日本 プロライフ ムーブメント

無知ゆえに幻想を抱く私達

文学作品に描かれている悲劇の中で最も悲惨なもののひとつに、聖書に出てくるサウルの話がある。サウルは、例えていうなら、ディズニ-アニメ版「ハムレット」といったところか。本家「ハムレット」には、少なくとも主人公を陥れる正当な理由と言える悲劇が起こるのに対し、サウルは、もって生まれた資質からすれば、もっともっと明るい人生を送るに値したと思われる。 

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自殺についての私達の誤解

私は自殺に関する記事を毎年書きます。なぜなら、あまりにもたくさんの人々がこの方法により愛する人を失った痛みをかかえて生きなければならないからです。私達の親しい誰かが自殺の犠牲者になった時、たくさんの混乱(なぜ?)や罪(私達は何かをしたかもしれない?どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう?)や誤解(これは絶望の究極の形)と共に私達は生きることになり、そして、もし、私達が信仰を持つ人なら、宗教的心配も同じように出てきます。(神はそのような人をどうやって扱うのでしょうか?彼あるいは彼女の永遠の運命はどうなるのでしょうか?)

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道徳上の孤独

「神秘主義的な祈りの指針」という彼女の本の中で、ラス・ブロ-ズはテレ-ズ・リジックスについて興味深いコメントをしています。彼女の写真を見て、ブロ-ズは、集団の中にいてさえも、テレ-ズの顔には分離の素質、1人でいる素質があることを表わしていると指摘しているのです。彼女はとても社交的な人だけれども何かがいつも彼女を分離させています。何ものも全く消すことができないようなそれほどの孤独が彼女の中にあります。

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待降節:純潔空間の創造

初期の本で、アニ-・ディラ-ドはどのようにして待つことの重要性を経験したか紹介しています。彼女は蝶がゆっくりと繭から出てくるのを見ていた時でした。その非常にゆっくりとした変態の過程はとてもおもしろいものでした。しかし、その時彼女はせっかちになりました。彼女はろうそくを取り出して、繭を熱しました。わずかに少しですが速度が増しました。効果がありました。その蝶は少し早く姿を現しました。しかし、その過程が不自然に急がせられたために、生まれた蝶の羽は正確に形成されず、飛ぶこともできませんでした。

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涙の谷で嘆き悲しむ

私の両親には、深い信仰心があった。二人とも祈りは毎日欠かさず、私達子ども達にもいっしょに祈らせた。両親が毎日していたお祈りは、「サルヴェ・レジナ」という古い有名な祈りで、マリア様に私達の取りなしを願い、聖母をたたえる祈りだった。このお祈りを知っている人は多いと思う。このお祈りの中に、人生における私達の有り様を「涙の谷で嘆き悲しむ」と表している部分がある。このような言い方は、健全だろうか?両親は、そんなことは考えもしなかった。ただ彼等には、この祈りには優れた意味があった。

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秘密の誕生

ステファニー・クラークは、娘のズボンを探そうとしてクローゼットを開けた。毛布にくるまれた小さな新生児をそこに見つけた時の彼女の驚きを容易に想像できるだろう。「驚きのあまり悲鳴をあげました。」とのちに彼女は報道陣に語っている。「すぐに警察に電話をしました。『誰の子どもか』と聞かれて私は『まったくわかりません。』と答えるしかありませんでした。」 

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中絶する女性:「胎児に関する彼女たちの考え」

中絶クリニックの待合室で、少しの間私と一緒に座ってみましょう。ここには、一般的に哲学者でも馬鹿者でもない女性たち、明らかにその両者がかなり重複したカテゴリーの女性たちがいることがわかるでしょう。この女性たちの中で、「人間であるということ」の意味についての不可解な議論に関わったことのある人はほとんどいません。愚かにも、中絶をすることは歯を抜いてもらうことと同じだという主張を信じる人はさらにいません。

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愛こそ命の源

キリスト教の真髄は、イエス・キリストの死からの復活である。キリスト教では、キリストの復活を祝う教えが根づいている。なぜなら、キリストの復活は、キリストだけでなく、キリストを信ずる者全員の生命の勝利を意味するからである。キリストが墓から生き返るということは、我々も墓から生き返るということだ!

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聖霊と回勅『フマネ・ヴィテ』

大聖年である2000年に備えて聖霊に捧げられた1998年は、教会が回勅『フマネ・ヴィテ』発布30周年を祝った年でもありました。しかし、これら二つの出来事はカレンダー上のつながりよりもはるかに深く結ばれています。聖霊について私達が信じることは回勅『フマネ・ヴィテ』が伝える真理をより深く理解し、受容させます。 

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私が弟の番人でしょうか

中絶を、「決してなくならない問題」と呼ぶ人がいます。中絶に関する国内の論争は激しくなる一方で、全く沈静化の兆しがみえません。教会に来て、ちらしを一部受け取って小声で、「中絶の話を聞く場合にそなえてこれをもらいましょう。」とただ言う女性のように、そのことにもう耳をかそうとしない消極的な人もいます。また、中絶について寄せられた手紙に対して、いつ命が始まるのかについて考える気もしないと発言した政治家もいます。私達を不安にさせる情報から身を守る手段はたくさんあります。

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脳に悪い七つの習慣(創造力、思考力を磨くために)

前掲で「北京オリンピック」関連の話をしましたが、 今回はやはり2008年の北京オリンピックの水泳競技に関係する話です。 久しぶりに北島選手など水泳陣が素晴らしい成績を残しました。その水泳選手を指導された脳神経外科医林成之博士の「 脳に悪い7つの習慣(幻冬舎)」の紹介です。(昨年の社内向け「冲中ブログより) 

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「感動人間」こそ、今求められる

“感動”というキーワードが拡がっている。「感動プロデューサー」という「感動を生みだす人を生みだす」会社を、 2004年に一人で設立(今も一人)された平野秀典さんは、これまでマイクロソフト、トヨタ、 日立など数百社から講師として招聘され、延べ二十万人を超える人に感動創造のすばらしさとコツを伝えてきたそうです( 感動プロデューサー平野秀典公式サイトから無料メルマガあり)。 

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二度とない人生だから(坂村真民)

以前ブログで「人生二度なし(森信三)(http://blog.jolls.jp/jasipa/nsd/entry/7128)」を紹介した。「そもそもこの世の中のことというものは、大低のことは多少の例外があるものですが、この『人生二度なし』という真理のみは、古来只一つの例外すらないのです。しかしながら、この明白な事実に対して、諸君たちは、果たしてどの程度に感じているでしょうか。 すなわち自分のこの命が、今後五十年くらいたてば、永久に消え去って、再び取り返し得ないという事実に対して、諸君たちは、果たしてどれほどの認識と覚悟とを持っていると言えますか。諸君たちが、この『人生二度なし』という言葉に対して深く驚かないのは、要するに、無意識のうちに自分だけはその例外としているからではないでしょうか。 要するにこのことは、諸君たちが自分の生命に対して、真に深く思いを致していない何よりの証拠だと言えましょう。 すなわち諸君らが二度とない人生をこの人の世にうけながら、それに対して、深い愛惜尊重の念を持たない点に起因すると思うわけです。」 

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『煉獄』

「れんごく」と読みます。これはキリスト教、特にカトリック教会でいわれるものです。その意味は『 死後地獄へ至るほどの罪はないが、すぐに天国に行けるほどにも清くない魂が、その小罪を清めるため赴くとされる場所である』(ウィキペディアより抜粋)・・・と、まぁそういうことですわ。 

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‘違うこと’は美しい

イタリアでは豪華客船の座礁事故やマフイァの経済規模がGDPの7%と判明など、 国の財政危機に追い討ちをかけるような事案が続き、新聞やテレビなどの大手メディアは、 そうしたニュースを追う傍らで政府の緊縮財政策の是非や真偽や問題や影響等々について連日多くの時間と紙面を割いて報 道を続けている。つまりイタリア共和国は、150年前に国家が誕生して以来の「いつも通りの」危機を生きていて、 そこには普段と変わらない人々の日常が大きくうねりながら躍動し前進しているのである。 

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