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「宗教と阿片」 苦行陶酔

苦しい修行にも陶酔感を伴うことがある。長距離ランナーが経験するランナーズハイなど、ストレス時の快楽感に関わるホルモンが「エンドルフィン」だ。

「ストレス」は1936年にセリエ博士が定義した言葉で「有害刺激の種類によらない共通の防御反応の全体」を意味する。その中心は間脳・下垂体・副腎皮質のホルモンの反応だ。炎症を鎮める最も強力な薬として現在有用な副腎皮質ステロイド剤はストレス研究の成果だ。ストレスは自然治癒力であり、人は病気を治療するために体内にあらかじめ薬を用意していたのだとセリエ博士は言う。

ストレス反応では脳にある下垂体から副腎皮質刺激ホルモンが分泌される。このホルモンとエンドルフィンとは共通の前駆物質から作られる。そしてエンドルフィンは 体内麻薬として痛みを鎮める。強力な鎮痛作用を有する阿片アルカロイドは、このエンドルフィンの受容体に作用して痛みを止めるのだ。


阿片中毒


ケシ坊主に傷をつけて滲出した乳液が二十分ほどで黒褐色に変色して固まり生阿片となる。これに含まれる阿片アルカロイドにモルヒネやヘロインがある。近年ヘロインが高純度化され、乱用者の摂取方法が注射から吸煙あるいは鼻からの吸入に変化しているという。

依存症になると薬物の中断に際して離脱症状を起こす。離脱症状は三日目頃に最高となり一週間以上続く。不安、あくび、鼻汁、流涙、発汗、鳥肌、筋肉痛、腹痛、嘔吐、下痢、不眠、興奮、発熱、頻脈、過呼吸、血圧上昇などで「自律神経の嵐」と形容される。不快な離脱症状を回避するために薬物摂取を繰り返すようになり、やがてヘロインを手に入れるために犯罪を犯すようになる。

阿片は戦争の原因にもなった。阿片を拒否した中国は英国との戦争に敗北し、一八四二年香港が英国に割譲されることになった。その翌年、二十五才のカール・マルクスが有名な「宗教は阿片」という言葉を含む論文「ヘーゲル法哲学批判序説」を発表した。


宗教と阿片


「宗教は阿片」というマルクスの喩えは一般に否定的な面が強調されることが多い。しかし論文を読んでみると肯定的な解釈も可能なのだ。宗教は人々の現実的悲惨に対する薬として使われる「幻想的幸福、非情な世界の情」だという。そして「幻想的幸福を必要とする状態を捨てる」ことの重要性を指摘した。これは、病気の原因の治療が可能であるのに、それをせずに阿片で痛みを止めているだけのようなものだ、と。労働に換算可能な価値としての賃金が適正に支払われれば、人々は「現実的な幸福」を得ることが出来る。

では病気の原因治療が不可能な場合、例えば進行した癌のような場合はどうだろうか。この場合には原因の治療が出来ないのだから、痛み止めの阿片アルカロイドが重要となる。同様に、労働に換算できない非合理的な価値に関してはどうだろうか。お金で買えない自分の命が無くなる状況では、自己の命を超えた価値として宗教が重要となる。人間を死に至る病に罹っている存在と観る立場において、宗教と阿片が価値 あるものとして見直されるのだ。


癌の痛みからの解放


「中毒者の治療をするよりも阿片の弊害だけを取り除いて、長所だけを取りだす研究をしないのは何とばかげたことか」という阿片中毒経験者ジャン・コクトーの言葉は、ブロンプトンカクテルによって一部実現した。このカクテルはモルヒネと赤ワインとガムシロップに水を加えて作る。モルヒネの効果は個人差が甚だしいので、痛みが止まるまでモルヒネを増量する。通常四時間ごとに飲んで、寝る前に二回分を飲む ようにする。痛みが止まらなければ一時間ごとの増量も可能だ。このような飲み方で出来るだけ血中濃度を一定に保つようにしたら、モルヒネの麻薬としての弊害が避けられたのだ。モルヒネの鎮痛作用は通常の鎮痛剤よりも桁違いに強い。

モルヒネは、麻薬としての作用が出るよりも少ない量で痛みを止めることができる。この量で出るモルヒネの有害作用は便秘と吐気だ。だから前もって必ず下剤と吐気止めを併用する。モルヒネを増量していくと眠ってしまうことがあるが、呼びかけると目を覚ますような浅い眠りで、眠気も短期間で消えることが多い。さらにモルヒネを増量すると呼吸が少なくなる。私は呼吸数が一分間に十回よりも少なくなったら注意するようにしている。モルヒネを減量する場合には三割減らす。

モルヒネの徐放剤が改良されて一日一〜二回の内服ですむようになった。内服が出来ない場合には貼付薬や坐薬を使用するが、持続注射も可能だ。

モルヒネ内服薬服用中の海外旅行も一ヶ月位前に厚生省薬務局麻薬課に申請すれば可能だそうだ。日本ではモルヒネ内服中の自動車の運転が認められないが、外国では モルヒネ内服中の免許を与えている国もある。

モルヒネで身体の痛みを除いた上で、真に重要なのは命が無くなるという苦しみの手当であり、宗教者の出番なのである。

Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)
田中 雅博(1946年ー2017年3月21日)
坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師
出典 藪坊主法話集
Copyright ©2003年11月掲載
2022年4月21日複製