「不妊症治療」生殖の渇愛

命懸けの出産

 12月はクリスマスの時期、日本中お祭りの雰囲気になる。しかし前にも書いた が、イエスの誕生は羊飼いが夜に野宿をしながら子羊の番をしていた時だから、お釈 迦様と同様に春なのだ。十二月二十五日太陽神誕生祭の騒ぎに隠れてイエスの誕生を お祝いしたのがクリスマスの始まりだ。私達はクリスマスツリーと共に潅仏会の飾り をして、甘茶を飲んでお釈迦様の誕生も同時にお祝いしている。

 新約聖書によれば、古代ローマ帝国で最初の住民登録が行われた年、ヨゼフとマリ アは登録のためにベツレヘムに帰った。マリアは馬小屋に泊まっているときに産気づ いてイエスを産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。このように健康な父親と母親 から自然分娩によって子供が産まれることは喜ばしいが、常にうまくいくとは限らな い。お釈迦様の誕生後七日で実母の摩耶夫人は亡くなられた。妊娠と出産に伴う疾患 は発展途上国では若い女性の最大の死因だ。毎年約千五百万人が妊娠や出産に伴う病 気に罹り、そのうち約五十万人が死亡している。死亡原因は産後の出血や重症感染 症、閉塞分娩、そして妊娠中毒症に伴う重症高血圧や痙攣などだ。母体を危険にする 状況は生まれる子供にも危険であり、毎年約八百万人が出産時または生後一週間以内 に死亡している。輸血、抗生剤その他の薬剤、そして帝王切開その他の手術によって 先進国では妊娠出産に伴う死亡率は激減した。

不妊症治療

 お釈迦様が説かれた四諦によれば、苦しみを生ずる三つの根本原因の一つが生殖の 渇愛だ。遺伝子は自己拡大の為に生殖の渇愛を人間の設計図に書き込んだのだ。仏陀 の覚りの智慧を獲得すれば生殖の渇愛から自由になれるが、凡夫は子供を作ることに 執着して苦しむ。
 夫婦が子供を作ろうと試みて一年間経過しても妊娠しない場合には不妊症を疑う。一 割程度の夫婦が不妊症だ。不妊の原因が男性側にある場合と女性側にある場合の割合 はほぼ半々だ。男性側の原因としては大部分が精子を造る機能の障害で、他には精子 を輸送する通路の障害や性機能障害などがある。専門的な診察を受けて不妊の原因を 明らかにした上で、診断に基づいた治療を受ける。不妊の原因に応じて種々の薬物療 法や手術療法がある。精巣内で精子が出来るためには約二ヶ月半必要であり、それ以 上の期間を過ぎてから効果を判定する。薬物療法や手術療法で妊娠出来ない場合には 夫の精子による人工授精を行うが、高度に精子が少ない場合には成功率が低い。その 場合には体外受精や顕微受精が行われる。女性側の原因には排卵や受精や着床の障害 等があるが、診断に基づいて種々の薬物療法や手術療法、そして体外受精が行われて いる。

生殖補助医療

 治療しても受精可能な精子や卵子を作れない場合もある。また不妊症ではないけれ ども夫婦の一方に遺伝病があって子供に伝えることを望まない場合もある。このよう な場合に、提供された精子を用いる人工授精や、他の人から提供された卵子や精子を 使っての体外受精も可能だ。受精卵が分割を始めた状態を胚というが、夫婦が精子と 卵子のどちらも作れない場合、胚の提供を受けての妊娠も可能だ。

 平成十五年四月に厚生科学審議会生殖補助医療部会は「精子・卵子・胚の提供等に よる生殖補助医療制度の整備に関する報告書」を取りまとめた。①生まれてくる子の 福祉を優先する、②人を専ら生殖の手段として扱ってはならない、③安全性に十分配 慮する、④優生思想を排除する、⑤商業主義を排除する、⑥人間の尊厳を守る、を基 本的な考え方とした。提供された卵子による体外受精に関しては「卵子の提供を受け なければ妊娠できない夫婦に限って、提供された卵子による体外受精を受けることが できる。」とした。提供された胚の移植に関しては「子の福祉のために安定した養育 のための環境整備が十分になされることを条件として、胚の提供を受けなければ妊娠 できない夫婦に対して、最終的な選択として提供された胚の移植を認める。ただし、 提供を受けることができる胚は、他の夫婦が自己の胚移植のために得た胚に限ること とし、精子・卵子両方の提供によって得られる胚の移植は認めない。なお、個別の事 例ごとに、実施医療施設の倫理委員会及び公的管理運営機関の審査会にて実施の適否 に関する審査を行う。」とした。代理懐胎については「代理懐胎(代理母・借り腹) は禁止する。」となった。

 報告書の「実施医療施設の倫理委員会における人的要件等」には宗教関係者が入って いない。ローマの医療施設で質問したところ、イタリアでは倫理委員会に必ず神父が 委員として参加しているという。人の生死に関わる問題は宗教の根本問題であり、世 界の常識では宗教関係者の委員が必要なのだ。

 生殖補助医療には「残った胚の利用」という別の重要な倫理的宗教的問題がある。こ れに関しては、次回に「生存の渇愛」について書く予定だ。

Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)
田中 雅博(1946年ー2017年3月21日)
坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師
出典 藪坊主法話集
Copyright ©2003年12月掲載
2022年8月14日複製