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母性の混乱

クラリサが妊娠したのは19歳の時だった。彼女は、高校時代の恋人だった21歳の大学生、マイクと4年間交際を続けていた。彼らは、たびたび結婚や将来の夢を語り合っていた。しかし、彼女が妊娠したことを告げると、彼は動揺し、落ち着きを失って、事態にどう対処すべきか戸惑いを見せた。

当時、クラリサは姉のジェーンと一緒に暮らしており、ジェーンからは中絶を勧められた。ジェーン自身も18歳で中絶を経験していた。彼女は、クラリサに対して、中絶はたいしたことではなく、すぐに元気になってこれまで通りの人生を送れると言って、クラリサを安心させようとした。さらに、ジェーンは、子供を産むならクラリサに出て行ってもらうと主張した。 

本能的にも理性的にもクラリサは中絶には全く反対だったが、姉の指示に従って中絶を受けた。子供を持つことについてボーイフレンドが不安をあらわにしていたため、クラリサは、彼女の決断に彼が喜ぶと思った。何と言っても、彼女は彼をとても愛しており、将来、二人で新たに子供をもうけることができると考えていた。 

クリニックに入ったクラリサは、狼狽して泣き出してしまった。こうした症状が今後の精神的問題を明らかに予見するリスク因子であることは良く知られていたが、クラリサが深く悩み、心に葛藤を抱いていることを見抜いたり、気にかけてくれるスタッフはクリニックに誰一人いなかった。クラリサが受けた唯一のカウンセリングは、避妊についてだった。彼女が自分の本当の気持ちに向き合うことを促す努力は全く行われなかったのである。さらに、マイクが父親になるという考えに向き合うための時間も与えられなかった。 

中絶の直後から、クラリサは、大きな間違いを犯したことに気付いた。彼女は深い悲しみを味わった。ジェーンに彼女の気持ちを訴えると、姉は、「そう、それは残念ね。間違いを犯してしまったのね」と冷たく答えた。 

クラリサを真剣に愛していたマイクも深く傷ついていた。彼は、自分の不安によって、クラリサに中絶を急がせたことを後悔していた。彼は彼女がどれほど傷ついているかわかっていたのに、彼女を慰める言葉をかけたり、行動を取ったりしなかった。クラリサは、心の底から子供を失ったことを後悔した。彼女は、子供に再会するために自殺することを何度も考えた。彼女の唯一の望みは、もう一度妊娠することだった。もう一度子供を授かれば、失った子供の「代わりになる」と考えたのだ。 

クラリサはもう一度妊娠することを切望していたが、自分には子供を持つ「権利」がないと感じていた。さらに、赤ん坊を「あやしたり、優しくささやきかけたりする」資格が自分にはないとも考えていた。他の女性が赤ん坊に磁石のように引きつけられたり、誕生したばかりの赤ん坊に大騒ぎする一方で、クラリサは、自分は遠くから見つめるだけにしなければならないと思っていた。彼女は、赤ん坊の愛らしい表情に決して触れることができず、喜ぶことが禁じられたような孤独な世界に自らを追い込んだ。時間が経つにつれて、クラリサは、自分が残酷な人間に変わっていることに気付いた。彼女は怒りを感じ、孤独で暴力的になり、裏切られたという気持ちを抱くようになった。 

数ヵ月後、職場の女性が妊娠を公表したとき、クラリサはたちまち嫉妬心と苛立ちに襲われた。おそらく、クラリサが妊娠を告げたとき、姉もこれと全く同じ気持ちを持ったのだろう。姉は、自分の子供を否定してきた。そんなジェーンがクラリサの妊娠を聞いて、どうして妹を助けようという気持ちになるだろうか。 

クラリサの経験は、中絶が母性のアイデンティティに関わる問題にどう影響するかを示した例である。この章では、中絶がその女性や他の人の母性に対する認識にどう影響するかを明らかにする。 

“妊婦は嫌い”

中絶の後、多くの女性は、自分が失ったものを明確に思い出させる妊婦に反感を抱くようになる。クラリサの経験も、おそらくはジェーンの経験もこれに相当する。キャサリンは、彼女の苦悩を次のように説明している。 

妊娠した女性を見るたびにパニックになる。彼女たちの姿を見ると悲しくなる。彼女達が子供を産めるのに、どうして私は子供を持てなかったのかと思ってしまう。突飛に聞こえるかもしれないけど、嫉妬や怒りさえ感じ始める。中絶を選択したのは自分だけど、そうするしかなかったからで、自分が望んだからではない。私は赤ん坊を埋めなかったのに、彼女達妊婦にはなぜその権利が与えられたのか?私は妊娠した女性が嫌い。見たくもない。 

もう一人の相談者、グエンは、彼女の同僚が妊娠するまで、過去の中絶の悲しみを何とか抑えることができた。そのときまで、彼女は、妊婦を視界に入れないようにしてきた。しかしその後、彼女が妊娠した同僚に近づく「必要が生じた」ことをグエンは耐え難く感じ、好きだった仕事を辞めなければならないとまで思いつめるようになった。 

同僚が妊娠したと知ったとき、不安と恐怖に押しつぶされそうだった。彼女のことを見るのもいやだった。赤ん坊が成長して、彼女のお腹が日々大きくなるのを見るのは耐えられないと思った。皆が彼女におめでとうと声をかけているのを聞くのは私にとって耐え難いことだった。彼女の妊娠を理由に私は仕事を辞めなければならないと思い、とてつもない不安と罪悪感を抱きながら3週間を過ごした後、私は会社をやめた。 

どうしてもそれを受け入れることができなかった。託児所の飾り付けやマタニティウェアの話を耳にしたくなかったし、何より、事のすべてを見届けることがいやだった。私はパニック状態になり、胸から心臓が飛び出そうだった。胃に瘤ができたような、胸がムカムカする感じがいつもあった。私は自分の仕事が好きだったけど、この先9ヶ月も同僚の様子を見続けることはできないと思い、仕事を辞めた。 

傷心と絶望感から、自分の喪失感を思い出させる妊婦を妬んで「侮辱する」女性もいる。彼女たちは、自分が得られなかった喜びを厚かましくも得ようとしている女性を軽蔑している。こうした悲しい出来事をミルナが証言している。 

私は、大手製薬会社のトップ販売管理職で、仕事を生きがいに感じていた。そう思う必要があった。私は、仕事で成功するために、3回中絶を受けた。そして、仕事で自分の目標を達成した。子供が欲しいと思ったけど、できなかった。もう遅すぎたのかもしれない。 

そのときになって初めて私は自分が失ったものを嘆くようになった。 

一見、輝かしいキャリアを持ちながら、実は虚な自分の人生に直面して、私は、惨めさ、不満、不安そして苦痛を感じていた。自分の喪失感に対処できず、何年もの間、私は意地悪い気持ちと喪失感を抱き続けた。子供を持つ女性の部下に八つ当たりをした。文字通り、彼らの生活を台無しにしていた。私は複数の役割を両立することができなかったから、少なくとも惨めな気持ちにならないで、誰かに…してもらうことはできなかった。 

とにかく子供が欲しいのは誰? 

キャロルは、赤ん坊を見るたびに息が詰まり、パニック状態になった。彼女は、ベビー・シャワー、子供の誕生日会、そして幼児が参加するイベントさえも避けていた。彼女は次のように説明している。 

なぜだか分からないけど、子供が近くにいると落ち着かない。子供がいると気が立ってくる。自分は子供に対して忍耐力がないのだと思う。子供がいると、胃の奥に違和感を覚える。 

子供に対するこうした不快感は、彼女が中絶を経験した後に起こり始めた。元々キャロルは子供が好きで、10代の頃はベビーシッターの仕事を楽しんで引き受けていた。中絶する以前のキャロルは、教師になる夢さえ持っていた。 

ペギーも赤ん坊や子供に関わる一切の事を避けていた。彼女は子供を嫌っていたし、妊娠している女性にはことさら憎しみと皮肉な気持ちを抱いていた。出産を終えた同僚に対して、「私の知り合いの女性は、出産の後、皆ロボトミーを受けることになったけど、あなたも出産したときそうだったの?」と声高に叫んでしまった。 

ペギーも、中絶する前はこうした否定的な態度は持っていなかった。自分の中絶を無意識に正当化しようとして、出産すると正気を失うというばかげた考えを持つようになった。正気の女性で子供が欲しくない人がいるだろうか?ペギーは、子供が欲しいという自分の自然な欲求を認めなかっただけでなく、中絶で経験した喪失感から自分を守るために、若者や母親を嫌うようになったのだ。 

マリエレも妊婦とその子供達に不快感を持っていた。 

私はスーパーで8年間働いていた。中絶して以来、妊婦がレジに並ぶたびに、私は胸が悪くなるような気分を何とか振り払らおうとしてきた。目を逸らして、腹部に気付かないようにした。おかしなことに、最初は彼女に不快感を持ち、次に、気の毒な感情を持った。妊婦に連れられた子供については、とにかくうるさい子供と思っていた。我慢ならないと思い、次にとても悲しくなる。悲しみが大きくなるにつれ、小さな子供達に対する苛立ちも高まってくる。 

マリエレは、自分の悲しみから身を守る手段として、子供を連れた母親がいかに惨めか考えるようにしていた。彼女の反応は、イソップ物語の狐とブドウそのものである。見事なブドウの房に手が届かない狐が、「ブドウは酸っぱい」に違いなく、取れなくても構わないと不満を漏らしながら立ち去るのである。 

どうしても赤ん坊が欲しい

女性の4人に1人が、中絶からほどなくして「代わりの赤ん坊が欲しい」という欲求を抱くと報告されている。その約半数が、中絶から1年以内に妊娠する(付録Cを参照)。ハンナはこう述べている: 

中絶の後、私はものすごく妊娠したかった。お店に行って、どれを買おうか想像しながら、ベビー服やベビーベッド、ベビーカーを見て回った。自分の歯でボーイフレンドのコンドームを破れば、また子供を授かるという思いも描いた。 

一部の女性たちにとって、妊娠することは中絶で失った子供の「代わりを得る」だけでなく、昔の自分を取り戻す方法でもある。アリシアは次のように述べている: 

中絶したことで、私は人間としてとても不安定になった。その後すぐに、私は再び妊娠した。妊娠したことが嬉しかった!自分がとても美しく、女性らしくなった気がした。子宮の中にダイヤモンドかゴールドを宿している気がした。 

妊娠を強く望むことから、中絶後の女性の多くは、すぐに妊娠しないと罪悪感や不安に捕らわれる傾向がある。受胎に対するキムの不安は、中絶により傷ついた経験と直接関係するものだった。 

中絶の後、二度と妊娠しないのではないかと怖かった。その後間もなく結婚し、すぐに妊娠したいと思った。でもそうはいかず、私は精神的に参ってしまった。私は罪の意識を感じ、悲しみと不安に襲われた。私は常に不安を抱いていた。夫は私を力づけ、落ち着くように繰り返し諭してくれた。私は半狂乱だった。妊娠検査に数百ドル使ったかもしれない。妊娠しなければならないという強迫観念を持っていたのだ。 

キムの経験は、妊娠を切望する多くの女性にとって、妊娠することが、解消されていない悲しみから逃れる有効な方法になるという事実の一例を表している。妊娠に対する不安と希望に集中することで、中絶後の苦痛を和らげているのである。 

この方法には2つの問題がある。第1に、この方法は、避けられない問題を先延ばしにしているに過ぎない。女性が無事に妊娠しても、誕生した子供が失った子供の「代わり」にならないことにすぐ気付くだろう。事実、本書の諸例を見ても、「代わりの」子供の成長を目にすることで、家族の一員になれなかった子供を思い、中絶後の悲しみに突然襲われることがある。遅かれ早かれ、先延ばしにした悲しみに目を向けなければならない日は来るだろう。 

この戦略の2つ目のリスクは、妊娠できない場合に、キムのケースのように、女性の不安が急激に大きくなることが考えられる。こうした不安の高まりによって、さらに妊娠が難しくなり、不安も一層大きくなる。悪循環に陥る可能性があるのである。 

中絶した女性が、自分が将来子供を持てる能力に疑いを持つのはごく一般的なことである。この恐怖は、中絶によって実際に起こる身体的影響、あるいは神がこの先、子供を授けないことで中絶の罰を下すのではないかという考えに基づいている。ジャッキーは、彼女の試練について次のように述べている。 

夫と私が最初の子供を持とうとしたとき、思ったより長い時間がかかった。私は、自分が罰を受けていると思った。結婚前から、二度と妊娠できないのではないかと常に不安を感じていた。私は、自分が罰を受けていると本気で考えていた。とてつもない罪悪感を持った。私には子供を持つ資格がないとも思った。私には2度のチャンスがあったのに、私は2度とも中絶していた。 

「代わりの子供」への欲求や将来の不妊への不安がなくても、その後の妊娠中に中絶に関して解決されていなかった問題に突然直面する女性は多い。メレディスは次のように話している。 

子供を持つ決心をした途端、中絶の経験に悩まされ始めた。出血や早産という問題に直面し、2度と子供を産めないのではないかという恐怖を感じた。私は、感情的に参っていた。妊娠中の6ヶ月間は、ほとんどベッドの上で過ごした。子供を傷つける可能性のあることは何もしたくなかった。私は不安と恐怖に支配されていたが、その根底には膨大な罪悪感があった。私は泣き続けていた。その事について話はできなかったが、赤ん坊を無事に産もうとできるだけの努力をした。「落ち着いて」「リラックスして」という周囲の声にもうんざりしていた。彼らは私の中絶を知らなかった。私自身は、自分がいつも動揺している理由をわかっていた。 

解決ではなく、気休め

子供を持つことは中絶後の問題の解決にならないが、子供が女性に親密な関係をもたらしたり、愛情や母性を膨らませ、表現する機会を与える可能性があることを強調したい。唯一、注意すべきは、女性もその最愛の人も、別の子供を持つことですべてが元通りになると考えるべきではないことである。 

例えば、ノラは、後先考えず行なった中絶後の憂鬱な気分を治療しようと考えた。彼女は、クリニックに戻って「仕事を完了しよう」としたのである。彼女は、自分が悲嘆にくれていること、不眠症、食欲不振、中絶のフラッシュバックなどについて訴えた。しかし彼女は、治療に集中できず、産めたかもしれない赤ん坊のことで頭が一杯だった。 

私の判断では、ノラがトラウマの症状:強い悲しみ、苦い後悔、罪悪感、抑鬱、怒り、無力感、自己非難、性的関係に対する不快感、担当医への憎悪、医師全般に対する恐怖と不信感に悩まされていることは明らかだった。自分の生殖機能の健康についても、強い不安を抱いていた。 

ノラは、妊娠したいという気持ちに取り付かれていた。彼女にとって、この目標を達成することは、中絶によって自分の生殖能力が永遠に損なわれたかもしれないという恐怖を取り除く唯一の方法だった。同時に、妊娠するという目標が、彼女に大きな不安をもたらす結果になっていた。 

婦人科検査の結果、中絶に深い関係がある骨盤内炎症性疾患(PID)の可能性が判明した。担当医は、治療を受け、抗生物質を服用するよう彼女に助言した。しかし、中絶していたノラは、医師に対して依然として不信感と恐怖感を抱いていた。こうした理由から、彼女は治療計画に従わなかった。彼女は、無力感と自暴自棄な気持ちに加え、神から罰を受けている恐怖に悩まされ、自殺を考えるようになった。 

数ヶ月間、妊娠を試みた結果、最終的にノラは妊娠した。未婚だったが、彼女は、中絶によって自分に悪影響がなかったことを証明するために、出産しようとした。 妊娠期間を通じて、彼女は、障害児を与えるという罰を下さないよう神にお願いした。「神が問題のある子供を私に与えるなら、それも理解できる。」「それが私にふさわしいことだから」と彼女は言った。 

ノラは、健康でかわいらしい子供を出産した。このことで、彼女は中絶によるトラウマを乗り越え、前進することができた。カウンセリングを通じて中絶に関わる問題のほとんどに対処した後の出産だったため、出産したことで、中絶による彼女の悲しみを最終的に取り除くことができた。しかし、彼女が中絶に関わる未解決の問題に対峙していなければ、新しい子供の出産と育児にも中絶が影を落としていたかもしれない。 

中絶の苦しみから回復することで、女性は胸に秘めた恐怖と無力感を乗り越え、母性を完全な形で取り戻し、それを新しい形で表現できるようになる。キャロルは、「中絶の苦しみを乗り越えた今は、何人でも子供が欲しいと思っている。子供を見たり、抱きしめたり、キスしたりすることをとても楽しいと思う。」 

しかし、母親としてのアイデンティティの回復は、他の子供を持ったり、育てたりすることで得られるとは限らない。例えば、ローラは、中絶の後、20年間も子供を持つ欲求の一切を抑えてきた。更年期のホルモン変化を経て初めて、彼女は、自分の子供と母としてのアイデンティティを失ったことを悲しむようになった。彼女は、教育を通じて他人の子供の面倒を見ることで、その悲しみを緩和しようとしたのである。 

皮肉なことに、46歳という年齢になって、私は、母親になれたかもしれない女性としてのアイデンティティが傷つけられていたことに気付いた。その傷は癒え始めたばかり。長い年月、私は、子供を持つことについて真剣に考えなかったし、そうすることを自分に認めてこなかった。でも、数年前に、幼い子供達の教育を始めた。それはとても楽しく、やりがいのある仕事で、これまで抱いてこなかった子供を熱望する気持ちが表れてきた。わずかだが、母性のイメージをやっと理解できるようになったのだと思う。自分が教えている子供たちは本当にかわいい。私は良い母親になれたと思う。中絶の悪影響から、何年もの間、私はこうしたことに気付かなかった。その傷が癒えるまで長い時間がかかった。 

妊娠することに「価値はない」

コニーのように、過去の中絶に対する罪悪感から、別の子供を持つというすばらしい機会を自ら拒否するのは悲しいことである。 

私は2回中絶している。その後、子供は持たないことにした。私は、「私のような恐ろしい人間がどうして子供を持てるだろうか」と自問した。人生のこの段階において、「第2のチャンス」は決してないと分かっている私が、子供を連れた母親を見ることは本当に辛かった。私は、自分が家族にもたらした苦痛と、何より私自身が抱いている苦悩と悲しみで胸が一杯だった。 

別の相談者も、同じ感情を次のように説明している: 

昔は、妊娠して子供を持つことに夢を持っていた。3回の中絶を受けたことで、自分が妊娠する「価値がない」と思うようになった。私たちが失った子供達について、夫は私と一緒に哀悼の気持ちを示してくれず、私は、彼との間に子供を持つ気持ちになれなかった。私には子供がいない。それは、私が怒りと罪悪感を持っていたから。 

これらは、過去の中絶が女性の将来にいかに影響するかを示した例である。人生の基本的な選択に影響を及ぼし、女性自身が自分にその資格はないと感じるために、欲求を満たす機会を失ってしまうのだ。 

もちろん、治療の目標のひとつは、こうした固定概念を捨て去ることである。確かに、将来に関する決定に過去の経験を生かすことは大切だが、過去のトラウマに支配されるべきではない。トラウマからの回復において最も重要なマイルストーンの1つに、それが中絶に関係しているかどうか、不合理な恐怖ではなく、自分の理性的な判断に従って自由な選択ができているかどうかが挙げられる。 

母性の発達を阻まれた母親

最初の妊娠が中絶という結果で終わると、その後妊娠しても、最初の妊娠の経験から、動揺したり、忘れていた心理的トラウマを思い出すことがある。その結果、望んでいた子供を得た後の妊娠中に、不安、ストレス、抑鬱を抱えることになる。 

3人の子供を産んだ後、私は、中絶のことを思い出すたびに、悲嘆、苦痛、悲しみに襲われた。私は、子供達の愛らしい小さな体を抱き、彼らの目や天使のような顔を見つめた。私は、罪悪感と罪の意識に苛まれ、ただ泣き続けた。そうした激しい感情は、子供を産むたびに訪れた。そして、私は自分をひどい母親だと思った。 

親になるというプロセスは、人生を形成する重大な経験の1つである。それは、我々を感情的、心理的側面から形成するものである。しかし、親になるという我々の能力は、子供、青年、成人時代に我々が経験するあらゆる出来事によっても形成される。これらがすべて上手くいけば、女性は、子供時代と成人後の経験を合わせ持った有能で愛情にあふれた「母親」になれるのである。 

子供を持つ前の若い女性でも、10代や20代にこうした母性の重要な側面を自然に持ち始める。この時期の中絶は、こうした母性の発達を阻み、逆行させることさえある。自分が母親になる能力に関して、根深い両面感情や自己疑念を持つ原因にもなる。クレアは、彼女の経験を次のように話している。 

中絶の後、私は、自分には母親になる価値がないと思った。何年もの間、私は、子供は欲しくないと自分に言い聞かせてきた。子供を授かったとき、その子に触るのが怖かった。きっと子供を傷つけてしまうと思った。早く仕事に復帰したかった。私は、いつも自分を悪い母親だと思っていた。私の母親ぶりに対する批判には、特に敏感になっていた。最終的に中絶の経験を受け入れ、失ったものを嘆くことを自分に認めることで、私は、壊れた自分の母性を回復することができた。自分の子供に近づくことを恐れていたこともわかった。私は、冷淡な気持ちで、自分の殻にこもっていたのだ。 

殻に閉じこもった後、私は、中絶後の治療を続け、自分を再発見することができた。今は、自分は良い母親だと思っている。自分の子供を本当に愛している。感情的な苦悩があったから、それを示すことができなかったのだ。中絶の傷を治療したことで、私は苦悩から解放され、さらに良い母親になることができた。子供という贈物を下さった神に日々感謝している。 

過去の中絶に関する問題が解消されていないと、文字通り、子供の誕生を待つ喜びが奪われる。その結果、分娩中の不安が増し、そのために分娩が困難になって、出産中に合併症が発生する確率が高まる。また、新生児と母親との絆にも悪影響が及ぶ。メルは、自分の妊娠を「ひどいものだった」と説明している。 

子供に何か悪いことが起こるといつも感じていた。常に不安だった。誰かが私たちを捕まえて、傷つけようとする夢を見た。子供が生まれた後は、深刻な産後うつに悩まされた。ホルモンの乱れとは別に、私は過去の中絶について深い悲しみを抱えていたが、当時は何も分からなかった。自分の行動をどう理解してよいかわからないまま、とにかく、さまざまな症状に悩まされていた。わたしの抑鬱によって、子供との絆を上手く作れなかった。母乳保育ができず、娘を安心させてあげられなかった。人生で一番辛い時間だった。私は、娘を守り、愛することができないのではないかという不安にとらわれていた。 

過去のトラウマによって母親と子供の絆づくりが阻害されたり、破壊されたりすると、母子の関係が長い年月、時には生涯にわたって影響を受けることもある。ミッシェルは、娘と良好な関係を築こうと努力しているのに、なかなか上手くいかないという理由で、過去にカウンセリングを受けた。 

私は悪い母親だと思う。娘に対して腹を立てると、冷淡になり、自分の殻にこもってしまう。娘が傷ついているのを見ても、どうやって慰めればいいのかわからない。娘を傷つけたことに強い罪の意識を感じる。娘を怖いと思うことさえある。中絶したことで、私の人生は価値のないものになった。それ以来、私は自分を憎んでいる。動揺してしまって…今は、自分の子供にどう対応していいかもわからない。娘が私のしたことを知ったらどう思うだろうか。きっと彼女は私を嫌悪するだろう。娘に事実を知られることは耐えられない。 

中絶によって、母親としてのミッシェルの自己イメージは損なわれた。彼女は、自責の念に駆られ、それが人を愛することを困難にしている。自分を愛することができないで、どうして娘を愛することができるだろうか?ミッシェルは、いずれ娘に嫌われると思い込み、愛を与えたり受取ったりする機会から自分を遠ざけている。 

中絶の経験に対する女性の反応はさまざまだが、そうしたパターンが何度も繰り返されていることから、それらが決して特殊な問題でないことは明らかである。自分の妊娠についてシンダが話したことは、これまで議論されてきたさまざまなテーマを映し出している。 

中絶の後、私は、恐怖と不安が支配する妊娠期を過ごした。中絶をした私に、神は知恵遅れの子供を授けるという罰を下すのではないかとずっと思っていた。常に憂鬱で、不安を免れなかった。娘が生まれたとき、自分には母親になる資格がないと思った。私はひどく憂鬱になった。悲しみと怒りから、娘のそばにいたくなかった。自分の事を落伍者のように感じていた。 

混乱した母親たち

過去の中絶に関する問題が解決されていないと、その後生まれた子供との関係が歪んだものになる可能性がある。場合によっては、中絶後のトラウマが原因で、子供の側を離れられず、過保護な母親になる女性もいる。また、中絶後の問題が、女性から母親になる喜びを奪い、母親業は労働と苦役でしかなく、親になることを忌むべきことと思わせる場合もある。中絶が、母親としての女性の役割をいかに混乱させるかの例を下記に挙げる。 

「完璧な」母親

息子が生まれた後、この完璧な子供が本当に自分の体内で作られたのだろうかという不思議な感覚にとらわれた。私たちが慈しみ、愛する対象として彼を授かったという畏怖の念と同時に、自分の欠点によって彼の人生を台無しにしたくないという気持ちが交錯した。中絶を経験したことで、私は常に自分は価値の無い人間だという感覚にとらわれていた。自分の過去が原因で、自分に正しい事を行なう能力があるという自信が持てなかったのだ。私は、自分の子育て能力についていつも疑問を抱いていた。 

こうした疑問を持ったモニカは、不安から過保護になり、子供を溺愛する母親になった。彼女の深層心理として存在する無力さや恥ずかしさといった感情を補うために、彼女は「完璧な」母親になるための彼女を惜しまなかった。彼女は、自分が良き母親であることを皆に認めてもらおうと、そのことに大変なエネルギーを費やした。彼女は、ホームルームマザー、パーティーのコーディネーター、凝ったリフレッシュメントを用意するなどして、学校行事に携わった。学園祭では、見るからに美しい菓子やクラフトを展示して、評判になった。常に賛同と称賛を得ようとする中で、彼女が行なった「母親らしい」事について誰かが少しでも不満や無関心を示すと、激しく落ち込んだ。 

モニカは、過去の中絶を考えると、自分の努力が決して十分ではないと感じていた。彼女は、自分が悪人で、どれほど善行を重ねても、無能な母親でしかないと思っていた。彼女は、自分の正当性を証明することに必死になっていた。彼女は、母親としての活動に喜びや楽しみを見出していなかった。そうではなく、引き受けた仕事はすべて、責任、義務、救済のための行為として懸命に取り組んでいた。 

モニカが中絶に関して解消されない感情に向き合うことを避けていた間は、どんなに母親としての努力をしても、自尊心を取り戻すことはできなかった。母親としてのちょっとした行動の一つ一つが、開いた傷にかぶせた小さなバンドエイドのようだった。すぐに血が浸みて役に立たなくなり、無用のものとして捨てられてしまうのだ。彼女の傷は、母親としての一つ一つの善行で覆い隠すには大きすぎた。そこで、彼女は、自分を批判、非難し、常に不満を持ち続けていた。 

幸運なことに、モニカは、中絶後のカウンセリングを受け、彼女の傷ついた心の本当の原因に対処することができた。その後、彼女の母親としての行為は罪を軽減するための無為な努力ではなく、愛情に基づく行為として、やっと実を結ぶことになったのである。さらに、彼女は、望まない仕事に「ノー」と言えるようになった。 

甘やかす人

子供に「最上の物」を与えられないからという理由で中絶する人もいる。その後子供が生まれても、そうした親は、中絶という過去の選択から、「計画して」作った子供に、お金で買えるものはすべて与えるべきだという義務感を抱くことになる。例えば、エリザベスは、自分が子供を甘やかしていることを自覚していたが、他にどうしようもないと思っていた。 

中絶の後、私は大きな罪悪感にとらわれた。最終的に子供を授かったとき、きっと甘やかすだろうと思った。私は娘が欲しがるものをすべて買い与えた。私は子供を躾けるのが怖かった。「けちなこと」をすれば、すでに悪い母親である私を娘が嫌うのではないかと恐れていた。 

ダナは、過去の中絶に対する罪悪感から、限度を設けることを怖れていた。彼女はそうした罪悪感を、2人の子供の気まぐれと欲求を満たすことで帳消しにしようとしていた。 

私が子供達を諌めることはなかった。子供達が怒ったり、けんかになることを怖れていた。私がノーと言わないので、子供達は欲しいものをすべて手に入れた。私は、子供達が私に腹を立てるのではないかと不安だった。自分が良い母親だと思うために、子供達に私を愛してもらう必要があった。最初はうまく行っているように思えたが、時間が経つにつれて、自分の行動によってたくさんの問題が生じていることに気付いた。2人の子供は自己中心的で、無礼で、怒りや周囲への要求が大きく、反抗的になっている。 

中絶に関与したダナの夫も同じように無力感を感じている。彼は、自分は「子供達の欲求を満たす人質」だと言う一方で、この状況を収集しかねていた。ドナと同様に、彼も傷つき、不十分で欠点の多い父親としての感情を補うために、子供達に物的な贅沢をさせる必要があると感じていたのだ。 

保護する人

母親の中には、子供に対して過保護になることで、自尊心や母親としての完全性の欠如を補おうとする人がいる。こうした過保護は、中絶の罰として、その後誕生した子供を、彼らにふさわしくないとして神が奪ってしまうという根拠のない恐怖が原因になっていることが多々ある。サンディの場合、子供が視界からいなくなるたびにこうした気持ちにとらわれた。 

中絶の後、世界は危険な場所だと思い始めた。信頼できると思っていた人が私をひどく傷つけるかもしれない。誰も信用できない、特に子供と一緒に居る人は…。私は、子供に何か悪いことが起こるのではないかという妄想にとらわれた。私は、自分以外、誰も信用できなかった。夫は、私が子供達に対して過保護だと言った。私は、子供達に悪いことが起こるのではないかと怖れていた。子供達に何かをさせるのが心配だった。 

イボンヌは、子供達を公共の場所に連れて行くたびに大きな不安に襲われた。 

ショッピングモール、図書館、公園に来るといつも、誰かが私の子供達を盗み、傷つけるのではないかと死にそうに不安だった。常に子供達から目を離さないようにしていた。いつも神経を張り詰めていたから、極端に疲労していた!隣人の家で遊ばせるときも、必ず私がついて行くようにした。子供達を連れ去る可能性のある人から彼らを守らなければと思っていた。 

ジャネットは、子供を過剰に守ろうとする母親の負担について次のように語っている。 

子供がコブや青あざを作るたびに、私は自分の責任のように感じた。いつも私が罪の意識を感じ、いらだった。また、周囲の人が常に私を批判していると思い込み、孤独感を募らせていた。自分を他の母親と比較することに耐えられなくなって、私は遊び仲間などの社会単位から離れるようになった。なかなかリラックスできず、自分の仕事にも自信が持てなかった。友人や家族には、「過保護だ」と言われていた。 

虐待する人

中絶の後、その後生まれた子供との絆をうまく構築できない母親がいる。母親の資格がないとしたら、仮にも子供と絆をつくろうと努力するだろうか?こうした状況下で、計画的に作った次の子供が面倒な負担となり、女性が自分を母親に適していないと感じる原因になるのである。 

例えば、ジェニファーは、12年後に新しく誕生した赤ん坊の瞳を見つめるまで、中絶のことを考えたことはなかった。その瞬間から、彼女の自己嫌悪と疑念が始まった。ジェニファーは、「私はどんな母親なのか?どうして自分の子供を殺せたのか?」という残酷な疑問で常に自分を責め立てた。 

自分は母親にふさわしくないと思い始めると同時に、ジェニファーは自分の赤ん坊をも拒否した。彼女は、自分に息子を養育し、愛する能力がないと感じ、子供との絆を構築できなかった。彼女は常に苛立ち、外部の摩擦に耐えられなくなった。自分に対する怒りから、ジェニファーは、息子に対して苛立ち、憤怒しながら対処するようになった。彼女は、息子に虐待的であったことを認めている。これは、悪人としての彼女の自己イメージを写したものであり、彼女の罪悪感と恥ずかしいという感情を固定するものになった。罪悪感や恥ずかしさが大きくなるほど、親として価値がないという彼女の気持ちも強くなった。自己に対するこうした否定的な感情により、彼女は、自分の過ちを思い出させる存在である息子をさらに拒否するようになった。悪循環に陥った。幸運なことに、中絶後カウンセリングによってジェニファーはこの悪循環から抜け出し、許しを請い、息子と前向きな関係を築きはじめている。 

残念ながら、ジェニファーの状況は珍しいものではない。中絶がその後計画的に作った子供や「欲しくて」産んだ子供への拒否や虐待との関係に影響することは、多数の研究によって確認されている。 

Burke, Theresa (バーク・テレサ)
David C. Reardon 共著
Forbidden Grief: Chapter 5
Copyright © 2004
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