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最終局面:生殖技術の進歩と自然生殖の消滅

今我々が棲むこの時代、将来の見通しは急速に変化し、人の生殖技術の進化に脅かされている。この論文ではまず実例をいくつか挙げ、次に最も恐ろしい技術的オプションの一部を概説し、最後に生殖技術及びその力と社会との関係を分析する。

「未来への愛が始まるところ、それ以外の愛が終わる」

今我々が棲むこの時代、将来の見通しは急速に変化し、人の生殖技術の進化に脅かされている。この論文ではまず実例をいくつか挙げ、次に最も恐ろしい技術的オプションの一部を概説し、最後に生殖技術及びその力と社会との関係を分析する。

世界初の試験管ベビー、ルイーズ・ブラウンは1999年7月25日に21歳になるが、いまだに時折テレビに出ている。実際、メディアがルイーズに寄せる関心は常に金銭にまつわるものであり、それは以下に示す彼女の両親の著書「アワー・ミラクル・コールド・ルイーズ(ルイーズという名の奇跡)」の抜粋を見ても明らかである。

「ステプトウ氏とエドワーズ博士はデイリー・メール紙に関して熱心に見えたので、新聞はかなりいいお金になると思いました。『いくらくらいもらえるんでしょうか?』と私が尋ねると、『二万ポンド近くでしょう』とステプトウ氏は答えました。

結局、メール紙はそれ以上の多額を支払ってくれました」(161ページ)

より近年では、メディアの注目は「金ピカの町」ハリウッドにおける生殖技術の話題に浴びせられることが多い。今日の若者のあこがれの的であるハリウッドの住人たちは、自分のキャリアと家族を持つことをうまく両立させるためには最新の制度や技術を利用することをいとわない。

数年前、ハリウッドの有名な男優がある女優とつき合っていた。二人は子どもを持とうと決めた。女優の方はある映画の役をねらっていたので、妊娠のため体が「ぶかっこう」になることを望まなかった。代理出産ならば問題ないということになり、事前に選択された特徴を備えた代理母との間で、出産に関する契約がなされた。二体の胚(胎児)が母親から代理母の子宮に移植され、数ヶ月間は全てが順調であった。だが不幸にも女優と男優は仲たがいして、二人の関係は終わりを告げた。その結果双子の赤ちゃんは親権をめぐる争いのただ中に取り残されたが、その争いに本気で勝つことを望んでいた者は誰もいなかった。

それから二年ばかり後のことだが、ジョディ・フォスターが母親になる決心をした。しかし自然な方法での妊娠は望まなかったので、精子バンクへ行って運動能力、学才ともに申し分ないドナーの精子を選び出した。そしてジョディ・フォスターはクリニックで人工授精を受けた。

最近ある新聞記事に報じられたとろこによると、ミス・フォスターは、映画のロケで家を留守にする時も子どもの世話にかかわることが出来るように、送受信可能な三十万ポンドのテレビ電話を購入したところだという。テクノロジーを用いた受胎方法に引き続き、子どもの世話に関してもテクノロジーが用いられ、離れたところから育児に関わることが容易になった。テクノロジーが親の役割を作り変えている。

自然生殖を脅かす生殖技術についての概説

A. 試験管ベビー三例

ある意味では、ルイーズ・ブラウンはテクノロジー博物館にふさわしい逸品のようなものである。彼女は単に、ペトリ皿の中で赤ちゃんを作り出し、母親の子宮に移植するという一連の103の試みの中で、最初に成功した実験例であった。

クロウ・オブライエンが誕生した1992年までに技術はさらに進歩していた。クロウの両親はどちらも嚢胞性繊維症を発症する欠陥遺伝子を一本持っていた。二人は、自分たちから生まれる子どものうち四人に一人が嚢胞性繊維症に冒される。つまり肺の感染症、細胞の損傷、生殖機能の障害、限られた寿命を意味することを知っていた。また子どもの四人に二人が、自分たちと同じ欠陥遺伝子を受け継いでしまうことも知っていた。自然妊娠で出来る子どものうち四人に一人のみが二組の正常な遺伝子を受け継ぎ、その病状を呈する危険も、それをまた子孫に伝えてしまう危険もないということだった。

オブライエン夫妻はロンドンのハマースミス病院のロバート・ウィンストン教授に連絡をとった。教授は移植前診断(P.I.D.)として知られる新しい技術に携わっていて、試験管ベビーの遺伝子を検査して及第点に及ばないものは全て選外にするという作業を行っていた。このような形の研究室優生学を取り入れれば、嚢胞性繊維症に冒されているベビー、及び欠陥遺伝子を一本持つであろうベビーを選外にすることが出来るとウィンストン教授は保証した。皮肉にも、両親と同じ遺伝子型(遺伝子の構成)の子どもたちには母親の子宮で九ヶ月間を過ごす権利を得る資格がなかったということである。

1990年代を通して、わが国でつくり出された胚の死亡率は96%近くを推移していた。これから遺伝子検査の範囲を広げ、数十億ドルのヒトゲノムプロジェクトから得られる情報を採り入れていくに従って、その死亡率は間違いなく100%に近づいていくであろう。つまり、試験管ベビーにとって、遺伝子検査をパスして、自分の母親の子宮で成長する権利を得ることはほとんど不可能となるだろう。これが試験管ベビーの将来である。

B. 代理出産

代理出産は、クローニングのような新たな生殖技術と連携することによって21世紀にはより一般的になるであろう。代理出産によってネグレクト(無視)や育児放棄といった恐ろしい話が氾濫し続けるだろうし、時には代理出産に同意した当事者たちが赤ちゃんを生かすべきか殺すべきかをめぐって対立する状況を生み出すこともあるだろう。次の三つのケーススタディがそのような成り行きをはっきりと描き出している。

テキサスのデニースという名のある女性が、スーパーの雑誌に載っていた代理母の広告を見て応募した。自分の借金の問題に片を付けるのにはまたとない解決法に思われた。不運にも、デニースの心臓の病気が主治医に発見されたのは妊娠6ヶ月になってからであった。彼女は動悸、息切れの原因を突き止めてくれるよう心臓病学者に嘆願したのだが、精密検査は行われなかった。デニースには医者から装着するよう勧められた心臓モニターを買うお金250ドルを捻出することが出来なかったし、赤ん坊のブローカーからは何の援助も得られなかった。そして妊娠8ヶ月目、出産予定日まであと25日という時に、おなかに息子を宿したまま、ベッドで死んでいるデニースが発見された。二人の遺体はデニースの母親の所に送られ、母親の農場に埋葬された。デニースの母親にはブローカーからも、代理出産の契約を交わした夫婦からも何の連絡も無かった。(ロビン・ローランド著、リビング・ラボラトリーズより)

生殖技術が招いた、生々しいもう一つのケースは、カリフォルニアのジェイシー・ブザンカの件である。彼女の受精と懐胎に関するテクノロジカルな特異性を分析した結果、判事にはジェイシーは孤児であると宣言した。ドナーの精子とドナーの卵子を使って、研究室でジェイシーはつくり出された。そして代理母の子宮に移植された。妊娠期間中に、ジェイシーのために6,250ポンド相当を支払っていた依頼主の夫婦は離婚してしまった。依頼主である「父親」は、ジェイシーは法的に自分の子どもではないと主張して、養育費の支払いを逃れることに成功した。ブザンカ氏に有利な判決を下した判事は、また、ブザンカ夫人も法的にジェイシーの母親ではないという見解を述べた。

これと非常によく似ているのは、匿名の男女間の人工授精によって生まれた、10歳のステファニー・ブロアのケースである。1995年、ステファニーはパパと呼んでいた人物から経済的に縁を切られた。彼女の母親と離婚したその男性は、自分は父親ではないという理由から、養育費を払うことを拒否したのである。離婚以前に、本当の両親のことはステファニーに知らされていなかった。

ステファニーとジェイシーはこのような手法の本当の犠牲者である。とどまるところを知らない生殖技術産業によって、大人が口論し、「彼らの」子どもが傷つく共通テーマの新しい悲劇が、次々と生み出されている。

時には、赤ん坊が生きるべきか死ぬべきかをめぐって依頼主の夫婦と代理母との意見が激しく対立することもある。ある有名なケースでは、代理母が出生前診断を受けたところ、赤ん坊はダウン症にかかっていると告げられた。代理母がこのことを依頼主の夫婦に伝えると、妊娠中絶をするように言われた。私は中絶には反対です、と拒否する代理母に、夫婦は、あなたが中絶するのではない、我々の代わりの中絶、要するに代理中絶なのですと言った。結局代理母は夫婦の願いを聞き入れた。そして今日まで、彼女は自分ではなく、彼らの中絶をしたのだと信じている。このようなケースは代理母に深刻な心理的衝撃を与える。そしてそれらのケースを見れば、現代の生殖技術は母性というものを商業化し、赤ん坊を商品化し、人間性の本質を変えてしまうものであるということが確認できる。

C. 精原細胞移植術

自然生殖に対するもう一つの脅威は、精原細胞移植術によるものである。この技術はもともと競走馬のために開発されたもので、例えばレッド・ラム(グランドナショナル3回優勝)のような優秀な種馬が、国中の馬の飼育場を回ることなくより多数の種付けをする、つまり多数の子馬の父となることを可能にすることが目的であった。

方法としては、ドナーとなる種馬の精巣の組織の一部を取り出し、他の種馬の精巣内につくり出されたスペースに移植するというものである。これの改良版の一つでは、ドナーから持ってきた別の組織が移植される前に、レシピエント(移植を受ける側)の精巣の組織の一部をレーザーで破壊する。この特殊な処置を加えることによって、遺伝学的にドナーから生まれた精子とレシピエント自身の細胞から生まれた精子が交ざり合った、ハイブリッド精子の個体群が生み出される。

全ての子が確実にドナーの遺伝子を受け継ぐようにするためには、レシピエントの精巣内の精原細胞組織全てをレーザーで焼き尽くす必要がある。

この技術を開発した二人の科学者は1992年に特許の申請をした時、これを人間に応用できるようになることを楽しみにしていると述べた。

精原細胞移植術を用いた場合に侵害される夫婦間の人間関係と、ドナーによる人工授精(AID)で侵害されるそれとは異なる。実際、精原細胞移植の方が好ましいと主張する解説者もいる。なぜなら、生まれる子どもとは遺伝的なつながりがないとしても、少なくとも夫(レシピエント)が子どもの受精時に関わることが出来るからである。

この技術が独裁者の手に渡れば悲惨な結果を招きかねない。もし全ての男性がこの処置を受けるよう強制されたとしたら?もし独裁者の精原細胞の組織が研究室で増殖されて、それが全成人男性の精巣に移植されたとしたら?このようなシナリオもさほどばかげた作り話ではないかもしれない。これまでにも精子バンクや試験管ベビーセンターの臨床指導者が、夫やドナーから提供された精子の代わりに自分の精子を使用するのが目撃されている。彼らはただ、生物学的に見た成功とは、多くの子を作る能力があるということというダーウィン的思考に駆り立てられたにすぎない。

D. 卵子の融合

ネズミの卵子細胞の研究をしていたアメリカの科学者たちが、刷り込み問題として知られているある問題の一面を解決する方法を発見した。これまでの科学では卵子の発達を促すことは不可能であった。「同一の」源から派生した遺伝子どうしは互いに「情報を伝える」ことを拒絶するからである。ということは明らかに、細胞核の遺伝学的性質の持つ何かが、父親から派生した遺伝子か母親から派生した遺伝子かどうかを見分けているのである。

しかしこのような遺伝学的妨害装置のスイッチを切る方法が発見された今、科学者は卵子の細胞核を融合させ、胚を形成させることに成功した。この技術をネズミからヒトに応用するには2年かかると推測されている。それが成し遂げられたあかつきには、レズビアンの親が、平等に二人の血を引く子どもを持つことが出来るようになるであろう。このオプションは、以下に述べるクローニングというオプションと比べたらより魅力的なものとなるかもしれない。というのも「親になる」のはクローニングの場合と違って片方だけではないからである。一つ確かなのは、将来男性がどこまで必要になるだろうかということである。

E. 男性の妊娠

男性も絶望することはない。なぜならばテクノロジーによって女性が男性なしで子どもを持てるような方法がもたらされているのと同様に、男性自身が母親となれるような方法も示されている。

「男性が母になる」ことに関して書かれた最近の記事の中で、ウィンストン卿は次のように論じている。

「男性の妊娠は確かに可能であり、それは女性の子宮外妊娠と同じです。ただし妊娠を維持するには当の男性に多量の女性ホルモンを投与しなければなりませんが。」(サンデー・タイムズ、1999年2月21日)

実際、オーストラリアでは少なくとも5組のホモセクシャルのカップルがすでにこの「処置」とやらの申し込みを済ませたという。

申し込みは、通常は安全性の問題からすべて却下されている。1990年代初期にはそのような男性の妊娠によって「男性ママ」の50%近くがいのちを落とすだろう、とされていた。ウィンストン卿はより厳密な医学的管理によって死亡率の統計値を許容できるレベルにまで下げることが出来ると確信している。

ノッティンガムの生殖補助センター所長、サイモン・フィッシェル博士も同じ意見である。彼は次のように述べている。「男性が身ごもることができない理由はどこにもありません。胎盤によって必要なホルモン状態が用意されるので、なにも女性の体内でなければならない、ということはないのです」

F. クローニング

成体オスの哺乳動物としては世界初のクローン・コピー、羊のドリーが1997年2月に世界に発表されて以来、我々はクローニングに関する広告やマンガ、ニュース項目をひんぱんに目にしてきた。実際、ヒトのクローニングは次のマンガのテーマに見られるように滑稽な面を持ち合わせている。

1。ジャック・ストロー内相はピノチェト将軍のクローン・コピーを一人スペインへ送り、もう一人をチリへ帰国させることによって、外国犯罪人引渡し問題を解決する。

2。「スペア・パーツ」のクローン技術を使用して英国上院の改革がなされた。全議員がトニー・ブレア首相寄贈の特徴を持つ顔になった。

3。クリスマスの朝、息子に化学の実験セットのプレゼントは早すぎたんじゃないと妻が夫に小言を言う。そこへ息子のコピー40人が階段を駆け下りてきて、妻は叫ぶ、「まったく、もっと大きな七面鳥のローストが必要になるわ」

しかしこのように屈託のないとらえ方がされたからといって、ヒトのクローニングに関する一般の人々の知識の蓄えが尽きることはない。事実、主なテーマは、古くはメアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」の時代からSFというジャンルによって提供されてきた。中でも最も記憶に残る例はアイラ・レヴィンの「ブラジルから来た少年」であろう。後に映画化されてヒットしたこの本には、アドルフ・ヒトラーを生き返らせようとするナチス支持者のグループが出てくる。

彼らが思いついた計画とは、オリジナルの体から回収した材料を使って、ヒトラーのコピーを大量にクローニングすることであった。生殖、再生技術に詳しい生物学者がこの実験を手助けし、「一回分」の赤ん坊クローンが複数の代理母の子宮に妊娠させられる。新たなナチスの指導者を生み出すチャンスを最大にするために、狂信者たちはオリジナルが受けたのと同じ幼少期の教育を再現することにする。計画の一端として男の子たちの父親を皆殺害して、代わりに聡明なおじをあてがう。このおじが子どもたちにクラシック音楽や文学の手ほどきをしたり、美術館を楽しむといったことを教えていくのである。

レヴィンがこの本を書いた当時は、このようなことは科学的に不可能であった。しかし1999年となった現在では、成功を納めたクローン羊やネズミの実験にならい、細胞核の材料としてオリジナルから生きている組織を入手できれば、それが可能なのである。

またジョナサン・グラヴァー博士の功績も、ドリー以前のヒトのクローニングに関する論争に重要な貢献をした。1984年にグラヴァー博士は次のような見解を述べている。裕福な家庭は、さほど遠からぬ未来に、妊娠した子ども一人につきスペアのコピーを二体作るようになるかもしれない。最初のコピーはオリジナルの「社会的」クローンとしてオリジナルと同じ学校や大学に通い、同じ職業訓練プログラムに参加する。二番目のコピーは「植物」クローンとして有機栽培の食物を与えられ、オリジナルに何らかの健康上の問題が生じた場合にはスペア・パーツとして使われる。植物クローンは、必要とあらば「社会的」クローンのためにその体を提供することもあるかもしれない。

グラヴァー博士はさらに、クローン養成所から「植物」クローンが逃げ出そうとするという問題までも取り上げ、それを防ぐには生後すぐに彼らに外科的手術をして、あるいは強力なレーザーを使ってロボトミー(大脳の白質切除術)を施せばよいと提案している。

もしオリジナルあるいは社会的クローンに輸血や骨髄移植が必要になった場合、植物クローンは多分術後も生きていることが出来るであろう。しかし心臓が必要になった場合は、手術は植物クローンにとって確実に死を意味する。

そのような案は「植物」クローンを道具化し、その本性を奪うものであるということはすぐに理解できる。彼らクローン人間は、目的に達する手段としてではなく、彼ら自身に目的があるものとして尊重されなければならない。ヒトのクローニングがこのような形でなされるのなら、良心の命ずるところは明らかであろう。そして彼らに対する冒とくであるという事実は明白である。

残念なことに、ヒトのクローニングに関して1999年に行われた実際の討論では、この問題が提示する倫理上の最大の問題点が明らかにされていない。

討論をよりよく理解するために、fullpregnancy(完全妊娠型)クローニングと治療的クローニングと呼ばれるものとの違いについて言及しておく必要がある。二者の区別は、ヒトのクローニング問題の研究を命じられた四人のメンバーからなるワーキング・グループ(ヒトの遺伝学に関する顧問委員会、ヒトの受精及び発生学に関する事業団)によって1998年1月に考案された。

どちらのタイプのヒトのクローニングも、あの羊のドリーをつくり出すのと同じテクニックを使用することから始まる。まず、ある人間の体細胞の核をあらかじめ核を除去した卵子細胞の中に埋め込む。この新生胚を、化学薬品の溶液に浸したり電気ショックを与えたりすることによって成長させ、細胞分割させるように導く。これを代理母の子宮に移植することも、研究室のペトリ皿の中に置いておくことも可能である。

完全妊娠型クローニングにおいては、このようにしてつくり出された胚は女性の子宮に移植され9ヶ月間の妊娠期間を過ごす。一方、いわゆる治療的クローニングの場合は、その胚から胚性幹細胞(ES細胞)を取り出すとこが出来るようになるまで研究室に保管される。その後クローン胚は破棄され、胚性幹細胞は化学的操作によって移植可能な組織の中に移し替えられる。移動させられた胚性幹細胞の厳密な倫理的ステータスは、移動させられたその時期によって決まる。(この問題については、現在インターネット上で複雑な討論が繰り広げられている。)その討論の結論がどうであれ、胚性幹細胞が取り出された先のクローン胚は、1990年のヒトの受精と発生学に関する条例の規約に従って常に殺されてしまう。(この条例はそのうち改正されるだろうが。)これはまたしても、目的に達する手段として、決して、人間を使用してはならないという原則に明らかに反することである。この点に関する世間の報道では今のところこの事実が明らかにされていないし、ヒトのクローニング全般に対する賛否両論を均衡に報じてはいない。次にこのメディア・プレゼンテーションの問題に目を向けてみよう。

メディアの情報操作と不均衡なヒトのクローニング論争

長年にわたってライフは、問題の隠匿とメディアの情報操作を監視し続けてきた。それらは妊娠中絶と試験管ベビーに関する論争を歪曲してきたのだが、人々の利に反するその歪曲操作が今ほど極端化し、バランスの取れた論争の実現が拒まれたことはなかった。大多数の人間(電話調査では88%)がヒトのクローニングに反対だという事実を懸念したニュース番組や討論番組の制作者たちは、クローニングに反対の圧力団体よりも賛成の方に、一貫してかなり長い時間を与えてきた。

実例1。

ジョナサン・ディムルビーが司会を務める日曜午後のあるBBCの番組では、クローニングに賛成の三人の科学者に対して、二人の「関心のある個人」および彼らのサポート役ロバート・ウィンストン卿とを向き合わせた。反対者のチームにウィンストン卿がいたことは驚きであった。というのも彼が最近ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルに寄せた「ヒトのクローニングの理由」という記事は、ヒトのクローニングに賛成の立場で書かれていたからである。ウィンストン卿が味方する側を変えたり、同時に両方の側に立つふりをしているのを目にしたのはこれが初めてではない。 次の証拠を考慮してみてほしい。

「ヒトのクローニングを行うべき医学的理由はどこにもないし、リスクは明らかである。ヒトのクローニングによって何らかの利益が得られると本気で信じている人など一人もいないだろう」と彼は1997年2月24日付けタイムズにこう書いている。しかしそれから5週間もたたないうちにブリティッシュ・メディカル・ジャーナル1997年3月29日号、「ヒトの医療に関するクローニングの有望性。道徳に対する脅威ではなく、エキサイティングな挑戦」と題された記事に次のように書いている。

「悲しむべきことにメディアはこの試みの持つ大きな可能性を無視して、それによって生じる影響ばかりをセンセーショナルに報じてきた。ヒトの生殖医療において、クローニングの技術は、治療が困難な不妊症に苦しむ人々に希望を与えることが出来る」。

1998年1月8日付けのデイリー・メールの記事(クローニング詐欺師にご用心)では、ウィンストン卿は別の意見であった。

「もしヒトのクローンがつくり出されるようになったら、倫理的枠組み全体が脅かされることになるであろう。クローニングによってヒトをつくり出すことを主張するような医師に対しては、用心しなければならない。ああ、全世界の全ての医師が英国の医師ほど倫理的、良心的だとは限らない。事実上ヨーロッパの全ての国がヒトのクローニングの実験を続行しない、という合意書にサインしている」(注:英国はまだサインしていない)

この記事が発表されたまさしくその日、タイムズはこう報じている。

「・・試験管ベビーの草分けであるウィンストン卿は、クリントン大統領の(研究室内でのクローニングのみを許可し、赤ちゃんをつくり出すためのクローニングは禁止する)措置を予想通りの反応だと称し、クローニングの技術は多くの不妊カップルに希望を与えると述べた」

四日後、インディペンデント(1998年1月12日)にウィンストンは次のように述べた。

「(ヒトのクローニングが恩恵をもたらすかどうか)私にはよく分からないが、多分答えはイエスだと思う」

実例2。

ジョン・ハリス教授がBBC2チャンネルのニュースナイトに1999年2月に出演した際、ヒトのクローニングに賛成の意見を主張したのだが、反対意見は差し挟まれなかった。

実例3。

ジェレミー・パクスマンの「スタート・ザ・ウィーク」という番組で、フェイ・ウェルドンが著書「ジョアンナ・メイのクローニング」と、自分の新しい劇「四人のアリス・ベーカー」について話した。劇の構成は論争を短絡化し、ヒトのクローニングに問題はないという立場を提示するようなものであった。ウェルドンが話し終えると、ルイス・ウォルパート教授がそれを支持する意見を述べ、私はヒトのクローニングに反対のきちんとした論拠を示してくれる人にはシャンペンを一本差し上げましょうと申し出ているのですが、と述べた。シャンペンの企画はもう二年前からしていますが、これまでに挑戦してきた人は一人もいませんね、ということだった。

これらの番組のどれ一つをとっても、クローニング賛成者と反対者の見解をバランスよく報じようとしていないことにお気づきであろう。

討論など存在しないか、あってもいんちきであるというパターンが浮かび上がってくる。一年前には、二人の人間に討論するふりをさせることがはやっていた。しかしよくよく意見を吟味してみると、二人ともいわゆる「治療的」クローニングに賛成であったことがわかり、うち一人が完全妊娠型クローニングの短期の実用性に問題があり心配だと述べる。するともう一人がそのような懸念を吹き飛ばすようなことを言う。

このような偽装討論は大西洋の両側で行われ、クローニングに反対するコミュニティの声を完全に締め出していた。

ところで、2月のニュースナイトで明らかに示されたように、1998年に行われていた偽装討論に取って代わり、1999年には問題の討論自体が完全に拒否されている。

我々はどこに行こうとしているのか、また、ヒトの自然妊娠はこの先どうなるのか?

1970年代初期、体外受精の生みの親であるロバート・エドワーズ博士は、これから40年の間に、ほとんどの子が科学技術の手助けを受けて受胎させられるようになるであろうと予言した。現時点では、この予言は奇抜なものに思われるかもしれないが、以下の話を考慮してみれば、体外受精が普通になってしまうような急激な変化はそれほど遠くない未来にやって来るのかもしれない。

1990年代の中頃、ティーンエイジャーの妊娠に関する問題を話し合うための会合が保健省によって企画されたという。当時、英国のティーンエイジャーの妊娠率はヨーロッパの中で最も高く、そのレベルはフランスの二倍、北欧諸国の七倍であった。(現在もそうである。)会合に集まった専門家たちに、その率を下げるにはどうしたらいいか、という質問がなされたとき、経口避妊薬の考案者であるカール・ジェラッシ博士が信じられないようなショッキングな提案をした。 12歳になった全ての男子に避妊手術を義務づければ、ティーンエイジャーの妊娠率はかなり減らせるだろうと主張したのである。ジェラッシ博士の説明では、12歳になった少年は皆、精子凍結バンクに精子を寄付することにする。そうすれば少年たちは15年ほど自由にふるまうことが出来る。そして生涯の伴侶を見つけ、家族を持ちたいと思ったときには、パートナーから卵子をいくつか採取してペトリ皿の中で受精させ、試験管ベビーを誕生させる。そのベビーたちを遺伝学的に審査し、「最良」のものだけを母親の子宮に戻せばよい。これで一挙に、数百万ポンドの体外受精産業が数十億ポンドの産業へと生まれ変わるだろう。

会合の他の出席者たちからは反対意見が出されたという。「それでも、ティーンエイジャーが妊娠する場合、相手の60%が20歳以上の男性である事実を視野に入れると、妊娠率は高いままで変わらないのでは?」「はい、避妊手術の義務化を導入する法律は、すでに12歳以上になっている男性全員に避妊手術を強制するよう遡及力を持たせなければなりません」

また、人々が観光旅行を続ける限りは、結果としてティーンエイジャーの妊娠につながるのではないかと懸念を抱く者もいた。おそらく観光旅行は、男性の避妊手術に関する多国間の同意書にサインした国々のみに制限されるであろう。

討論の雰囲気は功利主義的なものであり、ヒトの生殖の本質が変化させられることへの根本的な反対意見というものには話が及びもしなかった。

そのような功利一辺倒の考えに捕らわれている人々の調査分析は、何をもってヒトの進化となすかという問題のひどくゆがんだとらえ方に影響されていることが多い。

科学的または技術的強迫観念、すなわち、科学によって可能なことは全て実行すべきだという考えが実利主義の崇拝と密接に結びついて、ヒトの繁栄について非常に抑圧された偏ったとらえ方がされるようになった。生殖技術が自然生殖に取って代わるということはそのゆがんだ世界観の兆候である。

この猛襲に対して守りを固めるには、人類学を十分研究し、発展させる必要がある。それは自然生殖の美点と重要性を解き明かすものであり、ヒトの生命の純物質的側面の範囲を超えるような現実に気付かせてくれるものである。

自然生殖の本来の姿についてよく考えてみると、ヒトの進化についての定義が具体化されるであろう。そして現在脚光を浴びている物質的および科学的側面と並んで、人格的および倫理的側面についても詳述されることになろう。

結論

人間の誕生というものは、遙か遠い昔から変わらないものであった。二人は夫婦として一体となった。そしてこれまでにない授かり物として息子や娘が生まれた。今や我々は性的結びつきと子どもを授かることとを切り離して考えるようになってしまった。赤ちゃんとは関係のないセックス(避妊)という考え方は、すぐにセックスとは関係のない赤ちゃん(試験管ベビー)という考え方に行き着く。もはや両親とは関係のない赤ちゃん、ヒトのクローンが誕生しそうだからといって驚くことはないではないか。

自然生殖の領域に、相次ぐ技術革新の波が押し寄せている。試験管ベビー、代理母、人工授精に加えて精原細胞移植術、卵子の融合(父親のいらない赤ちゃん)、男性の妊娠、そして生殖技術の最高峰、ヒトのクローニングである。

生産分野の用語がヒトの生殖活動の領域にまで入ってきてしまったために、人々は品質管理と全面的製品管理に容赦なく駆り立てられている。近い将来、一連の出生前検査を受けずに自然生殖という手段にたよることは、無責任だと見なされるようになってしまうかもしれない。近未来の住人たちは、完璧とは言えない赤ちゃんを目にしたとき腹を立てるようになるかもしれない。「異常を調べる検査が受けられたのに、知らなかったの?」ダウン症の子を持つ母親の面前で、心配した一市民が発するちょっとした非難の言葉がこれであろうか?すでに障害を持って生まれた人々に対しては特別の援助やサポートを提供しておきながら、一方では、これから生まれる、特別のケアを同様に必要とする子どもたちを検出してはいのちを奪うという今の変わり身の早さを維持することは実際可能であろうか?

新しい形の差別が生じ、子どもたちは年齢や肌の色ではなく、どのような手法によってこの世に生まれたか、でお互いを区別するようになるであろう。(遺伝子検査を受けた)試験管ベビーとして生まれた子どもたちは、違う部類として見なされはしないだろうか?クローニングの手法によって生まれた子どもたちは差別を受けないだろうか?オールダス・ハクスレーの「ブレイヴ・ニュー・ワールド」にそっくり同じことが鮮明に描かれている。

実際このような問題がどうなるか、全ては21世紀という幕に覆い隠されている。それによって我々の将来が決まる。しかし将来がどうであれ、人類の誕生は二度とこれまでのようにはいかないであろう。五体満足であるかどうかに関わらず、無条件に子どもを受け入れる考え方は永遠に葬られてしまった。同時に、これまで両親と子どもの「根本的平等」を支えてきたヒトの生殖の偶発性と不確実性も失われてしまった。というもの、計画され命ぜられて生まれてくる者は、それを計画し命ずる者と平等ではあり得ない。

最後に、自分たちの姿を離れた視点から考察してみよう。視点を離してみると、我々が科学技術の信奉へとひた走っていることが分かる。また始めに引用したフレーズ「未来への愛が始まるところ、それ以外の愛が終わる」が真実であるということが理解できる。人はより速く、より豊かに、より優秀になるのと引き替えに、自らの価値を下げ、生気に満ちているとは言い難くなり、人間としての本来の姿から遠ざかってしまう。

事実、我々が今目にしているのは人類の動物化に他ならない。農場内の繁殖技術が自然生殖をしのぎ、人間の個性を構成する主な要素を覆い隠すほどの脅威となっている。ヒトの体というものの重要性、および生殖活動としてのヒトの性の重要性を探究する努力を一新すること、それがこの加速する非人間化から身を守る唯一の方法である。

Peter Garrett, M.A.(ピーター・ガレット文学修士)
英語原文より翻訳:
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