(ルカ2:16-21)
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。フランシスコ教皇様は聖ペトロ大聖堂の「聖なる扉」を開き、聖なる年2025年「聖年」を宣言されました。
この一年間、教区の司教座聖堂や、教区司教が指定した教会・聖堂を訪問することで、免償(罪の償いの免除)を得ることができます。下五島地区では福江・打折・貝津・井持浦教会が巡礼指定教会です。福江教会の人は残る三つの教会を巡礼して、恵みにあずかりましょう。
今日一月一日は、神の母聖マリアの祭日、守るべき大祝日です。神の子の母となられたことで、マリアは神の母の誉れを受けました。通常母親は、自分の子供に起こった出来事を細かく覚えていて、一つ一つ「あの時はこうだった、あの時のことが今につながっている」と思い巡らします。マリアは神の子の母となったので、御子イエスに起こった出来事をすべて心に納めて、思い巡らします。
一つだけ、通常の母親と違うのは、出来事の意味を理解するのはマリアの力ではないということです。神の子イエス・キリストに起こる出来事の意味を知るためには神からの解き明かしが必要です。いつその解き明かしがあるのか、どのように解き明かされるのかは分からないので、出来事を心に納めて、深く思い巡らす必要があります。マリアは神の子の出来事すべてを心に納めて、深く思い巡らしたのでした。
一つの体験を紹介します。司祭になって駆け出しの時、不用意な発言で教会信徒に心配をかけてしまいました。その時主任神父様から次のようなお叱りを受けました。「お前なぁ、おれの歳にならないと言えないこともあっとぞ。」そしてこのお叱りは、還暦が来年に迫っている今、当時の主任神父様の年齢になって、ようやく解き明かされたのです。
それは、ちょっとした出来事の中でした。「ともにあゆむ」というカレンダーを一人の方が買い求めて、そのお友だちが中身を一緒に眺めていました。そこへ私が「お母さん。見とったら買いたくなったやろ?」と自然と声をかけたのです。すると素直に「はい。私も一冊ください」と言ってくれました。
中田神父が駆け出しの時、同じように「お母さん。見とったら買いたくなったやろ?」と言っていたら、「若いくせに厚かましい」と思われていたことでしょう。しかし、今の年齢になって、言葉に重みが加わったのです。「おれの歳にならないと言えないこともあっとぞ」と言われたのが、心から理解できるようになったのです。自分の力で理解できなかったことが、神様の解き明かしで30年後に理解できました。
今日、20歳のお祝いを迎える方が、ミサに参加しています。ちょっと前まででしたら、「新成人のお祝い」として迎えていました。今日の出来事をぜひ記憶して、持ち帰ってほしいと思います。20歳になってたくさんの人の前で祝ってもらえるのは特別なことです。これからの生活で、「なぜ?」「どうして?」ということもたくさん味わうと思います。
誰かがその意味を教えてくれるときもあるでしょう。しかしどうしてもその意味が分からないとき、教会に来てみてください。マリア様が出来事を心に納め、思い巡らすうちに神様からの解き明かしが与えられて出来事の意味を悟ったように、皆さんにもいつか、神様からの解き明かしがきっとあります。
どうしても分からない、説明してほしい。その解き明かしをしてくださるのは御聖体のイエス様であり、イエス様のみことばです。マリア様が神様からの解き明かしを待って、出来事の意味を深く知ったように、マリア様に倣って神様から解き明かしをしてもらって出来事の意味を知る人になってください。出来事の意味が分からないとき、教会に来て神様から解き明かしをもらおうと願う人こそ、名実ともに大人の信者です。
これから祝福式をします。記念品は、派遣の祝福前にあらためてお渡しします。
ちょっとひとやすみ
▼2025年は「聖年」としてスタートした。五島市に四つの巡礼指定教会が指定された。たぶん巡礼者も相当数増えるだろう。教会が定める条件を果たして、免償(罪の償いの免除)をたくさんの人が受けてほしい。
▼免償は、他の人に譲ることもできる。亡くなった人に譲ることもできる。「聖徒の交わり(諸聖人の通功)」を体験で学ぶ良い機会だ。自分には、償いをしなければならない人が何人もいる。その人たちのために、2025年何度か指定教会の巡礼をしたい。
Nakada Kouji (ナカダ コウジ )
中田輝次
カトリック福江教会
Copyright © 2024年12月31日(No. 1333)
2025年1月2日掲載許可取得