日本 プロライフ ムーブメント

存在の肯定を

人間はその存在を肯定された時、生きる力がわいてくる。否定されたとき、死の世界に追いやられる。青少年と関わっていてつくづく感じる。 

教育者の義家弘介さんは、両親から「絶対的に愛され許された」という記憶がなく、自分の存在が肯定されたという思いを持てないまま、思春期に入った。その当時のことを振り返ってこのように書いている。 

「この社会はすべて『大人の都合』によって営まれている。勝手に愛し合い、勝手に子どもを作り、そして勝手に離婚し、勝手に再婚する。『オトナ』たちにとって都合のいい子どもはかわいがり、『オトナ』たちの意向に従わない子どもには、『あなたのため』というたいそうな理由のもとに叱責する。・・・身体的に成長し、権力者の暴力では私を押さえつけることができなくなった時、大人たちは私を避けるようになった。怒らなくなったんじゃない。怒れなくなったんだ。笑ってしまった。でも、少しだけ悲しくなった」(義家弘介『不良少年の夢』光文社46-48頁)。 

大人たちにとってかわいくない彼はその存在を否定されてしまった。そして不良少年として屈折した生活へと進んでいった。 

そんな彼も、人生をやり直そうと北星学園余市高校へ進み、そこで本当に心から教師と呼べる人、安達俊子先生に出会い、彼自身の人生を歩み始める。しかし卒業後、大学四年の時にバイクの事故で意識不明の重態となり、危篤状態に陥った。幸い意識は戻ったが生き地獄だった。「殺してくれ」と叫び暴れた。そんな彼のところに、安達俊子先生が見舞いに来て、涙を流しなら、「義家君、死んではだめ、死なないで。あなたは私の夢だから。だから死なないで・・・・・・あなたは私の夢だから・・・・・・」。その時のことを義家さんはこのように書いている。 

「こんなに『生きたい』と思ったことはなかった。こんなに『暖かい』と思ったことはなかった。私はもはや孤独な不良少年ではなかった」(同上151頁)。 

この直後、彼の様態は急速によくなった。そしてその後、彼は教師、教育者への道を歩んでいった。 

「あなたは私の夢。死なないで。生きて」・・・この思い、これは、神様が人間一人ひとりに対して抱いている思いであるが、同時に、親が我が子に対して抱く共通の思いだと思う。生まれてくる子どもは、親にとって大きな希望であり、夢そのものである。このように存在そのものを無条件に肯定される中で、子どもは生きる力を抱くことができ、自分の人生を歩んでいくことができるのだ。もしその存在を否定されてしまったら、子どもは死の世界を彷徨ってしまうことになる。 

しかし、悲しいことに、この世に生を受けることさえも拒否さえてしまう子どもたちがいる。中絶という悪夢だ。存在そのものが消されてしまうのだ。大人たちの都合によって勝手に存在が消されてしまう。あってはいけない。絶対にあってはいけない。これは神様を否定してしまうことになるのだ。その当事者だけを責ればいいという問題ではないだろう。経済的な問題、価値観の問題など様々な問題がある。しかし、いかなる人間も絶対にその存在が否定されることがあってはならない。人間の存在を肯定していくこと、これを何よりも優先にする社会を作っていかなければならない。 

Tsujiie Naoki (ツジイエ ナオキ) 
辻家 直樹 
サレジオ修道会 
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