日本 プロライフ ムーブメント

この子が死んでしまったのに私が食べるなんて

私の診療室に小林里子さん(仮名)22歳が来るようになったのは、一年半前のことでした。高校生の頃からダイエットを試みることが幾度もあり、一時的に成功してもリバウンドでもとに戻ってしまいがっかりしてイライラが続き、今度は過食と嘔吐を繰り返す日々が続くといったありさまでした。体重が一定しないのと感情の波が激しいことの間にはかなりの関連性があるのです。抗うつ剤、安定剤、睡眠剤を服用しながら規則的な食事を摂る生活をしようと励んだ結果、精神的にも落ち着きを回復し、恋人もできて結婚したのです。新しい生活が始まり、希望をもって生活してゆきました。 

そのうちに妊娠したことが分かり、里子さんは不安の中にも喜びをもって赤ちゃんを産むことを待ちわびるようになっていったのです。つわりの時期も終わり、妊娠も順調に経過してゆきました。ところが、食欲が旺盛になるようになり体重がかなり増えだした頃から精神的に落ち着かなくなっていったのです。これまでに体重が減ったときは異常とも思えるほどのうれしさにつつまれ、その反対に体重がちょっとでも増えたときはものすごく落ち込んでイライラや怒りをどうすることもできなくなるということを繰り返してきた里子さんです。妊娠で体重が増えるのは当たり前だし、また増えなければよくない——-そんなことは頭では分かっていました。しかし、現実に体重計の針が増える方に振れた時、里子さんは食べるのが怖くなってしまったのです。こうして妊娠中の間里子さんの食生活はかなり不規則、不安定なものとなってしまいました。何とか出産までこぎ付けたのですが、出産後に大変なことが起こってしまったのです。出産後三ヶ月たった時、赤ちゃんの様態が突然悪くなり亡くなってしまったのです。里子さんはパニック状態となりました。昨日まで胸のなかで抱いて、ぬくもりを感じあっていたのに、今日はその体が冷たくなっている。取り乱して泣き崩れている里子さんは痛々しいばかりでした。 

げっそりとして痩せてしまった里子さんの心の中に、次第に罪の意識が大きくなってゆきました。「私が妊娠中にきちんと食べていたらこんなことにならなかったのではないか」という思いがどうしても心の中から消えることがありません。あの時きちんと食べていたなら・・・・・そう思うといてもたってもおれず、泣きくれるばかりでした。罪の意識が大きくなるにつれ、あの子が死んだのに私が食べて生きていてよいのだろうかという思いが強くなっていったのです。以前は痩せたい思いで食べることが怖かった里子さんが、今度はわが子が死んでしまったことからくる罪悪感で食べられなくなってしまったのです。食べようとするとわが子の顔が浮かんできて吐き気をもようし、胸が苦しくなってしまうという日々がつづきました。 

里子さんがこうした苦しさの中から抜け出すことができたのは、悶々として布団の中でうずくまっていた時、亡くなった子供の声が聞こえたように感じた時でした。その子は『お母さん、いつまでもいつまでも嘆いてばかりいても僕はうれしくないよ。ほんとうに僕の命を大事に思ってくれるなら、お母さん自身がしっかり食べて、自分の命を大事にしてほしい。そして、できることなら僕の代わりに弟か妹を産んで、しっかり育ててほしい。そうしたら僕はとてもうれしくなるよ』と言ったのです。その言葉を聴いた里子さんは、はっと眼が覚め不思議な気持ちになったそうです。そしていままで胸の中にもやもやしたものをずっと感じていたのですが、それが急に消えてなくなっているのに気がついたのでした。死んだわが子の言葉で眼からうろこが落ちたような体験をした里子さんは、それからは人が変わったようになり、毎日の食生活をきちんと摂るようになったのです。精神的にも落ち着きを取り戻し毎日わが子のために線香をあげ、みちがえるように元気になってゆきました。聖書の中に「もし一粒の麦が地に落ちて死なないなら、ただ一つのまま残る。しかし、死ねば多くの実を結ぶ」(ヨハネ12:24)という言葉があります。里子さんの子供は死んで地に落ちて、その後母の心の中に多くの実を結んだのであります。一つの命が消えるということは大変重いものです。それだからこそ長年治らなかった摂食障害が劇的に治ってしまうということが起こったのです。小さな小さな命がこれ程の力をもっているというのは、ほんとうに不思議なことです。 

Ihara, Shoichi (イハラ・ショウイチ) 
聖マルチン病院 精神科医 
ドミニコ会 
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