生物医学研究における協力により生ずる問題

Watt, Helen (ワット・ヘレン)
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英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

ヒトの細胞および/または遺伝子に関する研究では、これらの研究に協力することで問題が生じる場合が多々ある。こうした問題は、我々の生活の様々な局面において、我々が誤った行為に導いたり、それを許容する態度を見せたときに発生する。問題となる行為の例として、胚芽や胎児は我々と同じく道徳心を持つ人間であるとの前提の上で行われる中絶や胚芽を使用した実験などがある。

不当な行為に協力することすべてが道徳的な誤りであるとは限らない。反対に、誤った行為が意図的に行われたのではない場合、通常、こうした行為への協力は道徳的に容認できるものと考えられる。例えば、支払った税金の一部がNHSの中絶制度に利用されることを考えれば、中絶反対者は、不本意ながらも中絶に加担していることになる。同様に、中絶を実施している施設まで乗客を運ぶバスの運転手も、不本意とはいえ、中絶に加担していることになる。しかし、どちらのケースも中絶を意図しているわけではなく、一見中絶に加担しているように見える彼らの行動も不当な行為とは言えない。

直接的な協力と間接的な協力

            

こうしたケースの是非を判断する場合、どのような原則を適用するべきなのか?協力という行為についてまず我々が明確にしなければならないのは、直接な協力と間接的な協力の違いである。他人の行動への直接な協力とは、その人(団体)がまさに誤りを犯そうとしている場面に意図的に協力することである。遺伝子研究に携わる科学者の究極の目的が、一定の遺伝子条件に選別および排除することである場合、その科学者は、将来的に中絶が起こることを予見しているだけでなく、それを意図していることになる。もうひとつの例として、パーキンソン病の治療に新鮮な胎児の脳細胞を必要とする医療研究者が、それを入手できるような方法と時期を選んで中絶実施医師と協力することが挙げられる。こういった研究者が、自らが中絶を意図しているとは断言できない。中絶を受けることや中絶を施すことを誤りとするなら、その後誰かが中絶を受けたり実施したりすることを予見するだけでなく、それを意図することもまた誤りなのである。結果的に、自分が誤りと考えることを他の人も行うようになるのである。

きわどい間接的協力とかすかな間接的協力

      

従って、誤った行為に対して直接的に協力することは道徳的に不適切である。では、自分の行動と誤った行為との関係を予測できる一方で、それを意図しているわけではない間接的な協力の是非についてはどのように判断したらよいのだろうか?間接的な協力には、極めてきわどい協力(看護婦が中絶を受けようとしている患者に前投薬を行う(1))とかすかな協力(納税によってNHSの中絶制度に協力する)がある。これらの協力の中には、極めてかすかな協力であるために問題にならないものもあれば、そのケースにおいて決定的な反論が生じるほどきわどい協力もある。きわどい、かつ物理的な協力は、実際に傷つけられる人(中絶の場合、胎児、母親など中絶を選択した人)にとって不当なものになりやすい。このような協力は、その人物が不当な行為に賛成した、あるいは強く反対しなかったという印象を根拠もなく与えることになる。胎児の組織を使用して研究を行っている研究者の場合、中絶が起こることを意図しなかったとしても、中絶を実施した人物から入手した胎児を使用して研究を行っている限り、自分が真剣に中絶に反対していることを他の人に信じてもらうことはむずかしいだろう。

胎児の組織および細胞系の使用

研究に死亡した胎児は使わないが、死亡した胎児から採取した細胞系やその副産物を使用する研究者の場合はどうか?70年代に中絶した胎児から採取した細胞系が風疹のワクチンに使用されたというニュースについて議論が生じたことがある。中絶反対者の間では、そのワクチンのボイコットをすべきか否かについて意見が分かれた。中絶および胎児の組織の誤った使用に関する複雑性を排除するために、ワクチンをボイコットすべきであるという意見がある一方で、妊婦が風疹に罹り、その結果子どもに影響が出るとすれば、ボイコットによる代償があまりにも大きいという意見もあった。

このようなケースにおいて、協力するか否かの道徳性を判断する場合、協力する人と協力しない人の理由を比較する必要がある。協力するか否かの理由として、いずれかの行動によって自分や他の人々に悪影響が及ぶことが考えられる。協力しない場合、(例えば)いのちを危険にさらしたり、成果が期待されている研究の前途を閉ざすという残念な結果が予想される。一方、かすかな協力の場合を含め、不当な行為に協力する場合は、その行為に伴う誤りに鈍感になるという点から自分たちに害が及ぶことが考えられる。例えば、将来的に、さらにきわどい協力、場合によっては直接的な協力を行うようになることも予測できる。また、懸念されている誤りが、我々にとってはそれほど悪いものに写っていないという印象を他者に与えることになる。

自分自身が不正に染まり、誤った行為に対して我々が強い反対の姿勢を持っていないという印象を他の人に抱かせるリスクが大きくなるほど、その行為を助長あるいは容認するには、さらにもっともらしい理由が必要になる。将来有望な研究を進めたいという希望は、中絶を実施する医師、あるいはその仲介者から入手した胎児の組織を使用する上での十分な理由にはならない。こうした理由では、同僚の研究者はもとより、中絶を実施する医師やその仲介者に、自分には中絶に反対する意思がない、あるいはあってもごくわずかしかないと言っているようなものである。胚芽を使用して実験を行っている人についても、(例えば)その実験結果を共有したいと依頼することに、同じような反対意見が持ち上がると考えられる。一方、すでに学術誌に発表された結果を利用する場合には、胚芽の生命の破壊について何の疑問も抱いていないという印象が他者に及ぶ可能性は低くなる。同じように、数十年前に中絶された胎児の細胞系を使用する場合、新しい胎児の組織を利用する場合と比べて、道徳的に中絶を容認しているという印象を持たれにくい。細胞系の利用は、不当な行為へのかすかなかつ間接的な協力であり、道徳的に正当化されることも多い。こうした事情から、かすかな協力さえも否定される場合があるが、その場合、問題となっている行為に対し確固たる態度を示すことができる。

臨床遺伝学

胚芽に関する実験および胎児から採取した組織を使用することは、ヒトの細胞および/または遺伝子に関する研究に伴う道徳的問題にとどまらない。先に述べたように、研究者の究極の目的および研究結果の使用法に関する道徳的問題も発生する。研究者の究極の目的がある状態に陥った胚芽や胎児の排除である場合、「探索と破壊」という行為に対する研究者の協力姿勢は直接なものとなり、不当とみなされる。ただし、研究者が自分の研究結果の利用方法を予測できたとしても、それを意図しなかった場合はどうなるのか?

特定の疾患に罹患しやすいことを示す遺伝子を見つける作業を通じて、我々はその疾患を遺伝子治療またはより効果的な薬物療法によって治療しようと考えるだろう。これらの考え自体に道徳的問題はない。生殖系列遺伝子治療において、安全性や研究に胚芽を使用することに対する問題が生じているが、体細胞遺伝子治療も他の実験的治療と同様に道徳的な問題を抱えている(2)。

しかしながら、より効果的な薬剤の開発を目的として遺伝情報を使用するプロジェクト同様、体細胞遺伝子治療は、まだ開発されたばかりである。我々は、遺伝子研究の分野において、遺伝的状態を診断する能力とそれを治療する能力の差という慢性的な問題に直面している。当然ながら、有効な治療法が開発されるまでには時間を要する。問題は、その間に、生まれていない子どもを一定の条件に基づいて「選別する」行為などに遺伝子情報が使用されることである。さらに、一定の疾患を持つことが分かった子どもを誕生前に排除できるにもかかわらず、有効な治療法が全く開発されないという問題もある。

次に、研究者が、特定の疾患を引き起こす遺伝子を発見することで、「探索と破壊」行為が助長されることを意図していないと仮定してみる。そうだとしても、自分の発見が「探索と破壊」を助長するような使われ方をすることが予想できる。特定の遺伝的疾患に対する治療法がない場合、妊婦に中絶を勧めることが出生前試験を行う医師の目的であることが多い。医師と違い、研究者は、自分が関わっている行動においてこうした目的を持つわけではないので、研究者の中絶に対する協力は、直接なものではなく、間接的なものと考えられる。そこで、「間接的な協力は正当か」という疑問が生じる。

軽度の疾患を発現する遺伝子および/または遅発性の疾患を発現する遺伝子に関する情報は、より重篤な疾患を発現する遺伝子に関する情報より、誤った使われ方をする確率が低い。中絶の場合、特に、軽度の症状を発現する遺伝子および/または遅発性の疾患を発現する遺伝子の存在を理由とした中絶が普及する可能性は、幼少時代に重篤な疾患が発現する遺伝子の存在を理由とした中絶が普及する可能性より低い。これを受け、重篤度が低い疾患を理由とした中絶に対してさえも、社会が寛容な態度を持つようになる可能性がある。NHSが(例えば)癌を発症する遺伝子を持つことを理由にした中絶に資金提供することを拒絶したとしても、癌家系の場合、内密に中絶が行われる例が多いと考えられる。

着床前診断は一部の疾患を除きまだ一般的ではないが、軽度または後発的に発症する疾患を理由とした中絶よりも、頻繁に行われていると考えられる。現時点で、乳癌になる遺伝子を持つ胚芽は、着床前に検出が可能である。問題のある遺伝子を持つことが判明した胚芽は、母胎外に放置される。この場合、乳癌に冒される可能性がある胚芽を故意に「選別する」行為については道徳的に弁明の余地はない。しかしながら、遺伝子治療および/または従来の薬物療法を含め、より効果的な乳癌の治療法が遺伝子研究によって発見されることに対する要望は高い。ある研究者が癌などの疾患に関係する遺伝子発見の研究にふさわしいかどうかは、情報が正しく利用される可能性、情報が誤って使用される可能性、同じ分野研究を行っている人と同時期に情報が入手できる可能性などの要因により左右される。情報がすぐに入手できる場合、研究者の意図は情報を正しく利用することにあるという仮定の下、研究者が遺伝子研究の分野で研究を行うことの是非について議論が活発化すると考えられる。ただし、研究者らは、彼らが遺伝子研究に従事する意思を示すことで周囲に与える影響を考慮しつつ、自分たちの利益を上回る害が生じないか検討する必要がある。

結論

誤った行為に直接に協力することは、そのこと自体が反道徳的であり、常に回避されるべきである。間接的な協力の場合、こうした協力がどの程度きわどいものか、さらに、協力するまたは協力しないことによってもたらされる害についても目を向ける必要がある。研究者の場合、研究の対象をより問題の少ない分野に向けることで、比較的簡単に誤った行為に対する協力を回避することができる。誤った行為に対する協力がないプロジェクトBを行うことで、誤った行為に対する協力を含むプロジェクトAよりもよい結果が得られる場合、プロジェクトBを行うことは有意義な行為と言えるだろう。一般に、状況を正しく評価するには十分な配慮が必要である。ある分野に関心のある人が、その分野における研究を道徳的に正当と考えたがるのは当然のことである。ただし、自己欺瞞の回避が必要とされる一方で、協力行為の中には全くかすかな協力であるために研究の障害とならないものがあるという事実を明確にしておくことも重要である。


Endnotes:

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