親の心と子どもの心 

Tsuzaki Tetsuro (ツザキ テツロウ)
津崎 哲郎(花園大学教授)
出典 臨済宗妙心寺派 東京禅センター 講演録
第10回公開講座 NO.20
平成18年3月11日
許可を得て複製

こんにちは津崎と申します。私は大阪市の出身です。大阪市は少年犯罪が多く、私はここで35年間児童相談所に勤務していました。児童相談所というのは、所轄のエリアがあります。大阪市の場合は市域全体がそうです。人口は約260万人です。児童相談所は一箇所しかありません。大阪はいろんな問題が起こります。最近の児童相談所は虐待相談所と言われるくらい、虐待問題が大きなテーマとなっています。

家族の孤立化

子どもが親からうまく受け止めてもらえない。家族の機能不全です。機能不全の結果、弱者への被害の転化が起こります。弱者に家庭のうまくいかない要素が転化されて家庭の中が一種の無法地帯になります。ご存知のように日本は戦後一貫して家庭の中に法律や公権が関与しないスタンスをとってきました。民事不介入です。これは戦前に、国などが家庭に介入し過ぎたという反省です。ところが今は これがマイナスの作用している。従来は地域性もあり、隣近所の交流があった。このような状況であれば、家庭の機能が多少悪くなっても誰かが関与できます。 地域の人や親族の人が関与して予防、防止出来る環境があったのです。

しかし、大都市になりますと、住まいはほとんどマンションです。隣の生活が分かりません。多少気になっても入っていけないということが一般化しています。社会が家庭内に関与しないというスタンスをとっていますと家庭の中だけが無法地帯になってしまいます。強者が弱者に対して支配抑圧をして暴力を振るう。これに対して誰もチェック出来ない。家庭の問題に関して関与できない。一方で家庭の機能が非常に弱くなってきているなかで、都市の中の家族病理がどんどん広がってきている。社会が家族の自律性も守りつつどのようにバランスをとって関与するのか。あらたな関与の方法を造らないと、家庭内弱者が救済できない事態になっています。

虐待は子どもの視点で決まる

児童虐待がどのような構図を持っているのか、そしてどの様な課題があり、どのように対応していくかということを今日はお話いたします。まず児童虐待の概念に ついてお話いたします。加害者本人にいわせますと自分は虐待をしているとは言いません。自分はしつけをしているのだと言います。したがって児童虐待かどうかということを決めるのは、親の理屈ではありません。親はしつけだ、教育だ、むしろ子どもがかわいいからこの様にしているのだと言います。したがって児童虐待というのは子どもの視点で決まるのです。親は教育、しつけといっていても子どもの立場からするとこれは人権侵害だ、あるいは子どもの教育、発達にとってマイナスであると判断されると児童虐待ということになります。

愛情があるから虐待ではないという事にはなりません。愛情があっても虐待になります。している事が子どもにとってマイナスであるという一点で判断されます。そう考えると児童虐待というものは身近な問題と関連します。教育熱心な親が子どもに勉強を無理強いする。子どもがもう付いて行けなくなっている。身体の不調を訴える。精神的にもまいっている状態に追い込まれると、実は親の教育の熱心さは結果として児童虐待になる。だから、こう考えていくと虐待というのは親が子どもをいじめること、拒否して殴り倒すこと、というようなイメージをもたれていると、そうではない。さっきも言いましたように、親は非常に熱心だ、そして子どもが可愛い。けれど、していることは子どもの立場からすると虐待だ、ということになります。従って、そう単純な問題ではないのです。

虐待の増加と市町村への対応拡大

自分達の子育てが、本当に子どものためになっているのかどうか、ということの検証が求められているという要素もあります。いずれにしても、虐待は年々増えており、平成2年度の厚生労働省の統計では、その数は全国で1,101件だったんですね。平成2年度以前の統計は、実はないのです。このときに初めて問題になりだして、厚生労働省が統計を取り始めた。平成16年度で33,408件ということで、30倍以上の数に増えています。現在まだ増え続けています。頭打ちにはまだなっていません。そういう状況をふまえて、国も対策をとらないといけない、ということで、平成12年、児童虐待防止法というのが出来ました。しかし、対応策がこれだけではまだ不十分だ、ということで、平成16年、児童虐待防止法が改正されて、更に、強化されています。そして、それと関連して、児童福祉法も改正されています。

改正まではどちらかというと、児童虐待というと児童相談所が集中的に対応する、という形になっていたのが、改正の時点で、市町村 も通告先になって、裾野を広げた形で全体で対応する、という方向で法律が改正されました。従って、今は市町村に通告してもよい、という形になっており、市町村もその通告先を住民に対してPRしなさい、そして市町村の対応部署を明確化しなさい、ということになっております。

身体的虐待

法律的には、虐待は4つのタイプに分けられています。皆さん方が一番イメージしやすい身体的虐待、たたく、蹴る、投げつける、といった事例です。日本で案外多いのは、たたく、蹴るも多いですが、火傷をさせるというのも多いです。日本の文化にはお灸の文化があります。お灸をすえる、という言葉がありますように、今の親はそれをします。私も子ども時代に、いう事を聞かないというので、親がおさえつけてお灸をし、未だに背中に火傷の痕があります。今から考えると 私も被虐待児だったか、よくここまで立ち直ったもんだと思ったりするんです・・・冗談ですが。

ただ、今の親はお灸の時に、艾(もぐさ)などは使わない。じかにタバコを押し付けたり、ライターを押し付けたりするのです。私が対応したケースでは、赤ちゃんの夜泣きがうるさい、というので、ライターで赤ちゃんの顔を焼いたということがありました。また、いう事をきかないというので、熱湯を頭からかけたというのもありました。もっとひどいのもあります。瀕死の重傷で病院に運びこまれたケースですが、子どもは全身火傷です。2歳の子どもです。親が説明するには、ストーブの上にやかんがかけてあった。 つまづいて転んだというわけです。そして、そのやかんのお湯を子どもがかぶった、という説明です。けれども、多分嘘です。隈なく火傷をしているのです。普通はそんな火傷はしないです。親はそれ以上言わないので分かりません。

とんでもないケースがあります。夫婦のとばっちりで3階から子どもを放り投げたケースもあります。たまたま電線にバウンドして助かりましたが。保護した子は一時保護所で預かるのですが、ある子は火傷をさせられたというので見てみたら、太ももに三角の火傷があるんです。アイロンを押し付けられたそうです。いずれにしても物理的に加虐するのが身体的虐待です。

ネグレクト

最近増えてきているのがネグレクトです。これは、日本語の訳では色々な訳がありまして、放置、放任、養育の怠慢などといいますが、要はほったらかしにすることです。今までもあったのですが、虐待と認識するような考え方があまり一般化していなかった。この典型的なものが、親がパチンコに行って、その間子どもを ほったらかしにしておくというような例です。これは毎年熱射病で子どもが亡くなっています。あるいは、子どもだけを夜間放置したまま親が何処かへ行ってしまう、というのもこのネグレクトに当てはまります。日本は結構多いんです。母子家庭でお母さんが水商売で働いていると預ける所がないので子どもだけで留守番させている、という家庭が結構あります。これは、アメリカなどでは、親は即逮捕です。

日本ではあまり虐待という感覚はないですが、例えば、アメリカに移住して、向こうは広いですから、車でコンビニや買い物に行きます。途中、車の中で子どもが寝たわけです。すると親は起こすのがかわいそうだからそのまま駐車場において買い物に行って、駐車場に帰って来たところ車の周りが人だかりになっていたというのがありました。これも虐待なんです、子どもを放置したということで親は逮捕されました。徐々にほったらかしも虐待なんだと日本でも認識されるようになり、今はこのネグレクトのケースがかなり増えてきています。

大阪では、テント、河原や公園に張ってあるテントですが、時々子連れが住んでいます。そうすると、これはネグレクトの虐待とみなされます。ある一定の文化水準に達していないような状態で生活をしている、というのがネグレクトに当たります。それから、家の中の衛生状態、あるいは、家の中の文化的生活の程度、ゴミだめのような家に住んでいるなどの状態が日常化していると、親も子どもも意識していなくても、ネグレクトの虐待とみなされます。こういう話をすると、皆さん、時々ヒヤッとされる方がおられます。大都市には結構多くて、家に入ると、ゴミだめみたいな家があるんです。

最近大阪では、景気が悪いから、家賃が払えない、それから、電気、ガス代が払えないので止められてしまうというケースがあります。その上、水道まで止められてしまうともう悲惨です。水洗便所が使えなくなる、というような環境で生活しているケースも時々あります。つまり、状態が一定水準に達していないと、ネグレクトの虐待といわれます。今、特殊な例が出てきています。医療拒否です。これは、信仰上の理由ですとか、障害児で生まれたので、その子にはそのままで医療を加えないで欲しいというケースが最近出てきて、扱いが難しいのです。親が了解をしない限り、医療が出来ない、それをどう扱うのか、これは法改正の時問題になったのですが、先送りになっています。これは医療ネグレクトといわれます。

心理的虐待

さらには、心理的虐待というのがあります。これは言葉などでいじめることです。兄弟を差別する、特定の子に対して愛情を与えない、などがこれに当てはまります。人間の体というのは、非常に微妙なバランスで出来ています。衣食住を与えたら、育つか、というと育たないのです。愛情を与えないと育たない。医学的にはっきりと「愛情遮断症候群」という病名があります。愛情を与えられないためにその子の成長発達のホルモンの活性化が出来ないということです。愛情を与えられることによって、子どもらしい生き生きとした活動が出てきて、成長が促進されるのです。従って、ただ暴力を受けるだけが虐待ではないのです。一番大きなダメージは、精神的にその子が拒否される、ということです。いずれにしても、子どもが愛情を拒否される、差別をされる、そういう状態になりますと、心理的虐待といわれます。

性的虐待

そして、性的虐待というのは、皆さん方はあまり身近に接する機会がないので、そんなことが起こるのかと思われるかもしれませんが、実は、結構起こっているのです。実の親、あるいは継父が実子、ないしは連れ子に対して性的行為をする、ケースが結構多いのです。多くの場合、子どもはそのことを人に打ち明けることが出来ません。加害者の方も絶対言うな、と言うわけです。だから、こういうケースで保護される中学生や高校生は、被害にあってすぐ保護される、というケー スは少ない。聞いていると、1年、2年、ずっとそういう関係が続いていたということが結構多いのです。そして耐え切れなくなって友達に打ち明けたり、先生に打ち明けて発見されるということが多いですが、中には、家にいるのが嫌になって、深夜に徘徊する、色々事情を聞くと、家でそういう行為をされているから、というのが後で分かってくるというケースが結構あります。

実は、動物、植物の世界では、近親交配を避けるためのメカニズムがあります。 植物であれば、雌しべが上に出ています。雄しべが下になっているはずです。何故かと言うと、直受粉を避けるシステムを植物が取り込んでいるからです。花粉は違う雌しべに虫であるとか蝶が媒介していきます。直受粉するのは良くないのです。ですから雌しべは背が高いのです。植物ですらその様な近親交配を避けます。サルの世界の観察データがありますが、そこでも近親交配を避けているというデータになっています。ところが智恵がある人間であるために、近親交配を避けるメカニズムが壊されてしまいます。我が子、連れ子を性の対称にしてしまいます。多くの場合、母親はこのようなことを知らない事が多いようです。子どもも母親になかなか言わない。父親と娘の間でその様な関係が続きます。アメリカなどでの研究では、どの階層にもその様なことが起こるということが強調されています。教員、医師、聖職者という家庭でも起こっています。奥の深い問題でして、なかなか明らかになりにくいのが現状です。

虐待の背景要因

今の時代になぜこんなに虐待が増えてきたのかということですが、一般的には今まで問題意識として見ていなかったものが、その様な意識で見るようになり健在化してきたという要素があります。そして他の大きな要素は家族の孤立化です。孤立化するとなぜ悪いのか。孤立化すると親と子どもだけの空間になります。孤立した家族でも親が成熟して、バランスのとれた人だと子育てはうまくいきます。未熟な親が孤立した形で子育てをしていると、限りなく虐待に近づきます。その関係でしか子どもは育ちません。孤立化というのは、虐待を誘発しやすい環境です。対応策として家族の孤立化をどのように防ぐのかという事が大きなテーマです。

さらに複雑なステップファミリーという家庭の問題もあります。離婚、再婚、内縁関係。この様な家庭でも虐待が起きやすい。家族変動で虐待が起きると虐待のスピードが速いので要注意です。以上の様な背景の中で今、都市部では虐待が増えていく傾向にあります。どのような親が虐待に陥りやすいのかといいますと、性格、人格の偏りです。さらには親の社会的基盤の弱い家庭。経済的、就労の条件、家庭内の協働性の低さなどの要素も危険です。子ども時代の生い立ちの要素も大きく影響します。世代間連鎖といいます。親が子育てをする時にどの様に教育しようか考えますが、その様な意図した子育ての方針はさほど大きく影響しません。むしろ意図しない私達の影響力。それは、良く見てみると自分がどのように育ったのか、自分が親からどの様に育てられたのか、その事を同じように繰り返すのです。

子どもは親の背中を見て育つのです。しだって自分の生い立ちについてもう一度整理をすることか大切です。自分のこだわっている部分のこだわりが理解できることによって子育てはうまくいきます。親の生い立ちやこだわりの問題が大変大きなテーマの一つです。例えば私の経験したケースですと、愛情が持てない理由に「この子は姑に口元が似ている。それを見ただけで愛情がわかない」というのです。これは姑との関係性が子どもに投影されるというケースです。つまり自分の整理が出来ない感情を子どもが刺激をしてしまう。そういうことでその子に対して特定のイメージを持ってしまう。フランクに接することが出来ない。この様なケースも多々あります。

虐待によるダメージ

次に2枚目の資料です。虐待によってどんな影響を受けるのかということです。これは叩かれて怪我をする、その様な単純なことだけではありません。成長発達のあらゆる面で阻害が起こります。愛情を拒否されると成長がストップしてしまうということもあります。その様な子を病院に入院させたり、児童相談所で保護したりしますとキャッチアップ現象という事が起こります。これは成長が急に促進されるのです。他にも被虐待症状というものが多様な形で生じます。その一つが過食症です。また被虐待児は 基本的な身体・精神機能全てにダメージが及びます。睡眠障害を起こす子もいます。さらに解剖医の話を聞きますと、胸骨の下に胸腺という器官がありますが、 その萎縮が生じたりします。

胸腺というのはどの様な機能を果すのかといいますと、免疫機能に関連がある器官です。被虐待児は免疫器官に障害があらわれます。また様々な被虐待経験から自分に対するイメージがどんどん悪くなっていきます。さらに外の世界において、対人関係が著しく悪化しバランスの悪い子になってしまいます。その結果、家庭の中の虐待的対応が元になって今度は周りの世界でも似たような2次的虐待体験が生じます。そうするとその子にとっては、自分を取り巻く全世界が敵になってしまいます。最終的には社会に復讐をするという状態になります。自分を敵視した社会に対して攻撃を仕掛けてきます。虐待されている人の特徴は必ず弱いところに攻撃を向けます。このような事を防ぐためにも、少なくとも最低限の子どもが育つための環境を大人が整えることが重要です。

子どもの保護と里親

最近ではこの様な家庭崩壊した子どもたちを集団でケアするだけで心が育つのかという問題が問われています。しかも施設の職員配置基準も悪いのです。日本は戦後からずっと、この様な子どもたちを施設で保護するという形できましたが、欧米では 家庭の無い子には家庭を与えるというのが国としての方針です。つまり、里親制度が発達しています。日本は違います。最近になってようやく専門里親というトレーニングを受けた里親さんに預けるという制度が出来ましたが、残念ながら日本は他人の子を預かろうという家庭は少ないです。施設にいる子どもたちは心の問題の整理が付かないままに育つ可能性があります。この様な子どもが社会にでた時に社会がどれだけ子どもたちを受け入れられるかという事が今後の課題でもあります。

実は私は今里親をしています。3人の実子は既に成人になりました。それとは別に今、小学生4年の女の子を三歳の時にひきとってみています。その子を見たことによって親元から引き離されることがどういうことであるかと言う事が良く分かりました。実子と違う反応をします。どのような反応かといいますと、最初は見せかけの良い子です。しっかり食器を片付け、寝る前には自分の服をたたむ、自分の良い所を見せようと必死になります。しかしすぐにそれは崩れて、赤ちゃん返り(退行現象)が始まります。これは必ず起きます。どの里親のところに行っても、全員必ず起きます。私の子どもも三歳のとき引き取りましたが、よく喋ってたのですが、それがいきなり赤ちゃん言葉になります。

さらに、おんぶに抱っこ、家内が家事をしていようとおかまい無しです。家事が出来ないものですから、家内はおんぶバンドを買ってきてその子を背負って家事をするのです。おんぶをして子どもを受け止めつつ家事をします。最近のお母さんはおんぶバンドなどしていません。では、家事の間子どもをどうしているかといいますと、置いています。そうしますと一体感が薄れるのです。子どもがワーっと駄々をこねて、受け止めて欲しいというのを体で表します。おんぶするとその表情がスーッと消えて安らかになります。子どもは正直です。その様な体験を積み上げていくと、実は来た当時は毎晩夜泣きと夜驚がありました。心の中のつらい体験が意識が遠のいた時に前面に出てくるからです。 しかし、おんぶや抱っこされてしっかり大人に受け止められたという実感の中でスーッとその夜驚が消えて行きます。本当に正直なものです。子どもの顔、言動などは環境の反映なのです。

必要な心の安定と社会的対応

子どもをしっかりと育て、特に幼少期の気持ちを安定させるためには スキンシップが大切であると言う事が改めて実感できました。ところがこれは現在の施設では物理的に無理です。ですから施設の子はその様な感情を抑圧されたまま大きくなるのです。その様な子どもたちが育って社会に出て行ったときに、本当にバランス良く前向きに生きていく姿勢が培うことが出来るのかと問われた時に、色々難しいのではないか思います。ハンディを持った恵まれない子どもは、単に施設で預かっていればそれで良いじゃないかという事ではなく、社会としてその様な子どもに対してどの様な事が出来るのか考えていかなければならないと思います。時間が来ましたのでこれで今日の私の話を終えさせて頂きます。

(一同拍手)

▼質疑応答

Q:しっかりとした人格形成に必要な養育体験というのは何歳くらいまでに養われるべきだと思いますか?

A:最低限小学校までの年だと思います。しかし幼少期の頃に人間関系のベースが崩れますと、その崩れた上にいろんな体験を積み上げていきますので、後も歪んできます。

Q:この様な現象は日本特異のものなのか、海外でもこの様な問題は多いのでしょうか?

A:件数的には日本より欧米諸国の方が多いですが、日本はまだケースが潜在化している可能性があります。

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