誰も「五体満足でない」赤ん坊を養子にしたいとは思わない

Valko, Nancy (ヴァルコ、ナンシー)
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net

「もちろん、誰も五体満足でない赤ん坊を養子にしたいとは思いません。」この言葉は私が今年の4月に話をしていた地元の大学での授業中に、ある老紳士がかなり感情的に発したものです。私は「憲法と最高裁」について学んでいる高齢者クラスの人たちに、プロライフの観点からロウ対ウェイド裁判の合法性と影響について話し合うために招待されていたのです。

高齢者クラスの参加者の中には、中絶を母親にとっての全くプライベ−トな問題として擁護する人もいましたが、彼らの議論は社会問題の解決策として中絶を合法化することの「是非」に集中しました。

私が1982年にダウン症と重度の心臓欠陥症を持って生まれた娘のカレンの話をしたので、中絶権に賛成の参加者たちはカレンのような赤ん坊を中絶することの個人的かつ社会的正当性に関して非常にはっきりと意見を述べました。そのため、「五体満足でない」赤ん坊を養子にしたい人は誰もいないという発言が出てきたのです。

「あなたの考えは間違っています。」と私はその老紳士に答えました。「私がカレンを産んだそのときでさえ、全米ダウン症協会を通じて、ダウン症の赤ん坊の養子希望待機者リストがあるということを知ることができたのです。そして私はその前夜に、養父母希望者と染色体欠損症や身体的欠陥のある子どもたちを養子縁組させるための新しいウェブサイトを見つけていたのです。」と私は付け加えました。

その参加者はそんなことがあるはずがないと信じようとしませんでした。

ロウ対ウェイド裁判の結果、母体の生命、近親相姦、レイプ、胎児の欠陥が、現在、中絶が自由に受けられるものとなった4大ケ−スです。これらの理由は毎年およそ130万件行なわれている中絶の理由としては稀なものです。しかし、先天異常の子どもが生まれるかもしれないと、ほとんど全ての妊婦が共通して不安を抱いていて、大多数の人々がこのような場合に中絶を支持しているという世論調査の結果は不思議なことではありません。

私はずっとプロライフ(中絶反対)の立場をとってきましたが、娘が生まれるまでは、この調査結果の基となっている不安は理解できました。

娘のカレンが生まれるちょうど2週間前、ス−パ−マ−ケットで母親がダウン症の幼子を陳列ケ−スから必死で引き離そうとしているのを見かけました。彼女は疲労困憊の様子でした。

「主よ、どうかこの子がダウン症でありませんように。ダウン症以外なら何でも構いません。」と私は心の中で祈りました。

カレンがダウン症で生まれたとき、私は愕然としました。しかしダウン症協会のお母さんたちがすぐに私に連絡を取ってくれ、私の不安を、情報や現実的な希望に置き換えてくれました。

それから医者は私に本当に悪い知らせを告げました。カレンは心臓に欠陥があり、重症のため手術は不可能で、2ヶ月ももたないと言われました。きっとそのおかげで、物事を正しく見ることができたのだと思います。

「プロチョイス(中絶選択権賛成)」が本当に意味することは次のようなことです。

カレンの心臓の欠陥は当初思っていたほどは悪くなくて、一回の心臓切開手術で良くなるかもしれないということが後になってわかりましたが、心臓学者がたとえ私が手術に同意しない決定をして娘を死なせても、100%私を支持しますと言ったとき、私はショックを受けました。このことは特に聞くに耐えがたいことでした。それはもし娘がダウン症でなければ、90%の成功率の手術にも医者は乗り気であっただろうということを私は看護婦として知っていたからでした。カレンは誕生という事実によって、ロウ対ウェイド裁判に従えば、今では法律が守ってくれる人間になりましたが、この治療をしないという選択肢は明らかに第4期(実際は第3期までしかない)の中絶となり得たでしょう。

私がプロチョイスの本当の意味を知ったのはその時です。「選択」とは、個々の子どもの生死など実際には問題ではないのです。実際に重要なのは、この子どもと自分の境遇を自分がどう感じるかだけなのです。好戦的なフェミニストに言わせれば、私は他の分野では「タフで強い女性」であるかもしれませんが、このような子どもを守れるほど必ずしも十分強くはなかったのです。

私はまた、ロウ対ウェイド裁判の影響が、合法的にあるいは違法に妊娠を終わらせることを決心したよくある絶望的な女性をはるかに越えてしまっていることが最終的にわかりました。中絶の考え方は社会をあまりにも堕落させてしまっていて、生まれてからも私のカレンのような子どもたちを危険にさらしたのです。最高裁の勉強をしている高齢者クラスのように、あまりにも多くの人々が、残念なことに、カレンのことを防なければならない悲劇とみなしていたのです。

医学の進歩でしょうか、それとも検査をして胎児を殺すためでしょうか?

1950年代後半に、音波を使った胎児の画像が子宮の中を覗くために開発された最初の技術となりました。近年では超音波が、中絶クリニックでよく言われる細胞の塊というより、むしろ生きている人間を宿していることを女性たちに見せることによって、数えきれないいのちを救うために使用されています。

しかし、妊娠中の親に、今では日常的かつ誇らしげに、成長していくわが子の超音波画像を見せる一方で、出生前診断には闇の側面があります。いくらかの先天異常がわかる超音波の他にも、神経管異常やダウン症を検査するためのAFPテストやトリプルマ−カ−スクリ−ニングテストのような血液検査は、現在出生前医療の日常的な部分となっています。羊水穿刺や絨毛膜抽出法も、成長している赤ん坊の問題を調べるために広く利用される検査です。出生前に先天異常を見つけるために、毎年新しい検査技術が試され、古いものは改良されているようです。

97%の女性は、赤ん坊が元気な様子だという良い知らせを聞きます。しかし、検査が絶対間違いないことはありませんし、既知の先天異常のいくらかを検査できるにすぎません。現在子宮内で治療できるような先天異常はほとんどありません。先天異常を持って生まれてくる子どもへの心構えをするために診断を希望する女性もいますが、検査でダウン症のような問題の可能性があるという結果が出ると、女性の90%までもが中絶をするでしょう。

先天異常を防ぐ方法として出生前診断を歓迎する人もいますが、そのような診断の影響は、バ−バラ・キャッツ・ロスマンの言う、1993年に彼女自身が書いた同名の本、「暫定的妊娠」(tentative pregnancy)をもたらしたのです。ロスマン自身はプロチョイスだと言っていますが、羊水穿刺を考慮に入れている女性を調査した結果、彼女は、そのような診断が妊娠中の正常な母子関係や母性の経験を、しばしば悪い方へと変化させていると結論付けることになったのです。

「私は妊娠していないかもしれない。」

数年前、偶然知り合いになって、明らかに妊娠していることにお祝いを言ったとき、私はこの言葉を直接耳にしました。「まだ『おめでとう』を言わないでね。妊娠していないかもしれないから。」と言うのを聞いて私は茫然としました。

5才の男の子の母親ダイアンは、続けて「私は羊水穿刺の結果を待っているのよ。」と説明し、「あなたが娘さんのことでどんな経験をしたか知っているけど、私はあなたのように自分の人生をあきらめることはできないわ。この子がダウン症だったら堕ろしてしまうわ。」と言いました。

検査の結果ではほぼ確実に赤ん坊は大丈夫のようだと私は彼女を安心させました。しかし、もし結果が彼女の期待通りでなければ、私に電話してほしいと付け加えました。妊娠中に必要な援助は何でもするということと、夫や私あるいは他の夫婦も喜んで彼女の赤ん坊を養子にするつもりだということを、私は約束しました。後でわかったことですが、私の反応と養子についての話の両方に彼女は驚いたということです。

ダイアンは数ヶ月後元気な女の赤ちゃんを産みました。そして自分が言ったことを詫びて、たぶん中絶はしなかったでしょうと言いました。しかし、私には彼女がとても心配したことが理解できました。それは社会自体が障害を持つ子どもにかなりきまぐれな態度を取っているように思われるからです。

一方では人々は障害を持った人々の話に励まされ、「パラリンピック」のような組織を支援しますが、他方では、出生前診断や中絶が簡単に受けられるのに、苦しませるために障害を持つ子どもを産むことは無責任だと多くの人が思っているのです。

しかし、障害を持つ子どもの実の親であれ養父母であれ大多数の親が証言するように、すべての子どもたちは特別な才能と特別な限界、その両方を兼ね備えて生まれてくるのです。障害があるからとか、あるいはあまり生きられそうにないからという理由で、生まれるのを拒否されてよい子どもは一人としていないのです。

先天異常という診断を受けて中絶をする女性たちもまた傷つきます。そのような子どもを愛し世話をするという、困難さと共に生じる特別な喜びが奪われることに加えて、これらの女性たちは、自分たちが期待した安堵や安らぎではなく、晴れることのない悲しみや、罪悪感や、ああすればよかったという想いをしばしば経験するのです。

数年前、先天異常のために妊娠後期に中絶を行なっている地元のある病院が、流産や死産をした女性のカウンセリングをしている団体に、苦しんでいる患者を助けてほしいと依頼しました。その団体は、悲しんでいる母親にかけてあげられる最も心を落ち着かせる言葉は、赤ん坊の死をもたらすためにあなたがしたこと、しなかったことは何もないのですよということだという事実を例に出して断りました。明らかにその言葉は、中絶をする母親にかけられる言葉ではありませんでした。子どもを失うことと、子どもを殺すことには歴然とした違いがあるのです。

このような母親たちのうちのどのくらいの人が中絶前に、実際に、障害を持つ子どもとその親に今までよりも良いサ−ビスや支援は何もないということを知っていたでしょうか?あるいは、自分の子どもたちが養父母になってくれようとしている人々に心から望まれていたことを、何人が知っていたでしょうか?そのような情報こそ、子どもを生かす選択をするのに欠かせない支援そのものであったかもしれないのです。

最後に

最高の医療の甲斐もなく、カレンは5ヶ月半で死にましたが、彼女のいのちが与えた影響は生き続けています。娘の葬式のミサで神父さんは、歩くことも話すこともしなかったこの子が、出会った人々の人生をどれほど変えたかを話してくださいました。

特に私の人生が変わりました。

カレンが亡くなってから、私は腰を落ち着けて、カレンや障害を持った全ての子どもたちが私たちに教えてくれていることを言葉にしてみようとしました。次の考えは、全米ダウン症協会の会報の1984年5月号に載ったものです。

先生が教えてくれなかったこと

1982年に娘のカレンはダウン症と重症の心臓欠陥症で生まれました。6ヶ月足らずで彼女は肺炎の合併症で亡くなりました。カレンは知恵遅れだったかもしれませんが、学校の先生が誰一人として教えてくれなかったことを私に教えてくれました。

カレンが私に教えてくれたこと:

いのちは誰にでも公平ではないこと。自己憐愍は人を無力にさせる病気になり得ること。神は私よりも私の人生の舵取りが上手いこと。世の中には私が知っていたよりもっと多くの思いやりのある人々がいること。ダウン症という表現は、人を十分に説明できる言葉ではないこと。私も「完全な」人間ではなく、ただの人間にすぎないこと。救いや支援を求めることは弱さの印ではないこと。すべての子どもは本当に神からの贈り物であること。喜びと苦しみの深さは同じであるかもしれないこと。愛するとき、負けることはありえないこと。どのような危機にも必ず成長の機会が内在していること。勝利は成功よりも努力することにある場合もあること。すべての人間に生きる特別の目的があること。

私には心配を少なくして、祝うことを多くする必要があったこと。

出典:

  1. 「出生前診断」ナンシ−・ギルフォイ・バルコ正看護婦及びマ−フィ−・グッドウィン医学博士(パンフレット、イ−ストン・パブリッシング社)
  2. 「医者は450の遺伝子の病気に対応する出生前診断を知っている」キム・ペインタ−(USAトゥデイ、1997年8月15日刊)
  3. 「暫定的妊娠」ロスマン・バ−バラ・キャッツ(WWノ−トン・カンパニ−、1993年改訂版)
  4. 「新しい超音波時代の進歩と苦悩」ランディ・ハッタ−・エプステイン(ニュ−ヨ−クタイムズ、2000年5月9日)
長い間WFFのメンバ−であったナンシ−・バルコ正看護婦は、30年以上セント・ルイスで勤めてきたミズ−リ看護婦会の前会長です。いのちの問題の専門家であるバルコ氏はその話題に関して定期的にコラムを書いています。

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