日本 プロライフ ムーブメント

避妊と人としての存在

避妊は道徳的な問題です。それはまた宗教的な問題でもあります。しかし宗教を脇へ置いて、避妊の問題を純粋に自然のレベルで分析し論じることは可能です。道徳哲学者は、全ての人間が普通に自然のままに経験することに関心を持っています。彼らは、なぜある行為が人間のためになり、なぜ他の行為がそうでないかを説明するために、人間が普遍的に持っている理性を用いて、かれらの学問を展開します。そうすれば、避妊の道徳的分析は、カトリック教徒ばかりでなく、プロテスタントにもユダヤ教徒にもイスラム教徒にもヒンズー教徒にも、そして無神論者にも同様に関係があるものとなります。どのような行為が人間のためになり、どのような行為が人間のためにならないかを区別し始めるためには、「人間であるということは何を意味するのか。」という問いに答えることがまず必要です。本質的に人類学的な性質を持ったこの問いは、避妊という行為が、人間や結婚や社会に対して持つ道徳的な意味を持ったより具体的な問題を扱う立場になる前に、考えてみなければなりません。

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