盂蘭盆会と餓鬼道
八月には月遅れのお盆があり、日本民族大移動の月だ。お盆(盂蘭盆会)は立秋過ぎ旧暦七月十五日を中心とした行事だった。しかし明治五年の改暦でグレゴリオ暦が採用された結果、七月十五日は満月ではなくなり、かつ梅雨の時期にずれてしまった。明治新政府のお膝元である東京近辺では改暦に従ってお盆も新暦で行われた。しかし他の地域では旧暦のまま、あるいは月遅れで行うようになった。照明が発達して盆踊りに月明かりの必要性も無くなって、現在では東京以外の大部分の地域で月遅れのお盆が行われている。
盂蘭盆という言葉の由来は「逆さ吊り」を意味する梵語と「死者の霊魂」を意味するイランの言語との二説がある。インドで古い農耕儀礼の祖霊祭祀が雨安居の終わりの法要と習合し、中国でさらに中元と結びついて、聖徳太子の時代に日本に伝わり、日本に古くからあった先祖の霊を迎える祭祀と習合したようだ。インド以外の成立と考えられている『盂蘭盆経』は、餓鬼道に堕ちていた母の為に目連尊者が追善供養を行った話だ。雨安居の最後の日に阿羅漢(供養されるべき修行者)達に食べ物の布施をした。母の為に行ったこの善行(追善)によって、母に楽果を与えることができたと解釈される。
餓鬼道は三悪道の一つで、飢えと渇きに苦しむ世界だ。飲んだり食べたり出来ないで苦しむ状況は現代医療の現場にもある。渇愛の制御である仏教こそが、そのような苦の滅尽に役立つ筈だが、日本の医療現場に仏教僧侶の姿が無い。
嚥下障害と胃瘻栄養
患者さんから「胃カメラを飲む」という言葉を聞く。しかし実際は飲んでもらうわけではなく医師が挿入するのだ。だから「胃内視鏡検査を受ける」というのが正しい。飲み込むことを「嚥下」というが、辞書には「えんか」と読むと書いてあるのに「えんげ」と読む人が多い。正しく「えんか」と言うと間違っていると誤解されるので、「嚥下」という言葉が使いづらい状況になっている。病気で飲み込めなくなった場合に、胃内視鏡を用いて上腹部から胃に穴を開ける手術を行えば直接胃に流動食を入れられるようになる。この手術を胃瘻造設というが、飲み込めなくなった原因の病気が治るまでの期間であれば大変有用な栄養法といえる。しかし飲み込めない状況が死ぬまで続き、しかも苦しい時間の延命になるとしたら、胃瘻造設を望む人は少ない。今後の病気の経過について本人に詳しく説明して胃瘻造設を希望するかどうか聞ける場合には、本人の自己決定を尊重することができる。しかし痴呆症や意識障害などで本人の希望が確認できない場合が問題となる。最大多数の最大幸福という原則が必ずしも良い結果になるとは限らない。ミルが指摘したように、古代ギリシャで正しく行われた裁判において、当時最も尊敬されるべき人であったソクラテスを多数決(三百六十一票対百四十票)で死刑にしてしまった。病気か進行した場合についての自己決定を、あらかじめ本人に聞いておく体制作りが必要だ。私は常々この役割を日本では菩提寺の僧侶が果たせるのではないかと考えて提言している。法事等で延命と苦痛緩和が両立しない場合について話し、必ず自分の番が来るので予め本人の自己決定を書いて菩提寺に届けて置くように呼びかけるのだ。勿論個人情報守秘の原則は守られなければならない。このような情報がお寺にあれば、亡くなってからではなく生きている間に僧侶が呼ばれ、当然医師からも頼りにされるようになるだろう。
胃癌と内視鏡検査の勧め
食べられなくなる病気で日本人に多い癌に胃癌がある。癌による死亡数は増えているが、胃癌死亡数は近年半減した。しかし未だに全癌死亡の六分の一が胃癌であり、肺癌に次いで第二位だ。胃癌になっても最初は特別な症状が無い。胃癌が進行すると上腹部の症状が現れる。吐き気があると胃の病気を心配する人が多い。しかし脳から子宮まで非常に多くの原因で吐き気は起きる。吐き気が胃の病気の症状であることもある。胃癌が有るか無いかはレントゲンか内視鏡で胃の中を見なければ判らない。最終的には内視鏡で胃生検を行い癌組織を確認して確定診断する。
近年は早期胃癌の治療に内視鏡的粘膜切除術が行われている。進行胃癌では外科手術による切除を基本とする。遠隔転移等で手術不能な胃癌や再発胃癌などではティーエスワン等の抗癌剤治療が行われる。治癒切除が可能な間に胃癌が見つかれば五年生存率が高いが、治癒切除不能な場合には二年生きるのが難しい。四十才を過ぎたら毎年一回検査を受けて胃癌を早期発見することが勧められる。
Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)
田中 雅博(1946年ー2017年3月21日)
坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師
出典 藪坊主法話集
Copyright ©2004年8月掲載
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