幸せになれない人の「3つの共通点」
幸せになれる人と幸せになれない人にはどんな違いがあるのか。福厳寺住職でYouTuberの大愚元勝さんは「幸せになれない人は、思考(ものの見方、考え方)に問題がある。たとえば『ありがとう』という言葉がすぐに出てこないことが多い」という——。
「信念が変われば言葉が変わる」
私たちは、誰もが幸せになりたいと思っています。
けれども、なかなか、そう思い通りにはいかないのが、人生です。
とはいえ、世の中には、どうみても幸せそうな人がいます。
幸せになれる人と、なれない人。その違いは一体、どこから来るのでしょう。
その答えは、信念(思考)の違いにあります。
「信念が変われば言葉が変わる。言葉が変われば行動も変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」
とは、インド独立の父、マハトマ・ガンディーの言葉ですが、これは古今東西変わらぬ真実です。
幸せになれる人は、幸せになる思考ができます。
幸せになれない人は、幸せになる思考ができません。
今から2500年前のインドに、このことを発見し、幸せになるための道を、人々に説いた人がいました。お釈迦さまです。
ここに、数あるお釈迦さまの教えの中から3つ、「幸せになれない人ができていないこと」を挙げてみたいと思います。
①因果応報の原則を知らない
お釈迦さまは「因果応報」の原則を説かれました。
因果応報とは、「すべての出来事は、原因によって生じた結果である」という意味です。
桃の種を土に植えれば、芽が出て、やがて桃の実がなる。
柿の種を土に植えれば、芽が出て、やがて柿の実がなる。
一見「あたりまえ」のことを言っているように思えますが、これが「自分のこと」となると、
因果応報として考えられなくなってしまうものです。
もし「いま、あなたの目の前に起こっている現実は、すべて過去のあなたが選択した結果である」と言われたらどうでしょうか。
それがあなたにとって好ましい結果であれ、好ましくない結果であれ、あなたが過去に蒔いた種が、いま、実を結んでいる。
例えば、お金がない。仕事がない。仕事がつまらない。異性にモテない。人間関係がうまくいかない。体調が優れない。
これらを、因果報応だとは認めがたい自分がいたりしないでしょうか。
不幸を人のせいにしては、果実は得られない
もちろん、ものごとがうまくいかない理由のすべてが、あなたにだけあるわけではない場合もあります。親や政府や他人が原因でうまくいかないことが確かにあります。
けれども、結果として、いま味わっている不幸の原因を、政府や、親や、周囲や環境のせいにしたりして、愚痴ったところで、状況は変わりません。
ましてや、口先だけで行動が伴わず、大した努力もせず、他に依存しながら、他を恨み、罵り続けている人。そのような人が、幸せの果実を手にすることはありません。
一方で、世の中には、どんな酷い状況にあっても、愚痴らず、腐らず、淡々と、今自分にできる最良の選択をし、今自分にできる最大の努力をしている人がいるものです。
そのような「因」を作り続けた人は、いつか必ず、その努力に見合った「果」を得ています。
蒔いた種は自分で刈り取る。これが因果応報の原則です。
②利他の精神が育っていない
利他の精神が育っておらず、「自分さえよければいい」という、
幼稚な考え方しかできない人は、決して幸せになることができません。
本当の「友」ができないからです。
人は誰しも、自分のことが大切です。この世に星の数ほどある生命の中から、
77億以上いると言われる人間の中の中から、最も重要で、最も愛すべき生命体として自分を抽出し、それに親しみを込めて呼ぶ名が、「わたし」です。
そう、誰にとっても「わたし」が大切です。「わたし」以上に大切な人はいません。
だから放っておくと、つい私たちは、「自分さえよければいい」と考えてしまいます。しかし「自分さえよければいい」は、裏を返せば、「他人のことはどうでもいい」ということでもあります。
お金も、物も、愛情も、人からもらうことばかり、奪うことばかり考えている人。
自分の利益や快楽のためなら、他人を騙しても、裏切っても、傷つけても仕方ないと思っている人。
そのような人は、一時的に得をしたり、高揚感を味わうことはあっても、その喜びが永続きすることはありません。
人の恨みを買いやすく、近寄ってくるのは損得勘定で動く者たちばかりで、いざというとき、損得を離れて助けてくれる、本当の「友」ができないからです。
善き友ができれば人生は豊かになる
一方、「自分も他人も同じように大切にする」という、利他の信念に生きる人は、年を重ねるごとに善き人間関係に恵まれるため、幸せになります。
善き友を得る秘訣は「与える」こと。お釈迦さまは、「自分のことに引き合わせて、他を思いやりなさい」と説かれました。
お金でも、物でも、知識でも、情報でも、気持ちでもいい。自分から与えることで、善き友に恵まれるのです。
③想像力に乏しいため、感謝報恩ができない
一人で生きている人はいません。人間という文字通り、誰もが「人の間」に生きています。
独り者、一人暮らしをしている人であっても、誰かに支えられて生きています。
けれども、そのことに気が付かず、自分は「誰の世話にもならずに生きている」と
勘違いしている人がいます。残念ながら、そのような人は、幸せになることができません。
「感謝」という、最高の喜びを得られないからです。
感謝できない人は、「俺は自分で稼いでいる」「私は自立して生きている」「何で誰かに感謝しなければいけないんだ」と思って生きています。
けれども、それは別に声高に威張るような立派なことではなく、普通のことです。
野良猫でも、野良犬でも、ドブネズミたちでも、ちゃんと自分でエサをとって生きています。
そして彼らも、誰かに感謝することはありません。
私たち人間は、動物たちよりも発達した、脳を持っています。
そこに豊かな想像力を持っています。その豊かな想像力をフルに働かせて考えてみてください。
私たちは、本当に自分の力だけで生きているでしょうか。
自分の力だけで、いまのこの、便利で豊かな生活を送れているのでしょうか。
例えば、今あなたが気持ちよくドライブしている、轍なく舗装された道路は、一体誰のお金によって作られたのでしょう。
税金です。そう、もちろんあなたも税金を払っておられるでしょう。
けれども、あなたがどんなに高額納税者であったとしても、あなただけの税金だけで、あなたが運転する道路の舗装をすべて行うことなど到底できません。多くの企業や、その他の大勢の人たちが、懸命に働き、納税しているおかげで、快適なドライブが楽しめるのです。
例えば、かつて生まれたばかりのあなたは、わずか3kg程度の小さな身体でした。それが今や、60kg、70kgもの立派な身体に成長しています。
その体重差、その体格差は一体どこから得たのでしょうか。
食べ物です。そう、あなたがこれまで食べてきた、たくさんの命から頂いたものです。お父さんでもなく、お母さんでもなく、多くの命を頂いて、骨肉を大きくしてきたのです。
あなたを幸せにする「ありがとう」という言葉
このように想像していったらキリがありません。
「自分一人で生きている」どころか、食べ物でも、服でも、携帯電話でも、何一つ、「自分一人で」作ったり、得たりしたものなど無いことが分かります。
感謝できないのは、知識や想像力に欠けているからです。
歴史や社会の仕組みを知り、想像力をもって、いまの便利で豊かな生活を享受できている背景を眺めるとき、そこには数え切れないほど多くの命や、数え切れないほど多くの人々の「おかげ」があることに気付きます。
誰かに親切にしてもらったとき「ありがとう」が言える人は、言葉が豊かです。
目に見えないことにまで、想像力を働かせて感謝できる人は、感性が豊かです。
「金を払ってるのに、なんで感謝しなきゃいけないんだ」という人は、幸せになれません。言葉も感性も乏しいからです。
「ありがとう」と言える人は幸せになります。
「ありがとう」が、それを受け取る者の心を潤すからです。
「ありがとう」が、それを発する者の心を浄化し、最高の喜びをもたらすからです。
幸せな思考で幸せな運命が開かれる
「幸せになれない人が共通してできていないこと」
その答えは、思考(ものの見方、考え方)にありました。
「思考」はスポーツと同じです。意識して練習すれば、できるようになります。
幸せな思考は、幸せな言動となって現れます。
幸せな言動が繰り返されれば、それは、幸せな習慣となります。
その幸せな習慣が、幸せな人格をつくり、その人格によって、幸せな運命が開かれていきます。
「幸せ」は外からやってくるものではありません。気付いて実践した結果、自分の内側に生じてくるものなのです。
Taigu Genshou (タイグ ゲンショウ)
大愚 元勝
佛心宗大叢山福厳寺住職
(株)慈光グループ代表
出典 PRESIDENT Online
Copyright © 2021年10月13 日
2021年10月19日許可を得て複製