教皇フランシスコは、バチカンで7日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
2015年最初の一般謁見は、パウロ6世ホールを会場に開催された。
謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は教会をめぐる一連の考察として「母としての教会」 をテーマに取り上げながら、この機会に、家庭における母親たちの役割に注目された。
カトリック教会の典礼暦は、元日の「神の母聖マリア」に続き、6日に「主の公現」を祝った。「主の公現」では、特に、 東方の三博士が幼子イエスを訪ねたことが思い起こされる。
「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して、幼子を拝んだ(マタイ2,11)」。 星に導かれて学者たちが幼子を探し当てた時のこの様子を教皇は引用しつ、イエスをこの世にもたらした後に、 イエスを世に示す聖母の姿を観想された。
母親は、子どもに命を与えるのみならず、その子の人間的・精神的育成に大きく寄与する。母親は象徴的な視点から広く、 詩的に称えられるにも関わらず、日常生活の中で母親の声に耳を傾け、母親を助けるということは少なく、 社会におけるその中心的役割はあまり認識されていないと教皇は指摘。
これと同様、キリスト教共同体の中でも、母親の立場とその声が十分に受け入れられていない現状を見つめられた教皇は、 母親の声を聴き、母たちの家族への愛のための毎日の闘いをより理解することが大切と述べられた。
また、母親たちは、利己的な個人主義の広がりを防ぐ存在でもあると教皇は述べ、 自分を分け与えることのない個人主義に対し、子どもを生み、育てるために自分を分け与え続ける母親たちの姿を示された 。そして、子どもたちの命を奪う戦争を憎むのも、命の素晴らしさを証しするのもまた、この母たちであると話された。
教皇は、エルサルバドルのオスカル・ロメロ大司教(1987から1980)の、「母親たちは『母としての殉教』 を生きている」という言葉を紹介。母親であることは、子どもを世に生むことだけでなく、 自分の命を与えるという生き方の選択であると説かれた。
そして、「母親たちがいない社会は、非人間的な社会です」と教皇は述べ、どんな困難の中にも優しさと献身、 精神的な力を証しし、信仰の基礎を伝える母たちの重要性を強調された。
「このように教会もわたしたちの母です」、「教会の子、聖母の子、そして我々の母親たちの子であるわたしたちは、 決してみなしごではありません」と話した教皇は、「母である教会に感謝しましょう。 イエスをわたしたちに見せてくださったマリアに感謝しましょう。そして、 会場にいるすべてのお母さん方に拍手しましょう」と信者らに呼びかけられた。
Vatican Radio broadcasts (バチカン放送局 )
バチカン放送局 日本語課
出典
教皇フランシスコ 一般謁見・アンジェラス
Copyright ©2015年1月7日掲載
2015.2.18.許可を得て複製