであることが確認されている。 

最初の2点は誤解である。採取に問題はない。一部のヒト成体幹細胞は10年近くも前から抽出されている。(骨髄移植もそのひとつである。)一方、ヒト胚性幹細胞の分離が成功したのは1998年である。バイオテクノロジー企業の中には、成体幹細胞の単離と抽出を容易に行える技術を開発し、特許登録しているところもある。 

幹細胞は、成人において、脳および身体を含めたほぼすべての主要器官に存在することが研究者によって確認されている。昨年には、培養基の中で成体幹細胞を2週間で10億倍に増殖させるための条件が発見されている。 

胚性幹細胞の使用が支持される主な理由は、「可塑性」が高い、すなわち他の細胞に変化させやすいという点である。この主張には一定の根拠があるが、技術が急速に進歩している現状で、それを立証することは困難である。米国立衛生研究所は、「幹細胞バイオロジーは、1週間に1回の割合で科学論文に新しい発見事項が発表されるという驚くべき勢いで進歩している。」と報告している。胚性幹細胞を使用することの利点は、研究者にとってすでに過去のものとなっているかもしれない。 

成体幹細胞は、胚性幹細胞ほど「可塑性」が高いわけではないが、今後、十分な可塑性が証明されるのはほぼ確実である。テネシー大学(メンフィス)神経科学・神経外科教授のデニス・スタインドラー博士は、次のようにコメントしている。「成体の組織は、我々が思っていたほど固定された運命を持っているわけではなさそうだ。一定の条件下では胚性細胞より潜在性に劣るかもしれないが、その分子遺伝学を解明できれば、希望するどんなタイプの組織に誘導することも可能になるはずである。」 

治療や研究に胚性幹細胞を使うべきでない理由は?

1.倫理に反するというのがひとつの理由である。胚性幹細胞を採取する過程で、ヒトの胚を破壊することになる。ヒトの生命を破壊することは、たとえ別のヒトの生命を助けるためであっても正当化できることではない。 

2.胚性幹細胞は、癌を誘発する可能性がある。胚性幹細胞は万能であるが、悪性化する可能性もある。胚性幹細胞が癌を誘発する可能性は、研究者にとって大きな懸念材料である。ジャーナル「Stem Cells」の編集者は、昨年、次のような驚くべき発言を行った:「幹細胞が臨床に応用されるには、まだ長い年月がかかると思われる。胚性幹細胞および胎性幹細胞を臨床に応用する前に、胚性幹細胞の悪性化のリスクを十分調査する必要がある。」成体幹細胞は、胚性幹細胞より安定度が高く、一方で腫瘍を形成する傾向は低い。 

3.胚性幹細胞を使用する必要がない。成体幹細胞が利用可能な選択肢であることが証明されつつある。例えば、臍帯血および骨盤血には多くの幹細胞が含まれている。脳を含め、成体のほぼすべての主要器官に幹細胞の存在が確認されている。また、前記の通り、成体幹細胞は実際の治療で成功を収めているが、胚性幹細胞は将来的な有効性が理論的に提示されているのみである。 

これは特に注目すべき点である。成体幹細胞の実用性は、ここ数年多数の症例において立証されているが、胚性幹細胞が患者に対して実際に有効性を示したという例はまだ報告されていない。 

4.胚性幹細胞の利点が利用できるのは、相当先のことである。胚性幹細胞の潜在的利点が利用可能になるまでかなりの時間を要することは、多くの科学者が認めるところである。グスタフ・ノーザル卿を始めとする専門家は、今後数年間に大発見と呼べる内容が新たに見つかる可能性は少ないと予想している。さらに、胚性幹細胞の研究には費用がかかり、多大な努力を必要とされるだろう、とも話している。その間にも、成体幹細胞に関しては、さまざまな新事実が発見されている。残念なことに、胚性幹細胞による治療を支持する研究者たちは、明日にでもその有効性が実用化されるような話をして、病気に苦しむ人々に無用な期待を抱かせている。 

5.成体幹細胞を使用することで、胚性幹細胞を使用する場合に大きな問題となる免疫拒絶反応を回避することができる。我々の体は、体内に他人の組織が移植されると、直ちにそれを認識し、抹殺しようとする。自分自身の細胞を使用すれば、適合性の問題を回避することができる。成体幹細胞を使用することは、全体論的かつ自然な治療法でもある。胚性幹細胞を用いた治療実験では、患者の病状が悪化した例もある。 

6.胚性幹細胞に関する研究は、治療効果への期待ではなく、収益拡大を目的として行われている。細胞株の多くは、民間企業が保有している。幹細胞研究における既得利権の大きさは、驚くべきものである。大手バイオテクノロジー企業は、大手タバコ産業や大手石油企業など、マスコミから懐疑的に見られている他の業界と同様に、利益最優先の方針を掲げているのである。 

「生殖目的のクローン作成」はどうなのか?

ほとんどの人が「生殖目的のクローン作成」を禁止するべきだと考えている。しかし、もし研究のためのクローン作成が許可されれば、胚のクローンを作成してクローンチャイルドを作ろうとする不謹慎な人間も現れるだろう。すでに米国では、数組の夫婦が亡くなった子どものクローン作成を希望する旨を発表している。彼らは、子どものクローン作成を「生殖の権利」だと主張している。無節操な科学者が成しえなかったことを無節操な法律家が実現してしまうかもしれない。亡くなった人を再生するためのクローン作成を食い止めるには今しかない。時間が経てば、生殖のためのクローン作成という考えに人々が慣れてしまい、それが認められるという事態にもなりかねない。 

胚もヒトとして尊重されるべきか?

胚を使った研究は、まだ胚の段階であるとはいえ、ヒトを使った研究でもある。この研究は、ヒトの胚の尊厳を無視したものである。ヒトの胚は、ひとりの人間として生命を持つもので、他の人間と同じ権利が保証されるべきである。ヒトの生命は、受精(受胎)の瞬間から始まる。したがって、ヒトの胚は、それが形成された手段にかかわらず、故意に死に至らしめるべきではない。1つの生命として認め、尊重されるべきである。 

胚の成長が始まれば、そこには紛れもない1人のヒトが存在していることになる。したがって、胚を単に道具として利用することはあってはならないのである。ヒトの胚を破壊する技術や「治療目的での」手段はすべて禁止されるべきである。 

胚はいずれにしても破壊されてしまうのではないか? なぜ胚を有効活用しないのか?

凍結保存した胚はいずれにしても破壊されると主張する人々は、大切な点を見落としている。複数の夫婦が、体内に移植して新しい子どもとして育てるために胚の作成を依頼した。その結果、余剰胚の存在が大きな問題となっている。IVF産業は、研究者たちを当惑させ、法律上の混乱をも招く事態を引き起こすことになった。しかし、胚を使った研究を行わない我々がこうした混乱を招くことはありえない。 

余剰IVF胚に関する倫理的ジレンマについては、人道的解決方法を見つける必要がある。胚を養子に出すという案もある。アメリカでは、小規模ながらこの案が実施されている。どのような決断になろうとも、胚は、体の一部から取り出した物質としてではなく、尊厳をもって扱われるべきである。 

先日オーストリアで起きたある事件を教訓にしたい。ナチスの医師が、殺されてホルマリンに保存されていた子どもの脳のコレクションを作った。この医師は、脳に関する研究について科学論文を書き、有名人となった。このスキャンダルが明るみに出たとき、オーストリアの人々は驚愕し、数千人の人々が立ち会う中、これらの遺体の一部に尊厳を認め、埋葬するための公開儀式が執り行われた。子どもたちはどのみち亡くなっているのだから医師が科学の発展のために研究を継続してもよいはずだという人は誰もいなかった。 

これは、「余剰」IVF胚を巡る論争において教訓となる出来事である。過ちは起こってしまったが、余剰胚を破棄するのではなく、それらに尊厳を認め、敬意をもって取り扱うことが、我々が取るべき正しい方法なのである。 

Abboud, Amin (アブード・アミン)
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