原発問題の基本的な論点
開発当初は「夢のエネルギー」として期待された原発でしたが、チェルノブイリ、「3・11」を経験したいま、原発の「安全神話」は崩れ、その「経済性」も大きく揺らいでいます。このようななかで「脱原発」をもとめる声が高まっていますが、他方で「原発ゼロ」が本当に実現できるのかという声も根強くあり、日本のエネルギー政策の今後をどのように考えたらよいのかが問われています。
日本のエネルギー政策と原発
日本の高度経済成長期、石炭から石油へとエネルギー政策の転換が行われました。当時、炭鉱が次々閉鎖されるなかで労働争議が大きな問題にもなりました。
石油は日本の経済にとっても、国民の暮らしにとっても重要な基礎となり、高度経済成長を支えてきました。石油の大量消費のうえに、大量生産・大量消費・大量廃棄の暮らしや文化が展開されていきました。
ところが、1973年秋、「石油ショック」に直面しました。高度経済成長は終焉し、不況の中でもインフレがすすむというなかで、国民の暮らしも大きな影響を受けました。トイレットペーパーが店頭から消える、洗剤が消える、粉ミルクが消えるなど、生活用品の「物不足」も社会問題になりました。
このようななかで、エネルギー政策としては、石油代替エネルギーの確保と省エネ対策がもとめられました。また、供給対策の中心になったのが原発でした。近い将来、新しいエネルギー開発がすすむのだという希望を持ちながら、とりあえず原発の開発をすすめるという選択が行われたのです。その結果、せまい日本列島に50基をこえる原発が配置され、原発立地では原発が地域経済のカナメの位置を占めることにもなりました。電源構成のなかでの原発位置も大きくなっていきました。
1980年代後半から1990年代になると、チェルノブイリ原発事故(1986)を経験しながらも、地球温暖化対策が地球環境問題の焦点になるなかで、原発は「発電時にCO2を出さないクリーンなエネルギーだ」とのキャンペーンのもとに原発推進政策がすすめられました。
「3・11」の経験と教訓
2011年3月11日、東北地方太平洋沖でマグニチュード9.0の巨大地震と、それにともなう大津波が発生しました。「東日本大震災」です。
この震災は「原発震災」とよばれ、福島第一原発で放射能拡散をともなう苛酷事故が発生しました。この事故は、チェルノブイリとならぶ歴史的な「巨大事故」となりました。
当時、これらの「原発震災」は「想定外」のことであったといわれましたが、「想定外」のことだったといえるのでしょうか。
原子炉のメルトダウンにともなう大量の放射能放出・拡散による地域への影響、さらに汚染水問題など、とても深刻な事態が続いています。「収束した」とはとてもいえない状況です。いま、もう一度、巨大地震が来たらどうなるのか、本当に心配な状況が続いています。
原発と自然災害
「3・11」の経験が示すように、日本列島は地震列島であり、いつ巨大地震が起きてもおかしくないのです。「2030年までに巨大地震がくる」との警告もくりかえし出されています。原発立地と活断層の調査研究によっても、日本の場合、全国いたるところに活断層が走っており、原発が活断層の上に立地しているという事例も指摘されています。平常時、原発は安全に運転されるとしても、巨大地震に耐えられるのかという問題があるのです。
福島第一原発にしても、そもそも地震に耐えられなかったのか、地震には耐えられたが、大津波によって電源を失いメルトダウンしたのか、いまなお検証できていません。
また、地震だけではなく、火山の噴火と原発の関係も問題視されるようになりました。
原発推進のためには「自然災害のリスク」をこれまで以上に大きく評価し、対策を取らねばならなくなっているのです。
核燃料サイクルは「夢物語」に
原発推進の論点として使用済み核燃料を再処理・再利用するという「核燃料サイクル」の主張がされてきました。しかし、「もんじゅ」計画の破たん、いまなお稼働の見込みがたたない六ヶ所村再処理施設など、「核燃料サイクル」の見込みはもてないままです。高レベルの放射性廃棄物の貯蔵管理施設についてもまったく見通しはありません。「原発はトイレなきマンション」とよく言われてきましたが、これらの問題が解決しないまま、原発を推進することはできません。
揺らぐ原発の「経済性」
原発については「安全性」をめぐる問題とともに、「経済性」をめぐる問題があります。
従来、「原発は安い」と強調されてきましたが、この間、「原発は決して安くない」「原発はもはや産業として成り立たない」などの指摘がされるようになりました。
すなわち、原発のコストについては発電コストだけではなく、バックエンド費用、廃炉費用、事故処理・補償費用、さらに肥大化する安全対策関連費用など総合的にコスト評価をしなければならないというわけです。核燃料サイクルの見通しがないなかで、そのための追加投資を続けている実態もみすごすわけにはいきません。大島堅一『原発のコスト』はこれらの問題についてまとまった問題をなげかけたもので、原発の「経済性」について論じる場合、必読すべきものです。ただし、この本は「3・11」直後に執筆されたものであり、電力システム改革など、その後の動きをふくめて理解することが必要です。
「原発ゼロ」は実現できるのか
原発をめぐってさまざまな問題があることを認めたとしても、これからのエネルギー政策のなかで原発をどのように位置づけたらよいのかについてはなお意見がわかれるところです。
この問題についての私の立場は、「3・11」の経験と教訓をふまえるならば、「脱原発」に舵を切るべきだということです。あまりにも問題が多い、しかもコスト負担が大きく、電力事業経営そのものを成り立たないものにしてしまう原発から撤退することが必要だと思うのです。
これまでのエネルギー政策の転換にあたっても「政治決断」が決め手になってきたわけで、この際、「脱原発」の「政治決断」をすれば、新しい見通しが出てくるものと思います。
いまや「再生可能エネルギー100%」というのが世界の流れです。日本のエネルギー政策についても、CO2を排出しないという点から「化石燃料からの脱却」、さらに「脱原発」を見込んだエネルギー政策に転換していくべき時期なのです。
日本でも太陽光、太陽熱、風力、小水力、バイオマスなどなど、再生可能エネルギー利用の可能性は十分にあります。一方で、省エネ技術開発をすすめ、エネルギー需要量の削減努力をすすめるとともに、もっとも有効な再生可能エネルギーの活用方法を開発するための努力を積み重ねることで、「日本の再生可能エネルギー100%」の展望を作り上げることは可能だと思います。そして、その際、「脱原発」をビジネスチャンスにするという発想も大事にしたいと思っています。また、この努力のなかで「再生可能エネルギー100%」を実現していくことが、「パリ協定」のもとでの日本のCO2削減目標達成につながるものだと思います。
Tuyoshi Hara
ハラ ツヨシ
原 強
2021期 立命館大学講義テキスト
2021年10月29日複製許可を得る
2022年7月4日複製